今までいくらか考えてきましたが、この法案についての不安は未だ解決されておりません。法学上の知識が十分ではない国民はおそらく大多数でしょう。国会議員と言えどもこれは同じような部分があるかもしれません。小倉先生が記事に書いておられた古川議員は、天下の東大法学部卒であり、しかも官僚出身者のようです。通常の理解として、一般的な個人に比して法学的知識、行政法や行政システムについて十分熟知されていることは想像に難くないでしょう。そんな人が危惧したり誤読してしまう以上、一般国民にそれ以上の解釈レベルとか法の理解を求めるのはかなり困難があると言えるのではないでしょうか。その意味で法案の誤解釈とか大袈裟に心配することも、ある意味「普通の国民」の心理を代弁しているとも言えるかもしれません。
国民の代表である国会議員が、必ずしも法の専門家(法曹関係者)と同じような判断をするものではない、ということが言えるのかもしれません。本当は立法に携わる以上、正確・厳密に法律を理解することが必要であると指摘されるかもしれませんが。ただ、素人である一般国民が読んだ時に、たくさんの誤読とか誤解釈をもたらす法案というのは、優れた法案なのかと言うと、そうとは言えないかもしれません。これは「そのようにも読める」とか「そういう可能性がある」といった、普通の国民の反応を如実に表わしているとも考えられるからです。また、反対が非常に多いという状況ならば、民主主義の原理に従い「この法案は必要ない」という意見が大多数であるかもしれない、ということも考慮せねばならないでしょう。
自民党の古賀さんに法案の調整等について一任したようであるが、よく検討するべきでしょう。
Yahoo!ニュース - 共同通信 - 「国交」規定で修正検討 人権擁護法成立を再確認
当然マイノリティについての救済は、単純な多数決で決定できるものではない、という判断も有り得ます。しかし、立法制度上多数決によって決するということになるのであれば、法整備での解決を試みるのではなく、行政制度上での努力によって支援する形も考えてみる必要も出てくるかもしれません。私は法律とか行政制度の専門家ではありませんから、具体的にどのような制度を作ることができるか、正確には判らないのですけれども。
法律上は「不知は法的責任を免れるものではない」という立場は堅持されるでしょう。すると、一般的に法律の条文を読んで自分自身で考えるとか(行政に尋ねるということも可能ですが、一般的は「個別の案件には答えられない」という立場を貫くでしょう、国会答弁でも同様ですのでこれは改めて説明する必要がないでしょう)、法の存在すら知らないということになりましょう。その時に個人の権利がどの様な制限を受けるか、若しくは言説・主張等に対してどの様な判断を行政側から下されるか、正確に「判らない」ということになります。勿論勧告を受けた時に、それを受け入れれば問題ないかもしれませんが、以前に検討した独禁法と比べても勧告受け入れを拒否した場合の手続について制度上問題があるように思います。
人権擁護法案の立法上の危惧として、次の点についての合理的理由・説明が必要かと思います。
1)会計検査院は十分な独立性が保たれているとも言えず、会計検査院法の運用についても恣意的運用の可能性を否定出来ない(もしもこれに適切な説明・反論があれば聞いてみたいです)。憲法規定である会計検査院であってもこの程度の行政システムであるから、委員会の独立・中立性や法の運用がこれ以下になってしまう可能性が当然推測される。この時に国民の権利は守られるか。
2)法律に「罰則規定がないから」という理由で、後年罰則規定を法律に附与しようという改正案が出されることは珍しくはない。また、マスコミ条項についても別な法令で規制可能という暗黙の規制(ある意味人質)が行われる可能性がある。一度法律が作られると、それに対して条文や法令を追加することは比較的容易に行われる傾向にあるが、これに対する国民側からの抑制策は少ない(所謂選挙とか違憲立法審査くらい)。
3)もしも法案を導入するとしても、独禁法に見られるような「勧告」に対する「受け入れ」または「拒否」についての選択・意思表示の機会、続いてその適否を検討する機会、それに対する司法判断を受ける機会、が整備されることが望ましく、罰則的(制裁的)意味合いを持つ「公表」手続は慎重に行われるべきではないか。
4)法律自体は変更されなくとも、後から省令を変えたり、通達を出すことで実効的に法解釈を変えることが可能であるが、これに対抗できる手段が明確でない(裁判くらいでしょうか)。「勧告」に該当する具体例について行政側が設定できるということです。これは法案作成時点で明らかなわけではなく、後に著しく制限するような具体例の設定も可能である、と言えます。国民側が「その事例は差別的表現ではない」と主張する言論を行おうとした時に、それが例え正当であると思われても、メディアを封殺してさえいれば一個人の声など広く知られないし、権力に対抗できる言論ともなり得ないでしょう。
(これは地道な活動をしていた拉致被害者の訴えがメディアに取り上げられるまで、非常に長い期間世間に知られず、政府の行動にはなかなか結びつかなかったことを考えれば理解できるでしょう)
追記:3/24 13:10頃
独禁法違反による勧告を受けていたドンキホーテは、「勧告」の受入を拒否して「審判」を受けることを公取に意見通知したようです。以前の記事に書いたように、勧告の適否を審判手続きによって問うことが出来ます。
また、人権擁護法案には行政指導上の「勧告」とそれに続くものとしての「公表」がありますが、これが条文では明確に区分されています。しかしながら、公取が行う「勧告」とか、他の記事に書いた放送法に基づく行政指導は、「公表」されているようです。前者は意図していることは確かで、公取のHPに記載されているからです。また、後者の行政指導については、放送法上に「公表」は審議機関が答申した内容とか措置について規定されていますが、総務省の行政指導については行政側の裁量権の範囲(?)として考えられているようです(電波管理審議会の勧告は総務大臣が公表するべき事項になっていますが行政指導とは関係ありません)。このような違いが何故起こるのか不明です。総務省は行政手続法についての統一見解は持っていないのでしょうか?法務省は何故、行政手続の「勧告」と「公表」について区分して規定したのでしょうか。行政手続法上で規定は必要ないのでしょうか。
参考記事:
人権擁護法案擁護論への疑問1
人権擁護法案擁護論への疑問2
人権擁護法案擁護論への疑問3
国民の代表である国会議員が、必ずしも法の専門家(法曹関係者)と同じような判断をするものではない、ということが言えるのかもしれません。本当は立法に携わる以上、正確・厳密に法律を理解することが必要であると指摘されるかもしれませんが。ただ、素人である一般国民が読んだ時に、たくさんの誤読とか誤解釈をもたらす法案というのは、優れた法案なのかと言うと、そうとは言えないかもしれません。これは「そのようにも読める」とか「そういう可能性がある」といった、普通の国民の反応を如実に表わしているとも考えられるからです。また、反対が非常に多いという状況ならば、民主主義の原理に従い「この法案は必要ない」という意見が大多数であるかもしれない、ということも考慮せねばならないでしょう。
自民党の古賀さんに法案の調整等について一任したようであるが、よく検討するべきでしょう。
Yahoo!ニュース - 共同通信 - 「国交」規定で修正検討 人権擁護法成立を再確認
当然マイノリティについての救済は、単純な多数決で決定できるものではない、という判断も有り得ます。しかし、立法制度上多数決によって決するということになるのであれば、法整備での解決を試みるのではなく、行政制度上での努力によって支援する形も考えてみる必要も出てくるかもしれません。私は法律とか行政制度の専門家ではありませんから、具体的にどのような制度を作ることができるか、正確には判らないのですけれども。
法律上は「不知は法的責任を免れるものではない」という立場は堅持されるでしょう。すると、一般的に法律の条文を読んで自分自身で考えるとか(行政に尋ねるということも可能ですが、一般的は「個別の案件には答えられない」という立場を貫くでしょう、国会答弁でも同様ですのでこれは改めて説明する必要がないでしょう)、法の存在すら知らないということになりましょう。その時に個人の権利がどの様な制限を受けるか、若しくは言説・主張等に対してどの様な判断を行政側から下されるか、正確に「判らない」ということになります。勿論勧告を受けた時に、それを受け入れれば問題ないかもしれませんが、以前に検討した独禁法と比べても勧告受け入れを拒否した場合の手続について制度上問題があるように思います。
人権擁護法案の立法上の危惧として、次の点についての合理的理由・説明が必要かと思います。
1)会計検査院は十分な独立性が保たれているとも言えず、会計検査院法の運用についても恣意的運用の可能性を否定出来ない(もしもこれに適切な説明・反論があれば聞いてみたいです)。憲法規定である会計検査院であってもこの程度の行政システムであるから、委員会の独立・中立性や法の運用がこれ以下になってしまう可能性が当然推測される。この時に国民の権利は守られるか。
2)法律に「罰則規定がないから」という理由で、後年罰則規定を法律に附与しようという改正案が出されることは珍しくはない。また、マスコミ条項についても別な法令で規制可能という暗黙の規制(ある意味人質)が行われる可能性がある。一度法律が作られると、それに対して条文や法令を追加することは比較的容易に行われる傾向にあるが、これに対する国民側からの抑制策は少ない(所謂選挙とか違憲立法審査くらい)。
3)もしも法案を導入するとしても、独禁法に見られるような「勧告」に対する「受け入れ」または「拒否」についての選択・意思表示の機会、続いてその適否を検討する機会、それに対する司法判断を受ける機会、が整備されることが望ましく、罰則的(制裁的)意味合いを持つ「公表」手続は慎重に行われるべきではないか。
4)法律自体は変更されなくとも、後から省令を変えたり、通達を出すことで実効的に法解釈を変えることが可能であるが、これに対抗できる手段が明確でない(裁判くらいでしょうか)。「勧告」に該当する具体例について行政側が設定できるということです。これは法案作成時点で明らかなわけではなく、後に著しく制限するような具体例の設定も可能である、と言えます。国民側が「その事例は差別的表現ではない」と主張する言論を行おうとした時に、それが例え正当であると思われても、メディアを封殺してさえいれば一個人の声など広く知られないし、権力に対抗できる言論ともなり得ないでしょう。
(これは地道な活動をしていた拉致被害者の訴えがメディアに取り上げられるまで、非常に長い期間世間に知られず、政府の行動にはなかなか結びつかなかったことを考えれば理解できるでしょう)
追記:3/24 13:10頃
独禁法違反による勧告を受けていたドンキホーテは、「勧告」の受入を拒否して「審判」を受けることを公取に意見通知したようです。以前の記事に書いたように、勧告の適否を審判手続きによって問うことが出来ます。
また、人権擁護法案には行政指導上の「勧告」とそれに続くものとしての「公表」がありますが、これが条文では明確に区分されています。しかしながら、公取が行う「勧告」とか、他の記事に書いた放送法に基づく行政指導は、「公表」されているようです。前者は意図していることは確かで、公取のHPに記載されているからです。また、後者の行政指導については、放送法上に「公表」は審議機関が答申した内容とか措置について規定されていますが、総務省の行政指導については行政側の裁量権の範囲(?)として考えられているようです(電波管理審議会の勧告は総務大臣が公表するべき事項になっていますが行政指導とは関係ありません)。このような違いが何故起こるのか不明です。総務省は行政手続法についての統一見解は持っていないのでしょうか?法務省は何故、行政手続の「勧告」と「公表」について区分して規定したのでしょうか。行政手続法上で規定は必要ないのでしょうか。
参考記事:
人権擁護法案擁護論への疑問1
人権擁護法案擁護論への疑問2
人権擁護法案擁護論への疑問3
言論)を封殺することはできません。
人権委員会ができることは、最大限、「勧告およびその公表」だけなのです。
コメント頂き有難うございます。勿論それは私も条文の文面を読み、素直に解釈すればそうなることは理解できます。しかしながら、他の行政機関や独禁法との対比における疑問には何ら解消されないお答えかと思います。
大して信用できうる訳でもない行政機関・組織に、重要な国民の権利規定や判断を任せるという「強権」を与える程の寛容さは持ち合わせていません。これは、将来に渡る不安でもありますし、制度上行政側の「勧告」が正当か否かを国民が争える規定とか仕組みになっていなければならないでしょう。私の質問事項に合理的説明ができ、信頼に値するものであるならば、行政庁の判断を取り入れることに今よりも信頼が増すかもしれませんが。
今まで行政庁・法曹関係者で、本質的な疑問に答えた方はおりません。
>佐藤さん
活動は私のことですか?
ストーカー行為等禁止法上の「つきまとい等」の定義は同法第2条で規定されていますが、これは人権擁護法案での規制対象となる「不当な差別的言動」よりわかりにくいものです。たとえば、「その行動を監視していると思わせるような事項を告げ、又はその知り得る状態に置くこと」や「面会、交際その他の義務のないことを行うことを要求すること」、「著しく粗野又は乱暴な言動をすること」、「その名誉を害する事項を告げ、又はその知り得る状態に置くこと」等を、「特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的」を行うと、それは「つきまとい等」にあたってしまいます。つまり、ネット上でしばしば行われている言動について、「警視総監若しくは道府県警察本部長又は警察署長」が、「特定の者に対する……好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的」で行われたと認定し、「当該行為をした者が更に反復して当該行為をするおそれがある」と考えてしまえば、「警視総監若しくは道府県警察本部長又は警察署長」は「更に反復して当該行為をしてはならない旨を警告することができる」のです。
さらに、ストーカー行為等禁止法は第6条において
警察本部長等は、第3条に違反する行為があり、かつ、当該行為をした者が更に反復して当該行為をするおそれがあると認めるとともに、当該申出をした者の身体の安全、住居等の平穏若しくは名誉が害され、又は行動の自由が著しく害されることを防止するために緊急の必要があると認めるときは、当該行為をした者に対し、聴聞又は弁明の機会の付与を行わないで、国家公安委員会規則で定めるところにより、更に反復して当該行為をしてはならない旨を命ずることができると定めています。
さらに、同法第9条は、警察本部長等は、
警告又は仮の命令をするために必要があると認めるときは、その必要な限度において、第3条の規定に違反する行為をしたと認められる者その他の関係者に対し、報告若しくは資料の提出を求め、又は警察職員に当該行為をしたと認められる者その他の関係者に質問させることができるものとされています(第1項)。
まさくにさんは、これらの規定も廃止されるべきであるとお考えでしょうか?