お前らだって、安い利用料金でサービスを享受してきたんだから、利権の一部にアヤかって来たんだから共犯だ、お前らも利権者じゃないか、というような主張も有り得るのかもしれない。
まあ、全くの間違いということではないかもしれないが、巧妙なレトリックのような気がしなくもない。
また、例で考えてみよう。
今、A地点とB地点を結ぶ鉄道があるとする。自分はこの鉄道の利用者である。路線は2つあって、一つは甲という会社が運営、もう一つは乙とする。
甲という会社は、鉄道の料金が500円だが、乙は200円だ。
すると、多くの人は甲よりも乙の利用をするだろう。でも、乙という会社は、線路の保線工事などに、女子供を異常な低賃金で働かせ、その低料金を達成しているとすれば、どうだろうか?経路にあるトンネル工事でも、やはり同じく食うに困っている立場の弱い人間たちを連れてきては、食べさせてやるから働け、ということで、寝食だけ提供し給料は手数料や食費や家賃として全てピンはねしているとすれば、みんなは乙の線路を利用したいと考えるのだろうか?
乙という会社は、そのような事実をずっと隠して長年やってきたのだ。利用者たちは、ほとんど誰もこのことを知らなかった。それなのに、これをもって「お前らも低料金に飛びついて利用してきたんだから、共犯だ。利用者たちが、過酷な労働を招いたようなものだ」とか言われても、そうした重要な事実を隠蔽してきたのに、どうやって判断することができたろうか?
ましてや、この線路が甲と乙という独占体制ではない場合じゃなく、1社しかない場合だと有無を言わせず利用することになってしまう。利用を回避できない、ということである。あるとすれば、そうした違法行為などを乙という会社が行っていないということを監視するくらいしかないのだ。その監視体制でさえ、ウソで誤魔化されてきたのだとすれば、利用者たちはどうやってそのような違法行為を知るのか?
もう少し例で考えてみる。
A地点とB地点を結ぶ鉄道を乙という1社が運営、経路の途中にトンネル工事が行われたとする。一般利用者たちは、線路のトンネル工事などという専門的なことは分からないので、トンネル検査官に命じて検査させた。すると、検査官は「このトンネル工事は問題ありません、基準にも適合しています」とお墨付きを与えた。
だが、実際には乙という会社が行ったのは、手抜き工事だった。検査官には謝礼を払い、検査合格を認めてもらった。この手抜き工事のお陰で、運賃は低く抑えられて、利用者たちにも恩恵があった。そうした事実はずっと隠蔽されてきた。検査官も鉄道会社も、このトンネルは安全です、と常々言い続けてきた。
しかし、そのトンネルは崩落した。手抜き工事だったからだ。利用者たちは、乙と検査官の癒着体制を批判した。すると、乙はこう言った。
「お前らも低料金の利益を貪ってきたのだから、共犯だ。利権・癒着批判をするのはおかしい」
どうだろうか?
もしもこういう会社があれば、それはおかしいと感じるはずだ。検査官も鉄道会社も重要な情報を隠し続けてきたわけである。利用者たちは、検査官を任命する人間を選ぶことは出来ても、検査官を選べないし、鉄道会社も他の選択はできないのだ。これで、どうやって乙と検査官の隠している情報を知ることができるのか?
トンネルが危険なものであるということを、どうやって判断できたであろう?
危険があるなら、工事のやり直しを命じたはずなのに、乙も検査官も「危険性はないので、その必要はない」と言い続けたのだ。こんなので「お前らも安い運賃で利用して利益享受してきたのだから、同罪だ、共犯だ」とか言われても、ふざけるな、という話だろう。
しかも、独占企業の傲慢体質が身についている乙の会社の職員は、「俺らが働くのを止めれば、鉄道は利用できないが、それでもいいのか」という、強請りまがいのことを言い出すわけである。それは、トップから下の方まで、似たり寄ったり、ということだろうか。
まあ、「サボる」というのはよくある語だが、サボタージュみたいなものだろう。そういうのを防ぐには、独占体制を止めさせることなのだ。
競合会社と競合経路があれば、手抜き工事をしたり、出鱈目な情報を流したり、ウソの説明を繰り返したり、重要な事実や情報を隠蔽したりするような、ロクでもない企業を選択せずとも済むかもしれない。
共犯だの、利権批判するなだのというのが、いかに酷い理屈を並べているのか、というのが、よく分かる。
きちんと正確な情報を出せ、教えろ、と求めても、隠蔽を続けるような会社は、是正措置が必要なのではないか?
検査官と会社がグルで隠し続ける限り、トンネルがどうなっていたのか、他のトンネルが壊れないのかどうか、分かりようがない、ということである。検査官がウソを言っているかどうかを、どのように正確に見分けることができるのか?
「”~批判”批判」の正当性は、疑問にしか思えないのである。
まあ、全くの間違いということではないかもしれないが、巧妙なレトリックのような気がしなくもない。
また、例で考えてみよう。
今、A地点とB地点を結ぶ鉄道があるとする。自分はこの鉄道の利用者である。路線は2つあって、一つは甲という会社が運営、もう一つは乙とする。
甲という会社は、鉄道の料金が500円だが、乙は200円だ。
すると、多くの人は甲よりも乙の利用をするだろう。でも、乙という会社は、線路の保線工事などに、女子供を異常な低賃金で働かせ、その低料金を達成しているとすれば、どうだろうか?経路にあるトンネル工事でも、やはり同じく食うに困っている立場の弱い人間たちを連れてきては、食べさせてやるから働け、ということで、寝食だけ提供し給料は手数料や食費や家賃として全てピンはねしているとすれば、みんなは乙の線路を利用したいと考えるのだろうか?
乙という会社は、そのような事実をずっと隠して長年やってきたのだ。利用者たちは、ほとんど誰もこのことを知らなかった。それなのに、これをもって「お前らも低料金に飛びついて利用してきたんだから、共犯だ。利用者たちが、過酷な労働を招いたようなものだ」とか言われても、そうした重要な事実を隠蔽してきたのに、どうやって判断することができたろうか?
ましてや、この線路が甲と乙という独占体制ではない場合じゃなく、1社しかない場合だと有無を言わせず利用することになってしまう。利用を回避できない、ということである。あるとすれば、そうした違法行為などを乙という会社が行っていないということを監視するくらいしかないのだ。その監視体制でさえ、ウソで誤魔化されてきたのだとすれば、利用者たちはどうやってそのような違法行為を知るのか?
もう少し例で考えてみる。
A地点とB地点を結ぶ鉄道を乙という1社が運営、経路の途中にトンネル工事が行われたとする。一般利用者たちは、線路のトンネル工事などという専門的なことは分からないので、トンネル検査官に命じて検査させた。すると、検査官は「このトンネル工事は問題ありません、基準にも適合しています」とお墨付きを与えた。
だが、実際には乙という会社が行ったのは、手抜き工事だった。検査官には謝礼を払い、検査合格を認めてもらった。この手抜き工事のお陰で、運賃は低く抑えられて、利用者たちにも恩恵があった。そうした事実はずっと隠蔽されてきた。検査官も鉄道会社も、このトンネルは安全です、と常々言い続けてきた。
しかし、そのトンネルは崩落した。手抜き工事だったからだ。利用者たちは、乙と検査官の癒着体制を批判した。すると、乙はこう言った。
「お前らも低料金の利益を貪ってきたのだから、共犯だ。利権・癒着批判をするのはおかしい」
どうだろうか?
もしもこういう会社があれば、それはおかしいと感じるはずだ。検査官も鉄道会社も重要な情報を隠し続けてきたわけである。利用者たちは、検査官を任命する人間を選ぶことは出来ても、検査官を選べないし、鉄道会社も他の選択はできないのだ。これで、どうやって乙と検査官の隠している情報を知ることができるのか?
トンネルが危険なものであるということを、どうやって判断できたであろう?
危険があるなら、工事のやり直しを命じたはずなのに、乙も検査官も「危険性はないので、その必要はない」と言い続けたのだ。こんなので「お前らも安い運賃で利用して利益享受してきたのだから、同罪だ、共犯だ」とか言われても、ふざけるな、という話だろう。
しかも、独占企業の傲慢体質が身についている乙の会社の職員は、「俺らが働くのを止めれば、鉄道は利用できないが、それでもいいのか」という、強請りまがいのことを言い出すわけである。それは、トップから下の方まで、似たり寄ったり、ということだろうか。
まあ、「サボる」というのはよくある語だが、サボタージュみたいなものだろう。そういうのを防ぐには、独占体制を止めさせることなのだ。
競合会社と競合経路があれば、手抜き工事をしたり、出鱈目な情報を流したり、ウソの説明を繰り返したり、重要な事実や情報を隠蔽したりするような、ロクでもない企業を選択せずとも済むかもしれない。
共犯だの、利権批判するなだのというのが、いかに酷い理屈を並べているのか、というのが、よく分かる。
きちんと正確な情報を出せ、教えろ、と求めても、隠蔽を続けるような会社は、是正措置が必要なのではないか?
検査官と会社がグルで隠し続ける限り、トンネルがどうなっていたのか、他のトンネルが壊れないのかどうか、分かりようがない、ということである。検査官がウソを言っているかどうかを、どのように正確に見分けることができるのか?
「”~批判”批判」の正当性は、疑問にしか思えないのである。