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ライブドア事件の小総括

2007年03月19日 13時15分54秒 | 社会全般
前の記事で頂いたコメントは一般的なご意見が反映されたものであると思います。ここで改めてご紹介したいと思います。


・カレンさんのコメント

ライブドアの場合は地検の青年将校の暴走ですよね?金融庁ではなく東京地検がいきなり立件した。それで有罪にしないと引っ込みがつかないと。上場廃止にして株主の資産を吹き飛ばし無罪だと、いったいライブドア事件はなんだったのかと国に損害賠償請求が起きる可能性もあるし。

今後は東証が一方的に上場廃止を決めるのではなく、まず当該企業に懲罰的罰金制度を導入して、次に取締役に責任を問う。現状のいきなり株主責任で投資家が被害を被る仕組みは改めるべきである。


・unknownさんのコメント

式会社日興コーディアルグループの特別調査委員会は同社の有価証券報告書の「虚偽記載」を組織的な行為であったと結論づけているのに東証は「組織的でなかったから上場廃止はしませんよ」というのは庶民には到底、納得できません。
カレンさんの仰る地検の青年将校の暴走ならば、暴走して彼らを「天誅」する輩がでることも社会としてあり得た方が面白い。
時代ドラマの面白さは悪徳官僚に対して正義の剣が振るわれることなんでしょうね。民間のホリエモンに振るっても面白みを感じませんね。


論点をいくつか分けて見ていきたいと思います。

①検察への不信感

カレンさんのコメントで端的に、「青年将校の暴走」と表現されている通りの印象を世間では感じている部分が存在すると思われます。これは着手が不可解であった面はあるかと思われますが、問題があるが故に「犯罪」として挙げられているので、「検察の判断は間違っている」ということを説明するのはやや難しいかもしれません。「スピード違反」で検挙されたら、「他のみんなも違反してるじゃないか、何で俺だけが」という論法は通じ難いと思ったりもします。

少なくとも検察では着手する以前からそれなりの準備を重ね、上部との検討も経た上での着手でしょうから(そこら辺りは、落合先生の過去記事などをご参照下さればと思います)、法的な問題があって裁判で立証可能な範囲であると踏んでいたのであろうと思われます。法的問題はクリアされていたとして、それが「狙い撃ちであったのではないか」という疑念は残される訳ですが(私の考えた陰謀論のように、笑)、しかし、「コイツのスピード違反は目に余るものがあるので、その人が運転する特定車両を覆面パトが追跡尾行を継続して、50km/h超の速度オーバーをやった時に「現行犯で逮捕」というのを「不当捜査」と呼べるのかと言えば、それは難しい面があると思います。「みんなもやっているから大丈夫」ということにはならないであろうと思うのです。

一方では、検察に対する不信感が世間にあることは確かであり、ライブドアのとった「スキーム」自体がどのような違法性があったのか、会計制度上でどのゾーンまではアウトと認定されるのか、東証やSESCの監督責任というような論点はどうなのか、その辺りには不透明感が依然として残っているかもしれません。東証は基本的に民間ですので、「法解釈」のような部分に踏み込めないのですけれども、投資家や市場への大きな責任を負っていることは間違いないので、一般投資家などが見ても判りやすい基準を明確に提示する義務はあるだろうと思います。SESCは検察への告発を着手前に行っていなかったので、そこにも問題が残されていると思われます。本来的には、検察着手前にSESCの告発を受けて行われるのがシステムとしては望ましいのではないかと思われ、それがライブドア事件では逆であったので「検察の暴走」という印象をより強くしたものと思います。

「検察は行き過ぎだ」という意見が国民の間で大勢を占めるのであれば、いくらかは方向を考えてくると思いますが、実際「検察批判」というのがどの程度あるのかは不明です。判決後に、ホリエモンがテレビ出演をあちこちでやっていたようですけれども(私は一つも見てないので内容は判りません)、彼が語ったことへの国民の理解、説得力や共感といったものがどれくらいあったのか、というと、割と疑問であるかもしれません。


②株主の損失と責任

ライブドア株主の訴訟に思うことにも書きましたが、ある部分は責任を取らされることも止むを得ないのではないかと思っています。ただ、企業と一般投資家との間で情報の非対称性があることは考えられますので、投資家保護という点で言えば会計監査人や東証の責任は重大であったろうと思います。できるだけ健全な市場を作って行こうとするのであれば、松岡大臣の言い訳で用いられた「法ではそこまで求められていない」というような法を盾に取るような(要するにグレーゾーンな)やり方は好ましくはないでしょう。改善すべき点は残されていますし、全てを自己責任で片付けるのも問題だろうと思うのですが、株式投資という「ゲーム」に参加する以上「ゲームの基本的ルール」を学んでおくことは参加者の自己努力が求められるのは仕方がないのではないかと思います。


③改善すべき部分

既に会計制度の変更などで考えられているのかもしれませんが、例えば、監査人が「こういう場合はセーフなのか、アウトなのか」判断が難しいような場合に、詳しい公認会計士の方々とか弁護士などで構成する「判定機関」みたいな小委員会のようなものがあれば、そこに「お伺いをたてる」という手続きを経るようなシステムがあればいいのかもしれません。日興の場合みたいに複雑な手法をとる場合だってあるかもしれませんし、企業と監査法人とで「大丈夫かな?多分OKだよね」みたいにいくら相談しても、後で「それは違法ですから」と認定されれば問題となるのですし。

カレンさんの指摘にもありましたが、上場廃止決定以前に懲罰的制度が必要なのではないか、経営(取締役会)責任を問う範囲を示しておくことも必要なのではないか、というのは、検討するべきことではないかと思えます。経営者の個人的責任であるような場合、法人としての企業に重大な責任があったとも言えない可能性は有り得るかもしれません。ただ、商法とか会社法などで規定される部分があるでしょうし、「経営者の暴走を食い止めるシステムを兼ね備えていないような企業」(=管理体制に大きな問題がある企業)ということが重大な問題とされているやもしれず、そうであれば上場廃止の決定を受けたとしても文句が言えない、ということになるでしょうか。

東証の判断や決定プロセスには色々と不透明な部分や問題があるということを世間的に認めているのは確かであり、それは金融庁?のような監督官庁が「きちんと判断基準を明示して下さい」「該当要件を明らかにして下さい」などを求めない限り、改善されないのではないかと思います。東証も金融庁もある種の「談合体質」といいますか、村社会のメンバーで一緒にやってきたのでしょうから、結局の所、トップであるところの金融庁長官や総理大臣へ「ダイレクトに働く力」=国民からの圧力がなければ、あまり効果がないかもしれません。そもそも投資家の絶対数が多いとも言えず、仮に一部株主たちに不利益が及んでも、大多数の国民にとっては「どうでもいい話」の1つに過ぎないのではないかと思ったりもします。となれば、金融庁や東証などへの圧力は、政治的にはあまり期待できないということはあるかもしれません。今回のライブドア事件で、「何が問題であったのか」「東証の責任とは何なのか」というようなことへの関心が低い、ということです。実際のところ、私もよく判らない人間の1人なんですけれども(笑)。

一見成功を勝ち得たかのような「ホリエモンという人間」が堕ちて行くさまを見るのは、「醜聞見たさ」や「いい気味だ」のような関心をもたらすかもしれませんが、市場を支える制度的な話や司法制度への疑義などといった問題は、あまり興味を引く話でもないのかもしれない、ということです。それを権力側に利用されてしまうのであれば、まさしく「思うツボ」ということなんだろうな、と思います。


最後に、検察への信頼性ということの私自身の評価としては、全体としてはまだ「信頼するべきかな」という水準でありますけれども、昨今の冤罪事件などがボロボロ出てきているのを見るに、不安が増大しつつあることは確かです。司法制度への信頼性については、司法の「品質管理」を問うでも書いたのですが、検察も同じくエラーを防ぐ為のシステムやフィードバック機構のようなものが果たしてどうなっているか、どの程度実効性のあるものとなっているのか、というのは不透明ではあります。官僚主義的とか、出世志向的な部分が目立つようになってしまっては、信頼を失っていくことはあると思いますので、検察内部で自主的に改善していって欲しいと思っています。信頼が崩壊した後からでは、生ぬるい改革なんてことは許されず、強い外力で否が応でも変えさせられるでしょう。そうなってからでは遅いのです。



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3 コメント

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Unknown (まさくに)
2007-03-22 17:10:10
>wakurouさん

喩えで触れましたが、暴走族A、B、Cといたとして、Aだけが検挙されBやCが免れていても「不平等だ」とは言わないように思います。暴走行為が果たしてどうだったか、というのは問われるべきかと思うのですが。

制限速度が60kmのところを「測定結果で100km出てました」というのと、「追いかけてみたら、暴走していたと思う」という追跡側の主張とは評価が異なると思うのです。多くの人々が道路わきで見ていたら、暴走族BやCが、Aよりも「もっとスピードを出して暴走していたんじゃないか?」というように思っているのが今の状況かな、と。

多くの人々が判り易いのは「100km出てた」という客観性のある説明で、裁判でも、東証の上場廃止決定でも、こうした「明確な説明」というのがあまり示されていないと思えます。一般人には暴走族BやCも、「かなりスピードが出てたようにしか見えないけど」との意見が根強くあるのかな、と。ただ、仮にそうであるとしても、Aの速度違反が問われずに済むということにはならないと思います。

>カレンさん

検察の聖域に対抗できるのは基本的に裁判所なのではないかと。鹿児島の冤罪事件でも裁判所が認定していたと思います。UFJの金融庁検査では検査妨害で告発され、刑事事件にされてしまいました。最終的に銀行消滅(東京三菱と合併)に追い込まれました。ですので、金融庁ならば無難かと言うとそうでもないかもしれません(笑)。

基本的にはメディアがただの企業バッシングに終始せず、権力の監視を厳密に行うべきなのです。しかし、雪印とかパロマなどの報道でも判るように、メディアにとって企業は叩きたい対象でしかありません。警察や検察はそれに比べると「叩かれてはいない」かもしれません。大事な情報源を失う訳にはいかない、というメディア側の事情なんかがあると思います。
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Unknown (カレン)
2007-03-19 21:34:59
検察が逮捕すると本来反政府のマスコミが同調して検察批判を行わない。ホリエモン相手だからかもしれないが報道はホリエモンが捕まって当然との雰囲気であった。ただの役人に過ぎない東京地検特捜部を聖域にするのはどうかと思う。

村上、堀江と一連の逮捕劇には恣意的な物を感じる。青年将校が正義感を振りかざし捜査を行った。インサイダー類や強引な取引はは金融庁の人手が足りない日本では日常行われている事であり、果たしてこれが特捜がやる捜査なのかと。金額が大きく、社会的に影響がある事件なので特捜が動いたのかもしれないが。

どうもオレが懲らしめてやるという感がありありの捜査にしか思えない。私が問題にしたいのは堀江がクロかシロかではなく東京地検特捜部が動けばマスコミがそれに同調することと、一部の役人にここまで権力を与えていいのかなという事。目立つものを狙い撃ちし、市場の影響は考慮しない。これが金融庁の捜査なら納得するのだが。

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不信感と法の下の平等について (wakurou)
2007-03-19 18:21:33
ライブドアのホリエモン一審判決とその前提となる起訴の妥当性については、他の類似事例と比較検証する必要があるのであって、ホリエモンに「服役し更正のうえ再度、頑張ってほしい」というテレビの論評は次元が違う話です。
さて、他の類似事例といえば、西武鉄道、カネボウそして日興コーディアルの事件が比較しやすいでしょう。
西武鉄道は、昭和32年頃から50年近くわたって実際は上場基準に満たぬ少数特定者持株数比率をあたかも基準以上にあるように偽装してきた。
カネボウは、債務超過を免れるために2年間で約800億円もの粉飾決算を行い、財務諸表等に「虚偽記載」をした。ライブドア事件と違い犯意が明らかである。
日興コーディアルは、これらの比ではないほど一層悪質であるというのがWeb上での多くの評価である。同社の調査委員会も組織的犯行と認めるも東証は「組織的でない」とし、ホリエモンと違い前社長のA氏が主導した粉飾であることは明白である。しかしながら、東証は「組織的でない」と上場廃止を行わなかった。そして、検察は未だ何の動きも見せていないようである。
検察は、やはり巨悪を見逃し、チンピラを挙げて一罰百戒の見せしめとすると庶民が感じたとしてもおかしくはない。

検察の信頼性について、「まだ「信頼するべきかな」という水準であります」というのは、西武鉄道、カネボウそして日興コーディアルの事件と比較検証した上での心証でしょうか。
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