第八回「女性作家を読む」研究会
日時 2009年3月7日 14時~17時半
場所 慶應義塾大学・日吉キャンパス・来往舎2階会議室
14:00~15:45 発表1 松田祐子(研究会会員)
「ベル・エポックの新聞・雑誌が描くブルジョワ女性たち」
新聞王ジラルダンを輩出した19世紀半ばはジャーナリズムが隆盛を極めた時代であった。これに継ぐベル・エポックと呼ばれる1890年頃から第一次大戦までの時期もまた、製紙・印刷分野の専門技術の発展や識字率の向上に伴う読者層の拡大により、歴史上稀にみる新聞・雑誌の黄金時代を築き上げた。松田さんの発表は、ベルエポックが女性編集者やジャーナリストを輩出し、それまで上層貴族かブルジョワ男性の読者に限られていた雑誌が女性読者層を獲得していった画期的な時代であったことに着目したものであった。『ラ・フロンド』(マルグリット・デュラン主宰)、『フェミナ』、『ラ・モード・イシュルトレ』、『ラ・モード・プラティク』『ル・プチ・エコー・ド・ラ・モード』といった数多くの女性雑誌の成立過程と特色を当時の膨大な統計資料を駆使して綿密に調べ上げ、比較・検証をされた。とりわけ、女性雑誌が同時代の女性たちに及ぼした役割と意義、また女性読者が様々な懸賞付きのコンクールやアンケートを通して積極的に誌面に参加した事実について考察し、女性誌と女性読者双方の往還作用が女性たちの歴史・文化的心性を形成したことを見事に論証された。実際の統計資料に留まらず、モーパッサンやベランジェの小説に登場するジャーナリストに言及するなど文学的なデータにも依拠し、複合的な視点からベル・エポックのジャーナリズムと女性という大きなテーマに肉薄した研究発表は、執筆中のご著書の一部でもあっただけに、パワーポイントを使用しての説明はわかりやすく説得力に富み、普段より多くの参加者で満たされた会場に深い感銘を与えた。発表後は、多岐に渡る質疑応答が交換され、非常に充実した研究会となった。
16:00~17:20 発表2 Olivier Bessard-Banquy(ボルドー大学)
" Rapport aux corps et aux sens chez les feministes des annees 1970 ー M. Duras et X. Gauthier"
オリビエ・ベサール・ボンキー氏は本研究会の会員ではないが、フランス人による女性作家に関する講話は会員の興味を喚起し意義深いであろうという合意のもとに、例外的に発表をお願いした。なぜボンキー氏かといえば、昨年ツールのPrieuré Saint- Cosmeの国際文芸批評学会で発表されていた氏が偶々この時期に日本に滞在中であり、こちらの依頼を快諾してくださったからであった。デュラスの親友のフェミニスト、グザヴィエール・ゴーチエは、ボンキー氏と知己の関係にあるという経緯もあって、氏の発表はデュラスおよびG.ゴーチエを中心とする女性の身体やセクシュアリティを問題とした70年代のフランス女性作家たちを対象とするものとなった。まずはじめに、68年前後のMLFのフェミニスト運動、性別やジェンダーというカテゴリーの廃止を提唱したモニック・ウイテグの異性愛主義を批判する女性神話論、子宮リビドー論などを概観したあと、主要テーマであるデュラスおよびG.ゴーチエにおける身体論を展開された。75年に彼女が主宰した研究誌『魔女Sorcière』への寄稿者は、Nancy Huston, Marguerite Duras, Julia Kristeva, Hélène Cixous, Danielle Sallenave, Françoise Dolto, Luce Irigarayといった名高い錚々たる女性作家たちであった。女性の身体に関するデュラスのジェンダー観、ナンシー・ヒューストンとG.ゴーチエの売春をめぐる見解の相違、女性性と母性に関するフェミニストたちの微妙な意見のズレなど、日本にいては理解し難いフランス・フェミニズム理論のエスキスを学ぶことができたのは、参加者にとって大きな収穫だったといえよう。
18:00 ~ 懇親会
研究会終了後、6時過ぎより日吉キャンパスにある東急デパート系のレストラン「ファカルティ」にて懇親会がおこなわれた。普段はなかなか難しいのだが、春休み中だったこともあり無事に予約が取れたうえ、奥の個室を用意してくれたので、値段の割に美味という評判のコース料理を囲み、落ち着いた雰囲気の和やかな会となった。大学での女性文学の授業について、昨今の教育システム事情、今後の研究会のあり方など豊富な話題に花が咲き、いつものように楽しく華やかな早春の宵のひとときを過ごすことができた。
(文責:西尾)
日時 2009年3月7日 14時~17時半
場所 慶應義塾大学・日吉キャンパス・来往舎2階会議室
14:00~15:45 発表1 松田祐子(研究会会員)
「ベル・エポックの新聞・雑誌が描くブルジョワ女性たち」
新聞王ジラルダンを輩出した19世紀半ばはジャーナリズムが隆盛を極めた時代であった。これに継ぐベル・エポックと呼ばれる1890年頃から第一次大戦までの時期もまた、製紙・印刷分野の専門技術の発展や識字率の向上に伴う読者層の拡大により、歴史上稀にみる新聞・雑誌の黄金時代を築き上げた。松田さんの発表は、ベルエポックが女性編集者やジャーナリストを輩出し、それまで上層貴族かブルジョワ男性の読者に限られていた雑誌が女性読者層を獲得していった画期的な時代であったことに着目したものであった。『ラ・フロンド』(マルグリット・デュラン主宰)、『フェミナ』、『ラ・モード・イシュルトレ』、『ラ・モード・プラティク』『ル・プチ・エコー・ド・ラ・モード』といった数多くの女性雑誌の成立過程と特色を当時の膨大な統計資料を駆使して綿密に調べ上げ、比較・検証をされた。とりわけ、女性雑誌が同時代の女性たちに及ぼした役割と意義、また女性読者が様々な懸賞付きのコンクールやアンケートを通して積極的に誌面に参加した事実について考察し、女性誌と女性読者双方の往還作用が女性たちの歴史・文化的心性を形成したことを見事に論証された。実際の統計資料に留まらず、モーパッサンやベランジェの小説に登場するジャーナリストに言及するなど文学的なデータにも依拠し、複合的な視点からベル・エポックのジャーナリズムと女性という大きなテーマに肉薄した研究発表は、執筆中のご著書の一部でもあっただけに、パワーポイントを使用しての説明はわかりやすく説得力に富み、普段より多くの参加者で満たされた会場に深い感銘を与えた。発表後は、多岐に渡る質疑応答が交換され、非常に充実した研究会となった。
16:00~17:20 発表2 Olivier Bessard-Banquy(ボルドー大学)
" Rapport aux corps et aux sens chez les feministes des annees 1970 ー M. Duras et X. Gauthier"
オリビエ・ベサール・ボンキー氏は本研究会の会員ではないが、フランス人による女性作家に関する講話は会員の興味を喚起し意義深いであろうという合意のもとに、例外的に発表をお願いした。なぜボンキー氏かといえば、昨年ツールのPrieuré Saint- Cosmeの国際文芸批評学会で発表されていた氏が偶々この時期に日本に滞在中であり、こちらの依頼を快諾してくださったからであった。デュラスの親友のフェミニスト、グザヴィエール・ゴーチエは、ボンキー氏と知己の関係にあるという経緯もあって、氏の発表はデュラスおよびG.ゴーチエを中心とする女性の身体やセクシュアリティを問題とした70年代のフランス女性作家たちを対象とするものとなった。まずはじめに、68年前後のMLFのフェミニスト運動、性別やジェンダーというカテゴリーの廃止を提唱したモニック・ウイテグの異性愛主義を批判する女性神話論、子宮リビドー論などを概観したあと、主要テーマであるデュラスおよびG.ゴーチエにおける身体論を展開された。75年に彼女が主宰した研究誌『魔女Sorcière』への寄稿者は、Nancy Huston, Marguerite Duras, Julia Kristeva, Hélène Cixous, Danielle Sallenave, Françoise Dolto, Luce Irigarayといった名高い錚々たる女性作家たちであった。女性の身体に関するデュラスのジェンダー観、ナンシー・ヒューストンとG.ゴーチエの売春をめぐる見解の相違、女性性と母性に関するフェミニストたちの微妙な意見のズレなど、日本にいては理解し難いフランス・フェミニズム理論のエスキスを学ぶことができたのは、参加者にとって大きな収穫だったといえよう。
18:00 ~ 懇親会
研究会終了後、6時過ぎより日吉キャンパスにある東急デパート系のレストラン「ファカルティ」にて懇親会がおこなわれた。普段はなかなか難しいのだが、春休み中だったこともあり無事に予約が取れたうえ、奥の個室を用意してくれたので、値段の割に美味という評判のコース料理を囲み、落ち着いた雰囲気の和やかな会となった。大学での女性文学の授業について、昨今の教育システム事情、今後の研究会のあり方など豊富な話題に花が咲き、いつものように楽しく華やかな早春の宵のひとときを過ごすことができた。
(文責:西尾)