今日はアメリカ在住のサンド研究者の友人Raymonde Bulgar さんが逝去したという悲しい訃報が入った日でした。
レイモンドはサンドが大好きであると同時に、フランスで初めてバカロレアを取得した女性ジュリー=ヴィクトワール・ドービエ研究の第一人者でした。
彼女は、いつもきらきらと輝いていてスタイルがよく美人でお茶目でコケティッシュな、サン・マロ育ちのとてもフランス的な性格。ヴェローナの国際学会の時には、彼女とホテルが同室でした。ヴェニスでは二人で道に迷い、目の前の運河にかかっている橋を渡ればすぐそこにホテルはあったのに、存在しないタクシーを探してみたり、意地悪な旅行者と大げんかをしたり、お嬢さんが手伝って詰めてくれたという、どうしても閉まらなくなってしまった旅行鞄の上にまたがり、力を合わせて悪戦苦闘の末に完全にジップアップするのに成功したり、二人でいると何故か、終始、笑い転げてばかりの珍道中の旅でした。
アメリカのサンド国際研究情報誌には、私たち二人で共同執筆した学会報告が掲載されたこともありました。
3年前のアリゾナ州立大学のサンド国際学会にお嬢さんの付き添いで来ていらしていてお会いできたのが、せめてもの慰めでした。そのときにそう言えば、これが最後の学会参加になるかもしれないとお嬢さんがおっしゃっていらしたのに、信じられず、というより、信じたくもないような気分で深く考えてもみようともしなかったことが今となっては悔やまれます。なぜって、私の知っているレイモンドは何度手術をしても一切お構いなく、世界中のサンド学会に参加し、いつも元気いっぱいだったからでした。
あれは何年前のことだったか、一人暮らしの彼女は大雪の日に何かで倒れて、三日間、意識を失ったままだったけど無事に生還した、これから入院して手術で悪いところをとって、二週間後の女性学の国際学会で発表する、というメールが来たりして、とにかく、彼女は私にとっては不死不滅の人、彼女からはいつも不朽のエネルギーを山ほどもらっていました。だから、彼女が何歳になっても彼女と死を結びつけるのは、自分の中ではとても不可能で信じがたいことなのでした。
彼女の死は遠いアメリカの出来事で自分では平気だと思っていたのですが、ここのところ、ぼーっとしていることが多かったらしく、家人から大丈夫かと聞かれるようなことがありました。
国際サンド学会のメーリングリストには、アメリカ、フランスを問わず彼女の死を悼むサンド研究家や友人達の声が今も届いています。
私も思わず一言お送りさせて頂きましたが、その後、知己を問わず、サンド研究者の方たちから、レイモンドの思い出を語り、彼女を偲んで一緒に悲しみましょうといった、何通ものメッセージを頂戴しました。MLに送った和風のお悔やみカードが心休まるとおっしゃる方もおられました。
好奇心にあふれとても親切な気質のレイモンドは、きっと天国に行っても、元気いっぱい、あちこちを飛び回っていることでしょう。
お嬢様のミッシェルさんとご家族の皆様に謹んでお悔やみを申し上げます。
そして、大好きだったレイモンドのご冥福を心よりお祈り申し上げます。


レイモンドはサンドが大好きであると同時に、フランスで初めてバカロレアを取得した女性ジュリー=ヴィクトワール・ドービエ研究の第一人者でした。
彼女は、いつもきらきらと輝いていてスタイルがよく美人でお茶目でコケティッシュな、サン・マロ育ちのとてもフランス的な性格。ヴェローナの国際学会の時には、彼女とホテルが同室でした。ヴェニスでは二人で道に迷い、目の前の運河にかかっている橋を渡ればすぐそこにホテルはあったのに、存在しないタクシーを探してみたり、意地悪な旅行者と大げんかをしたり、お嬢さんが手伝って詰めてくれたという、どうしても閉まらなくなってしまった旅行鞄の上にまたがり、力を合わせて悪戦苦闘の末に完全にジップアップするのに成功したり、二人でいると何故か、終始、笑い転げてばかりの珍道中の旅でした。
アメリカのサンド国際研究情報誌には、私たち二人で共同執筆した学会報告が掲載されたこともありました。
3年前のアリゾナ州立大学のサンド国際学会にお嬢さんの付き添いで来ていらしていてお会いできたのが、せめてもの慰めでした。そのときにそう言えば、これが最後の学会参加になるかもしれないとお嬢さんがおっしゃっていらしたのに、信じられず、というより、信じたくもないような気分で深く考えてもみようともしなかったことが今となっては悔やまれます。なぜって、私の知っているレイモンドは何度手術をしても一切お構いなく、世界中のサンド学会に参加し、いつも元気いっぱいだったからでした。
あれは何年前のことだったか、一人暮らしの彼女は大雪の日に何かで倒れて、三日間、意識を失ったままだったけど無事に生還した、これから入院して手術で悪いところをとって、二週間後の女性学の国際学会で発表する、というメールが来たりして、とにかく、彼女は私にとっては不死不滅の人、彼女からはいつも不朽のエネルギーを山ほどもらっていました。だから、彼女が何歳になっても彼女と死を結びつけるのは、自分の中ではとても不可能で信じがたいことなのでした。
彼女の死は遠いアメリカの出来事で自分では平気だと思っていたのですが、ここのところ、ぼーっとしていることが多かったらしく、家人から大丈夫かと聞かれるようなことがありました。
国際サンド学会のメーリングリストには、アメリカ、フランスを問わず彼女の死を悼むサンド研究家や友人達の声が今も届いています。
私も思わず一言お送りさせて頂きましたが、その後、知己を問わず、サンド研究者の方たちから、レイモンドの思い出を語り、彼女を偲んで一緒に悲しみましょうといった、何通ものメッセージを頂戴しました。MLに送った和風のお悔やみカードが心休まるとおっしゃる方もおられました。
好奇心にあふれとても親切な気質のレイモンドは、きっと天国に行っても、元気いっぱい、あちこちを飛び回っていることでしょう。
お嬢様のミッシェルさんとご家族の皆様に謹んでお悔やみを申し上げます。
そして、大好きだったレイモンドのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

