西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
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Raymonde Bulgar

2014年02月11日 | サンド研究
今日はアメリカ在住のサンド研究者の友人Raymonde Bulgar さんが逝去したという悲しい訃報が入った日でした。

レイモンドはサンドが大好きであると同時に、フランスで初めてバカロレアを取得した女性ジュリー=ヴィクトワール・ドービエ研究の第一人者でした。
彼女は、いつもきらきらと輝いていてスタイルがよく美人でお茶目でコケティッシュな、サン・マロ育ちのとてもフランス的な性格。ヴェローナの国際学会の時には、彼女とホテルが同室でした。ヴェニスでは二人で道に迷い、目の前の運河にかかっている橋を渡ればすぐそこにホテルはあったのに、存在しないタクシーを探してみたり、意地悪な旅行者と大げんかをしたり、お嬢さんが手伝って詰めてくれたという、どうしても閉まらなくなってしまった旅行鞄の上にまたがり、力を合わせて悪戦苦闘の末に完全にジップアップするのに成功したり、二人でいると何故か、終始、笑い転げてばかりの珍道中の旅でした。
アメリカのサンド国際研究情報誌には、私たち二人で共同執筆した学会報告が掲載されたこともありました。

3年前のアリゾナ州立大学のサンド国際学会にお嬢さんの付き添いで来ていらしていてお会いできたのが、せめてもの慰めでした。そのときにそう言えば、これが最後の学会参加になるかもしれないとお嬢さんがおっしゃっていらしたのに、信じられず、というより、信じたくもないような気分で深く考えてもみようともしなかったことが今となっては悔やまれます。なぜって、私の知っているレイモンドは何度手術をしても一切お構いなく、世界中のサンド学会に参加し、いつも元気いっぱいだったからでした。

あれは何年前のことだったか、一人暮らしの彼女は大雪の日に何かで倒れて、三日間、意識を失ったままだったけど無事に生還した、これから入院して手術で悪いところをとって、二週間後の女性学の国際学会で発表する、というメールが来たりして、とにかく、彼女は私にとっては不死不滅の人、彼女からはいつも不朽のエネルギーを山ほどもらっていました。だから、彼女が何歳になっても彼女と死を結びつけるのは、自分の中ではとても不可能で信じがたいことなのでした。

彼女の死は遠いアメリカの出来事で自分では平気だと思っていたのですが、ここのところ、ぼーっとしていることが多かったらしく、家人から大丈夫かと聞かれるようなことがありました。

国際サンド学会のメーリングリストには、アメリカ、フランスを問わず彼女の死を悼むサンド研究家や友人達の声が今も届いています。
私も思わず一言お送りさせて頂きましたが、その後、知己を問わず、サンド研究者の方たちから、レイモンドの思い出を語り、彼女を偲んで一緒に悲しみましょうといった、何通ものメッセージを頂戴しました。MLに送った和風のお悔やみカードが心休まるとおっしゃる方もおられました。

好奇心にあふれとても親切な気質のレイモンドは、きっと天国に行っても、元気いっぱい、あちこちを飛び回っていることでしょう。
お嬢様のミッシェルさんとご家族の皆様に謹んでお悔やみを申し上げます。
そして、大好きだったレイモンドのご冥福を心よりお祈り申し上げます。






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2013年度第30回渋沢・クローデル賞受賞者講演会

2014年02月11日 | 講演会 Conference

2013年度第30回渋沢・クローデル賞受賞者講演会

2月14日(金) 17:30より、
日仏会館一階ホール

講演者は今年度の受賞者お二人です。
文学のジャポニズムと、制度法学というまったく異なる分野ではありますが、フランス研究の若手の第一線を知ることが貴重な機会なので、どうぞみなさまお誘い合わせの上、お越しくださいますよう、お知らせします。

講演1 本賞受賞者 吉川順子氏(同志社大学嘱託講師)
「詩のジャポニスムと19世紀の美術批評」
〔講演内容〕ジュディット・ゴーチエは1860年代より極東を舞台に小説や戯曲を多く著しました。なかでも情熱を傾けたのが詩の翻訳で、『蜻蛉集』は西園寺公望が和歌の下訳を提供したことでも知られます。日本風挿絵、漢字の装飾、貫之や李白など古典詩歌の訳は、当時の東洋趣味を反映したものです。しかし、翻訳と創作の関係や、同時期に書いた芸術批評と照らし合わせると、それらの訳詩は自然の中の人間という普遍的問題の考察の上に成立したことが浮き彫りになります。作家の他の作品や同時代の文学・芸術をも巻き込んで深めうるこの問題について、今回は父テオフィルの挿絵入り散文作品『くつろいだ自然』をとりあげ、背後にある美術批評や自然史と、極東文化受容との接点を探っていきます。
受賞作『詩のジャポニスム--ジュディット・ゴーチエの自然と人間』京都大学学術出版会、2013。

講演2 ルイ・ヴィトン特別賞受賞者 小島慎司氏(上智大学法学部准教授)
「日本における制度法学の受容」
〔講演内容〕下記拙著は,20世紀初めのフランスで制度(institution)の観念を用いて法学を革新したMaurice Hauriouの議論を,当時の社会的・学問的状況において分析したものです。こうした制度法学の発達は同時代の世界的現象で,1920-30年代の日本もそれと無縁ではいられませんでした(拙著・24頁注70を参照)。ところが,日本で制度法学と目された論者は,その後,ある者は戦時下の時流に棹さして戦後には社会的・学問的活躍の機会を失い,またある者は,戦後に亘って高いプレゼンスを保持し続けました。彼らが制度法学を通してともに見つめ改革しようとした昭和『日本』の姿が何であり,何が彼らの運命を分かったのか。報告では,こうした問題を扱ってみようと考えています。
受賞作『制度と自由--モーリス・オーリウによる修道会教育規制法律批判をめぐって』(岩波書店、2013。
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