西尾治子 のブログ Blog Haruko Nishio:ジョルジュ・サンド George Sand

日本G・サンド研究会・仏文学/女性文学/ジェンダー研究
本ブログ記事の無断転載および無断引用をお断りします。
 

講演:Bernard Hamon le 19 septembre

2016年09月04日 | サンド・ビオグラフィ
Journées européennes patrimoines

George Sand et la Révolution
par
Bernard Hamon

à 17 heures

Auditorium du collège Paul Éluard
d'Aix-Marseille


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第26回 2016年 Bunkamuraドゥマゴ 文学賞

2016年09月04日 | 手帳・覚え書き
中村文則 著
『私の消滅』(2016年6月 文藝春秋)

「『私』をめぐる限りない謎とその予言的ヴィジョンの提示」
物語は、呪わしい記憶に苦しむ恋人の診療にあたった若い心療内科医による復讐の道行きを描く。「洗脳」ないし「記憶の移植」がそのための手段となる。使用されるモチーフ自体、フィリップ・K・ディックの先例もあってとくに目新しくはないが、作者独自のサドマゾヒズム的世界観との結びつきや、構造的に恐ろしく複雑な仕掛けが、独自の境地を生んでいる。抽象的な言い方になるが、従来の作品でつねに不吉な低音をかき立ててきた《絶対悪》の神的シンボルとマゾヒズム人間を結ぶ縦の回路が、この作品では横倒しにされて、加害者と被害者いや善悪の関係がウロボロスの輪のようにからまりあう構図である。「告白」「手記」「手紙」「メール」などの仕掛けをとおして、書き手自身の「消滅」というメタ小説的な趣向が凝らされている点も面白かった。

この小説が提示する世界観――固有の人間存在はもはやなく、人間とは身体という器を転々とする意識存在にすぎない――の「独創性」はどこにあるのか。ごく私的な感想だが、私はそこに、筒井康隆『モナドの領域』、松浦寿輝『BB/PP』などが拓く超越文学ないしAI文学の新しい実験に連なるものを感じとった。中村が、この小説の彼方に見ているのは、一方では輪廻転生のニヒリズムであり、他方では「シンギュラリティ(特異点)」後の人間世界である。前者における「私」は、限りなくゼロをめざして昇華され、後者における「私」は、ある究極の「一」をめざしつつ幾何級数的に増殖を続ける。逆説的な言い方になるが、それはまさにAI時代における「私」の「消滅」のプロセスをなぞるものだ。

(選考委員 亀山郁夫)


中村文則(なかむら ふみのり)
1977年、愛知県生まれ。福島大学卒業。2002年、『銃』で新潮新人賞を受賞しデビュー。2004年、『遮光』で野間文芸新人賞、2005年、『土の中の子供』で芥川賞、2010年、『掏摸 スリ』で大江健三郎賞を受賞。『掏摸 スリ』の英訳が米紙ウォール・ストリート・ジャーナルの2012年年間ベスト10小説、米アマゾンの月間ベスト10小説に選ばれる。2014年、ノワール小説に貢献した作家に贈られる米文学賞デイビッド・グディス賞を日本人で初めて受賞。作品は世界各国で翻訳され、支持を集めつづけている。他の著書に『何もかも憂鬱な夜に』『去年の冬、きみと別れ』『教団X』などがある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする