“子ども”を取り巻く諸問題

育児・親子・家族・発達障害・・・気になる情報を書き留めました(本棚4)。

子どもの“偏食”対策

2025年01月05日 09時27分21秒 | 育児
以前“子どもの好き嫌い”を取りあげましたが、
「苦手な食べ物があるけど、体格も普通で元気に過ごせている」
子どもが対象でした。

今回は、
「苦手な食べ物があり、健康に支障をきたしている」
という、グレーゾーンから病的な状態までカバーする内容です。

子どもが食べられない理由・原因を医学的に評価し、
それを解消する方法を紹介します。


▶ 子どもが食べない3つの理由
1.かめない、飲みこめない
2.感覚が過敏か、鈍感
3.知らないから

(解説)
1.かめない、飲みこめない
食べるまでの動作は、
①食べ物を目で見て確認する、手を使い、箸を動かし、食べ物をつかむ
②口に入れる、前歯でかじりとる
③舌を使って奥歯へ食べ物を移動させる、奥歯で食べ物をすり潰す
④舌を使ってのど元へ送り込む、嚥下する(飲み込む)
の過程があるが、各段階が未発達の子どもはうまくできない。
うまくできない子どもは以下のものが苦手になる。
・硬すぎるもの・繊維が多すぎて噛み切れないもの
(例)繊維質の野菜、お肉、きのこ、魚介(タコ・イカ)など
・水分量が少なすぎてパサパサしているモノ
(例)パン、カステラ、焼き魚など
・のどや口腔内に張り付きやすいもの
(例)のり、海藻類、キュウリ(薄切り)、ウエハース、モナカの皮など
・粘りが強すぎてのどに詰まりやすいモノ
(例)お餅、お団子、イモ類など
・水分量が多く、口の中でばらけてまとまりにくいモノ
(例)かまぼこ、コンニャク、リンゴなどの果物など
・細かすぎて気管に入ってしまいやすいモノ
(例)みじん切りの野菜、ひき肉など

食べる動作の発達レベルは以下でチェック可能です。


 → 口を閉じることができない子どもの練習方法
・ストローを使って、好きな形に切った折り紙を吸い上げる
・おもちゃの笛を思いっきり吹く
 → 舌をうまく動かせない場合
・くちびるにジャムなどを塗り、それを舐め取る

2.感覚が過敏か、鈍感
感覚過敏、感覚鈍麻などは発達障害(神経発達症)の一種である自閉スペクトラム症(ASD、対人関係が苦手で強いこだわりがあるとされる)の傾向がある子に多く見られ、ASD児には偏食が多い。ただし、五感には個人差が大きい。
(例)
・人より味を強く・薄く感じる。
・天ぷら・揚げ物の衣が口の中に刺さる感じがして痛い。
・もっちりした食感が気持ち悪い。
・料理の見た目がグロテスクに見える。
・少しの音が気になって集中して食べられない。
・哺乳瓶、スプーンなど、食器類の触った感じが気持ち悪い。
・口周りを触られることに強い嫌悪感がある。
・内臓の感覚が鈍感で空腹を感じない。

3.知らないから
子どもがある食材を食べるようになるまでの道程は、
1知らない → 2知る → 3興味を持つ → 4触れる → 5食べる
という壁を乗り越えて達成します。
対策は、食材に触れる機会を増やすこと。具体的には、
① 食材当てゲーム(目隠ししてニオイで当てる、触って当てる)
② お買い物で食材をかごに入れてもらう。
③ 食育関連の絵本を読む。
④ 家庭菜園や果物狩り
⑤ 釣り、魚のつかみ取り

▶ 好き嫌い・偏食を加速させるNG行動3つ
1.緊張感のある食卓
2.子ども主体のメニューになりすぎる
3.おやつの時間、食べ終わる時間に一貫性がない

(解説)
1.緊張感のある食卓
・食べないと怒られるかもしれない(ビクビク・ピリピリ)。
・「残さず食べなさい」はNG → 「食べきれなかったら残してもいいよ」
・まず親が「食事は楽しい」ことを見せる、親のイライラや焦りはマイナスポイント。

2.子ども主体のメニューになりすぎる。
・“子どもの言いなりメニュー“はNG、子どもの食が広がらない。
・“特別な日”ならOK、でも日常的にはNG。
・メニュー決めの主導権は大人が握るべし。毎回子どもの言いなりメニューでは、大人側の疲弊と不満が溜まりがち。

3.おやつの時間、食べ終わる時間に一貫性がない。
① 食べたいときに食べられるおやつでは、1日3回の主食を食べられなくなる。対策として、
・おやつをあげるときのポイント;
✓ 袋出しは避け、お皿に出してからあげる。
✓ エネルギー量が少ないモノに置き換える
・小さい子の場合には;
✓ お菓子はできるだけ子どもの手に届かないところに置く。
✓ 必要以上に回おきをしない。
・ある程度子どもが大きくなってきたら;
✓ お菓子の食べ過ぎが体の成長にはよくないことなどを伝える。
✓ お菓子はどれくらいまでにするか、親子でルールを決める。
②ダラダラ食べをやめる。対策として、
・食事の時間は30分が目安。
・子どもに「まだ食べたい?」と聞いて頷くなら延長OK(ただし1回まで)。
・食べるのが極端に遅い子どもは食べる機能(口腔機能)を要チェック。

以上に問題がなくても食べてくれない場合は「すでに好きなモノでお腹いっぱい」になっている可能性あり。
好きなモノだけ平らげて、他の食材にたどり着く前にお腹いっぱいなので箸が止まる。
 → 今食べられるものの提供量を減らす。食事内容の割合は「好きなモノ:苦手なモノ:ふつう=1:1:2」が目安。


<参考書籍>
・「偏食の教科書」(山口健太著、藤井葉子監修、青春出版社)

子どもの“好き嫌い”への対応

2025年01月01日 19時48分23秒 | 育児
乳児検診に出かけていって、
お母さんの心配事のビッグ2が「かんしゃく」と「偏食」です。

偏食について深めたいと考え、現在情報収集中です。
まずはYouTube動画のレクチャーから拾ってみました。

(注意)発達障害系の特性がある子どもは、「感覚過敏」「こだわり」「食感が苦手」「ニオイが苦手」などが前面に出てくることがあり、紹介する方法では解決できない場合があります。主治医にご相談ください。

<ポイント>
・ヒトは甘み・うま味・塩辛い味は脳が本能的に「おいしいもの」と認識し、苦みと酸味(すっぱい)は脳が本能的に「危険なもの(毒・腐敗物)」と認識する(⑫)。
・2歳児の50%が偏食とされているが、これは異常ではなく本能であり、発達段階における“自己防衛行動”である。「この食べ物は危険ではない」ことがわかると口にするようになる(①)。
・食べる以前に“その食べ物に慣れさせる”ことが大切、聴覚・視覚・嗅覚に訴えて興味を持たせる工夫をする(①②)。
・調理を工夫して食べさせる試みは、5回以内であきらめてはいけない、10〜20回(①)出し続けると成功率が上がる(⑬では30-50回と紹介)。
・苦手な食材の価値を下げる行為は避ける;“ご褒美形式“は、その食べ物の価値を下げるイメージを植え付けてしまう(①)、子どもの偏食に関する親の会話を子どもに聞かせない・・・“自分は〇〇がキライ”というイメージを植え付けてしまう(②)。
・苦手な食材克服その1“選択ボード作戦”・・・調理法を書き並べたボードを用意し、子どもに選ばせると興味が湧いて食べる確率上昇(⑥)。
・苦手な食材克服その2“お手伝いエプロン作戦”・・・こども用のエプロンを用意し、調理(無理な場合は配膳でも可)に参加させると興味が湧いて食べてくれる確率上昇(⑦)。
・実際に食べさせる際に「食べやすいかどうか?」という視点も必要(②)、味ではなく調理法(バラバラになりやすいか?)や食感(例:固い食べ物、ヌルッとした食べ物、パサパサした食べ物)が嫌いな場合もある。
・「一口だけ食べて」は賛否両論・・・ハードルが高い(①)、繰り返して安全であることを保障する(⑬)。
・“ささくれ作戦”・・・食材を指先のささくれより小さくカットし、それを1個食べられたらほめる(③)。
・食卓・椅子に座ろうとしない子ども対策その1“食券作戦”・・・その子用の特別な食券を作りお店屋さんごっこを演出する(④)。
・食卓・椅子に座ろうとさえしない子ども対策その2;“お手伝い作戦”・・・ちょっとしたお手伝い(箸を並べる、ソース・ドレッシングを置く)をさせて参加させると俄然興味が湧く(⑤)。
・自分で食べようとしない子ども(食べさせて〜)対策は“くじ引き作戦”・・・食べ物の絵や名前を書いた紙を箱に入れ、くじを引かせると「自分で選んだ」感が生じて食べてくれる確率上昇、子どもが使う食器を一緒に買いに行き選んでもらうだけでも効果あり(⑧)。

・・・要するに、
・食材になれさせる。
・子どもが主役の食卓(食事環境)を提供する。
ことに尽きるようですね。

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・2歳児の50%が偏食とされており、これは異常ではなく本能である。
・偏食が始まる時期は1歳〜1歳半であり、行動範囲が広がる時期に一致する、何でも食べてしまうと危険であるから、自分の身を守るために食べるものを子どもなりに取捨選択する行動が、大人から見ると“偏食”になってしまう傾向がある。
・本能的に避けている場合、その食べ物が危険でないことがわかれば、子どもは食べるはず。
・ある食材を食べなくなった2歳児に対して、母親はあの手この手で工夫して食べさせようとする、しかし5回程度であきらめてしまう。某研究ではめげずに10〜20回出し続けると「その食材は危なくない」と認識が変わり食べる確率が上がると報告されている。
・偏食は大人の忍耐力と粘りで解決することがままある。「この子は〇〇は食べないんだ・・・」とあきらめないことが大切。
・「〇〇(苦手なもの)を食べたらおやつを食べていいよ」というご褒美形式は子どもの偏食を悪化させる可能性がある。〇〇という食材が価値が低いものというイメージを植え付けてしまい、食べたくなくなってしまう。
・食卓以外の日常生活の中で、苦手な食材と接触する機会を増やす。買い物に行って子どもに選んでもらう、買ってきた食材の絵を一緒に描く、など。すると子どもはその食材に慣れてきて危険でないと思うようになる。

(例)ピーマン
・ピーマンが苦手な子どもにピーマンの肉詰めを出すが子どもは食べない・・・親はピーマンの味が嫌いだと思いがちだが、実はピーマンの肉詰めの食べにくさが苦手だったりする。ピーマンの肉詰めを食べているとピーマンと肉がずれてしまい、落としたりしてしまいがち。この場合の解決法は、調理法を変えること、細かく刻んだり、ミキサーにかけたり・・・すると単純に“食べやすくなる”から食べるようになる。
・「一口食べてごらん」は結構ハードルが高い言葉。絶対に食べたくないものを「一口」と言われても、それは恐怖以外の何者でもない。
・苦手な食材を勧めるときは、聴覚・視覚・嗅覚に訴えて興味を持たせる工夫をする。例えば料理前のピーマンの形を子どもと一緒に触って観察する、ニオイを嗅ぐ、調理後のピーマンのニオイをまた嗅いで違いに気づいてもらう、ピーマンを食べるときの音を聞いてもらう、など。子どもがピーマンに興味を持てば、「舐めてみる?一口食べてみる?」のハードルが低くなるはず。
・両親が子どもの前で「この子最近、ピーマンを食べないのよ」という内容の話はタブー。大人の会話は子どもにとって重いもので、それを聞いた子どもに「あ、僕はピーマンが苦手なんだ」とダメ押しをしてしまう。ネガティブな会話ではなくポジティブな会話を聞かせよう。

・苦手な食べ物をムリして克服する必要はない(他の食材で栄養が補充可能、子どもの食事は楽しさ・うれしさが大事)。
・(ささくれ作戦)指先の“ささくれ”より小さくカットし、それを真っ白なお皿の上に一粒だけのせ、「こんなに小さいねえ〜」と声がけしながら大人と一緒に食べる、食べられたら褒める、おかわりできるなら同じ事をもう一度くりかえす、食べられたら褒める、成功体験になり子どもに「自分は苦手な〇〇が食べられた!」と自信がつく、次のステップは少しずつ大きくカットして出していくと食べてくれる確率が上がる。

食券を使い、“お店屋さんごっこ”を演出する。
・「食券を渡すとご飯が出てくるから使ってね」と事前に用意する。丁寧に作るのがコツ。
・食券には「〇〇くんのカレーライス」など、名前を入れると「自分だけのための特別なチケット」になり、子どもの興味を引く。
・食券依存が心配になるかもしれないが、繰り返すと食券にはいずれ飽きて卒業する、その頃には“ご飯の時は食卓に座る”習慣が自然に身についているはず。

・子どもが席に着かない理由:自分に関係なく用意された環境なので興味が湧かない。過程に係わると俄然興味が湧くので、ちょっとだけ手伝ってもらう。
・お手伝いの種類は、料理を手伝うのはハードルが高いので、お箸を出して並べてもらう、調味料(ソース、ドレッシング)を置いてもらう、などが入りやすい。

・食べる・食べないの前段階として、まず興味を持ってもらうことが大切。
・苦手な野菜の味を嫌がっていることが多いが、食感や調理法など“なんとなくイヤ”と避けている場合もある。
・(選択ボード作戦)自分の好みの調理法を選択できるようにボードを作り(あつく・うすく、こいめ・うすめ、やわらかい・かたい、フォーク・スプーン、小さい・おおきい、やく・ゆでる等)、選んでもらうと料理自体に興味を持つとともに“自分が主役”になるので食べてくれる率が上がる。

・ポイントは、苦手な食材に親しみを持ってもらうこと。
・(お手伝いエプロン作戦)子どもの“手伝いたい”気持ちを上げる効果がある。エプロンをして料理のお手伝いをしてもらう。
・低年齢で料理が危なかったら、配膳を手伝ってもらうだけでも十分。
・料理に参加してつくる体験をすることで、苦手な食材に親しみ・愛着が湧く。

・自分で食べようとしないとき、「食べなさい」という指示や命令ではなく、子どもに「自分で決めた」という意識を持ってもらうことが大切。
・(くじ引き作戦)食事のメニューを書いた紙を箱の中に入れ、くじ引きで自分が引いたものを食べるルールを作ると、「自分で決めた」という意識を持ちやすくなるため、自ら進んで食べてくれる確率上昇。
・子どもがつ書く食器(箸、スプーン、お皿など)を一緒に買いに行き選んでもらうだけでも効果あり。

・スプーンやフォークが苦手な子どもには“遊び感覚の練習“がお勧め。
・(スプーン・フォークで運びごっこ)スプーン、フォーク、2cm角にカットしたスポンジを用意し、親子で皿から皿へ運ぶ遊びをして、楽しみながら練習すると苦手を克服できる。ていねいに運ぶとか、はやく運ぶとか、設定しても良い。
・うまくできたらたくさんほめて、うまくできなくてもがんばった姿をほめてあげましょう。
・成功体験を積み重ねることで、自信がついて自然と身につきます。

・食べることに対する集中力が続かないことが原因であることも多い。
・集中力を切らさずに食事を続けれもらう“どんぶり作戦”・・・残してしまったご飯類を別の器に移し替えて“どんぶり”を作りましょう。
・器を買えることで気持ちがリセットされ、食事に対する集中力が戻ります。

前提として、「全部食べなくても大丈夫」というスタンスでないと親の余裕がなくなって「食べる楽しみ」がなくなり親子ともどもストレスが生まれがち。
・「食べる」「食べない」の前においしさやどんな味かを話す → 「〇〇、おいし〜い!」
・あ〜ん、をして食べさせるときは、口に入れるまでの動きにいろいろなバリエーションを用意する → 「次は飛行機?車?」
・子どもが好きなキャラクターの話題で食事の時間も楽しく → 「ア〜ン、パンチ!でバイキンマンをやっつけよう!」
・少しでも多く食べて欲しい場合は、量を減らした上で、自分で選べるようにする → 「半分この、どっちを食べる?」
・ただ食べなければならない、というわけではなく、「自分のために言ってくれているんだ・・・と思わせる → 「おいしいから、ちょっとだけ食べてみる?」
・「ほめる」というより、食べられたという「事実」を伝えて次の自信につなげていく → 「お!食べられたね!」
・苦手だとわかっているものは最初から少ししか入れない、ハードルを下げて上げる → 「これで最後!!」
・あまり量を食べない場合は、最初から少な目に盛り付けて、全部食べる達成感を味わえるようにする → 「おかわりしよっか?」

・甘み・うま味・塩辛い味は脳が本能的に「おいしいもの」と認知し、苦みと酸味(すっぱい)は脳が本能的に「危険なもの(毒・腐敗物)」と認知する。
・思春期になれば食べる食材の種類が自然に増えるので、元気にしていればあせることはない。


1.「ひとくち食べてね」を30〜50回繰り返し続ける(この食べ物は安全と認識させる)。
 → 苦手な食べ物を出さないようにする、見えないように調理するのはNG。
2.嫌いな食べ物の価値を上げる。
 → 嫌いな食べ物の悪口を言うとさらに嫌いになるのでNG。
 → 嫌いな食べ物を食べたら好きな食べ物をご褒美にあげるのもNG。
 → 価値を上げる言葉の例;
「ニンジンを食べたらカゼを引かないよ」
「ピーマンはバイ菌をやっつけるパワーをくれるよ」
「お肉を食べたら髪がつやつやになるよ」
「ご飯を食べたらしっかり元気に走れるよ」
 → 子どもにとって神レベルの食べ物になったら食べてくれます。
3.たんぱく質をコツコツ摂取
・偏食の原因のひとつに“たんぱく質不足”がある。たんぱく質が不足してくると、消化酵素の作られる量が減ってしまうので「お肉が嫌い」「魚や卵が苦手」となりがち。また、肝臓の機能も低下して、臭いに敏感になる( → 魚の臭いがキライ)。
・肉・魚・卵・乳製品・大豆を積極的に摂りましょう。乳製品しか食べない子どもはカルシウム・マグネシウムのバランスが悪くマグネシウム不足になりがちなので海藻類・種実類・青菜類を一緒に食べさせましょう。
4.「あいうべ体操」をする。
・偏食の原因の一つに「食感がキライ」がある(例:固い食べ物、ヌルッとした食べ物、パサパサした食べ物)。
 → 味が苦手なのではなく、食感が苦手で食べられないパターン。
・赤ちゃんの時にあって成長とともに消えていく原始反射(柔らかいものだけ食べる)があるが、その中の「探索反射」が残っていると口の周りが敏感になり上記の食べ物が苦手になる。原始反射を消すための訓練が「あいうべ体操」。
(あいうべ体操)
 大きく「あ」 → 横に「い」 → 前に突き出して「う」 → 下にベロを出して「べ」
 ・・・これを3-5回で1セット、1日3セットが理想。
★ あいうべ体操は表情筋が鍛えられるので、ほうれい線予防、肌のハリを与える、等のメリットがあり、親子で行うことをお勧めします。

・食育専門モンテッソーリ教師、いしづか かな先生
・「子どもを知って受け止める、そして安心させて上げる」
・まずは3つの生活習慣に注目して子どもを観察しましょう。
 ✓ 睡眠は十分か
 ✓ おなかが空いているか
 ✓ 体の調子(便秘など)は悪くないか
 上記+「食事に集中できる環境か」も大切。
・解決しない場合は他に原因がないか考えるが、子どもの“食べない理由”はたくさんあり、“子どもの個性”という側面も;
 ✓ 感覚過敏;臭いを強く感じたり、口の中に入れたときの味が刺激的に感じたり。
 ✓ 発達の問題;噛む力が未熟、うまく飲み込むことができない等。
 ✓ 胃が小さい;ヒトはストレスがかかると胃が小さくなる。
・“子どもの気持ち“を考える。食べられない、食べたくない子どもに「食べて」と言われるのはつらい。
・食卓を楽しい雰囲気にして、子どもの「食べてみたいな」という気持ちを育みましょう。
・子どもと食べ物をつなぐ工夫として、一緒に買い物をする、一緒に料理をする、など工夫をしてみましょう。


<番外編>


親ガチャ、教育虐待、毒親…

2024年12月16日 06時54分11秒 | 教育
私の両親は戦争中に生まれて育ちました。
青春も夢も、戦争に奪われた世代です。
その親は、自分が果たせなかった夢を私に託しました。

そこそこ成績のよかった私は、
親の期待に応えるよう勉強に精を出しました。
初めは喜んでくれる親の顔を見るのがうれしかったのですが、
成績が悪いと両親は不機嫌になるので、
できない自分は認められていない、と感じるようになりました。

それを繰り返すうちに、自分の中で何かが変わっていきました。

思春期にさしかかると、親の期待が重荷に感じるようになりました。
でも、結果を残すと自分でも楽しいので努力は続けました。
親が喜ぶと「あなたが頑張ったのではない、頑張ったのは私だ」
と心の中でつぶやくようになっていました。

高校生になり、進路を決める際、
私は文化人類学や民俗学に興味があったので文系を志望しました。
しかし父親は「医学部でなければ学費は出さない」と言いました。

悩んだあげく、最終的に私は医学部を受験・進学しました。
葛藤を抱えながらも、あの頃はまだ「親の悲しがる顔を見たくない」という気持ちが勝ったのです。

あれから40年が経過しました。
還暦を過ぎた今、自分の人生を振り返ると、
「これは自分の人生なんだろうか?」とふと思うことがあります。
宮本常一のように日本中を巡り、古層文化を掘り起こしたり、
ジャレド・ダイヤモンドのように世界中フィールドワークで巡り世界の文化を比較したり、
そんな人生を夢想してしまいます。

近年「毒親」という単語が生まれました。
「親の思い通りに子どもを操ろうとする親」
「子どもの人権を認めない親」
時代背景もありますが、私の両親にもその要素があったと感じます。

こんな記事が目に留まりました。
本の制作に関わる編集長の壮絶な人生談です。

虐待を受けていた子どもが学校へ行くと熱が出て保健室登校、
病院へ行くと「自律神経失調症」と診断され、
親は「甘ったれ病」と解釈…
現在とちっとも変わりませんね。


▢ 教育虐待で15歳で家出し、セックスを対価に男の家で食いつないできた70歳の私が「毒親育ち」に言いたいこと〜それでも自分を「かわいそうな子供」とは思わない
原田 純(径書房代表)
2024/12/15:PRESIDENT Online)より一部抜粋(下線は私が引きました);

「毒親」や「親ガチャ」という言葉が聞かれるようになって久しい。親の負の側面を受けて育った子供は、どうすれば生きづらさから抜け出せるのか。厳格な父に反発して高校を中退し、15歳で家出した径書房代表の原田純さんが、自身の壮絶な半生を書く――。

▶ 自分の思い通りに育てようとした父
キックボクシングを習い始めた。週に2回、グローブを着けてサンドバッグを叩いたり蹴ったりしている。
70歳の私が健康維持のために始めるなら、もっと年齢にあったエクササイズを選ぶのが普通かもしれない。だけど私は、もの心ついたときから負けん気が強く、後先を考えずに突進する乱暴者だった。
子どものころから、行くなと言われればますます行きたくなって、一人で遠くまで行っては迷子になっていた。男の子数人を相手に取っ組み合いの大喧嘩をしたり、230メートルの薄暗い電車専用トンネルを一人でこっそり歩いて抜けてみたり。勝ち目があろうがなかろうが、怖いと思えば思うほど突き進むタイプ。はっきり言ってバカである。
これは、そんな私を自分の思い通りの娘に育てようとした親と、それに逆らい続けたじゃじゃ馬な私の、壮絶な戦いの物語である。
私の父は、当時ちょっと名の知れた編集者だった。ことあるごとに反戦平和・自由・平等を口にする、いわゆる「良心的左翼文化人」とされていた人だ。

▶ テレビは禁止、クラシックとピアノと絵の習い事…
ところが、父が好んだのは禁止と管理。テレビは下劣で下品。あんなものを観ていたらバカになると言って禁止。クラッシック以外は音楽ではないと言って、歌謡曲も洋楽も禁止。文化的素養を身に付けさせようとしたのか、ピアノや絵を習わせた。習い事をしている子どもなど、まだほとんどいない時代だ。父は私を、利発な優等生にしたかったのだ。
けれども私は、大人しく親の言うことを聞くような子どもではなかった。東京郊外の、多摩丘陵を宅地化した新興住宅地。まわりは里山。私は、近所の男の子たちと丘陵を駆け回って木に登り、茣蓙ござを尻の下に敷いて急斜面を滑り降り、藪に分け入ってキイチゴを採ったりキノコを採ったり、田んぼでは泥だらけになってタニシやザリガニを採っていた。自由奔放、お転婆のかぎりをつくしていたのだ。

▶ 筆者提供小学3年生のとき
さっさとあきらめてくれればよかったのだ。だが父は、そんな私をますます厳しく調教しようとして、門限を決め、ピアノのお稽古は毎日1時間と決めた。おかげで、私はますます叱られることばかりするようになった。父に内緒でテレビを盗み見たり、友だちと遊びたくて門限を破ったり、お稽古をさぼったり。バレたら怒られるので、嘘をついたり、ごまかしたり。友だちみんなが持っているのに、絶対に買ってもらえない匂い消しゴムや紙石鹸を万引きしたり。

▶ 「ブタ野郎。出て行け。今すぐ死ね!」
子どもだった私の悪事はすぐにバレる。黙って見逃せば父に厳しく叱責される母は、私の悪事を余すことなく父に報告。おかげで私は、毎日のように父に怒鳴られ、しまいには、叩かれたり蹴られたりが日常となった。
学校に行くと熱が出て、保健室に入りびたりになったのはこのころだ。連れて行かれた東京女子医大での診断は「自律神経失調症」。そんな病名、当時は誰も知らなかった。父と母は、それを「甘ったれのわがまま病」と解釈。娘の根性を叩き直すしかないと思ったのだろう。私に対する父の「しつけ」は苛烈さを極めていく。
初めは防御する一方だったが、いつしか私は、父に殴られると応戦するようになっていた。殴り合いの大喧嘩である。どんどん厄介なことになっていく。
業を煮やした父は、「ブタ野郎。出て行け。死ね。いますぐ死ね!」と絶叫して、私を玄関のたたきに蹴落としたりする。家から出されても行くところなどない。しかもまだ中学生だった私は無一文。何度も、夜の住宅地をさまよいながら泣いた。悲しかったし悔しかった。しばらくすると、父が探しに来て私の腕をつかんで連れ戻す。「一人で生きられもしないくせに」とあざ笑う父。私は、歯噛みをするような屈辱感を味わっていた。

▶ 父の欺瞞に気づくことができなかった
「学校の成績などで人の価値は測れない」と言う父は、私の成績が下がるたびに「怠けている」と言って私を責める人でもあった。成績など重要ではないと言うくせに、娘の成績が下がることは許せない。まだ中学生だった私は、父の欺瞞に気づくことができず、成績が下がるたびに、背筋が凍るような恐怖を感じていた。「父の言う通り、私は怠け者のブタ野郎かもしれない」という、自分に対する疑いを打ち消すことができなかったからだ。
・・・
そんな私の唯一の逃げ場が本だった。本さえ読んでいれば、成績が悪くても大丈夫だと思っていた。父が編集者だったから、家には腐るほど本があった。片っ端から読んだ。意味がわからなくても読んだ。活字を追っていれば、すべてを忘れることができた。
中学3年になったころ、大学で始まった大学紛争に同調する若者たちが、燦々囂々集まって、新宿駅西口広場で反戦歌や革命歌を歌っていた。フォーク集会である。
私が産まれたとき、両親はともに共産党員だった。その後、2人とも共産党から抜け、当時、父は「ベトナムに平和を!市民連合=べ平連」の運動に参加していた。好むと好まざるとにかかわらず、私は、左翼思想にどっぷり浸かって育ったのだ。

▶ 14歳で新宿にたむろするように
初めて一人で新宿へ行った。西口広場は若者であふれていた。知らない人たちに囲まれて、私は大声で反戦歌や革命家を歌った。連れて行かれたメーデーや、家に来る父の仲間たちが歌っていたから、どの歌もよく知っていた。「いくつ?」と聞かれ、「14」と答える。みな驚いたような顔をする。自尊心をくすぐられた。
何度か新宿に足を運び、知り合った中学生から、「全国中学生共闘会議」を立ち上げるからと言って誘われた。当然、参加すると答えた。家庭にも学校にも馴染なじめなかった私は、初めて仲間と呼べる人たちと出会えたような気がしていた。
・・・
高校受験。私は、公立高校の入学試験に落ちた。補欠だったと嘘をついた。すぐにバレた。母は泣いていた。結局、私はランクが下がる私立高校に入ることになった。入学金が高かったせいで、父と母は「お前のためにいくら金を使ったと思っているんだ」と言って、ことあるごとに私をなじった。情けなかった。
入学したのは、「自由や自主性を重んじる」が謳うたい文句の高校。私服通学が許されていた。だが私は、唯々諾々、喜んで私服を着て行く気になれず、中学のときに着ていた制服を着て入学式に出た。どこまでも反抗的なへそ曲がりである。

▶ 高校を中退し、15歳で家出
高校は電車で一駅のところにあったが、私は、多摩丘陵の林のなかを一時間ほど歩いて通うことにした。途中、牛がいたり花が咲いていたりする。そのたびに私は立ち止まり、牛を眺めたり、花の匂いを嗅いだりする。当然、遅刻。
入学して15日目。私はとうとう高校に行かなくなった。ぐずぐず歩き、始業時間よりかなり遅れて高校に着くと、そのまま校舎の前を通り過ぎ、隣接する大学の学食に行く。そこで時間を潰し、夕方になるとまた林のなかを歩き、何食わぬ顔をして帰宅した。当然、バレる。出席日数15日。一学期の終わりに渡された通知表には、赤ペンで書かれた「無評価」という文字が並んでいた。
父は、「学校に行かないなら家を出て、一人で生きろ」と言った。本当に出て行くとは思っていなかったのかもしれない。だが私はさっさと家出。新宿で知り合った学生から教えられた大学の寮に転がり込んだ。そのころ、大学の寮は出入り自由。誰からも咎められることはなかった。投げ出されていた汚い布団に包まり、空き瓶を拾い集めて金に換え、180円のアジフライ定食を食べて数カ月を過ごした。
そこで私は初めてセックスをした。相手の男が好きだったわけではない。怖気づいていると思われたくなかったのだ。男の体の下で「セックスなんてたいしたことではない」という顔をしていた。15歳だった私は、そうやって自分を守っていた。
あとになって、相手の男が「あいつはマグロだ」と言っていると聞き、そうか、ああいうときは、感じたふりをしなければいけないのかと知った。それぐらい無知だった。

▶ セックスは寝床の対価だった
それからも、家に帰りたくない一心で、声をかけてきた男のアパートに転がり込んだりした。食べさせてもらい泊めてもらう。セックスはその対価。これで貸し借りなしだと思っていた。馴れ馴れしくしてくる男の手を振りほどき、「私にかまわないで」と言う。男はとたんに不機嫌になって「そんな女だとは思わなかったよ」と吐き捨てる。「どんな女だと思ってたのよ」と言いながら、私は唇をひん曲げて笑う。体を投げ捨てるようなセックス。二度と会うこともない男たち。たがいに軽蔑を見せつけることで、脆弱な自尊心を保っていた。
「……遊郭をひやかす。写真を見てもみな頗る醜悪なり。格子の奥にタバコを吹かす女、あたかも白粉樽にころがる半腐爛の豚のごとし。路地にも肥料のごとき異臭あり」
これは、山田風太郎の『戦中派不戦日記』のなかの一節。私の祖父が経営する「久保田楼」という女郎屋は、山田がひやかしたこの遊郭のなかにあった。父はここで青年時代を過ごし、赤線が廃止になったあとも家業を深く恥じていた。
その反動だろう。父は、自分の家庭に性的な匂いが入り込むことを極端に嫌った。母には、化粧をすることも半袖を着ることも許さず、ミニスカートを履いた私を、ものすごい勢いで殴りつけた。修道院のような家庭にしたかったのだ。
・・・
▶ ついにたった一人になってしまった
それなのに、娘の私は高校を中退して家出。不敵な顔をして不純異性交遊だ。これもまた、私なりの父への反動だったのだろう。反動から反動へと極端に揺れ動く。父と私はよく似ていた
だが父は、そんなふうには考えなかった。「お前は人間じゃない。メス犬だ。お前とは親子の縁を切る。お前は、お前が生きるに相応しい場所へ行け」と言って、新宿の「風林火山」という店の場所を私に教えた。その店の周辺は、当時、売春婦が立ちんぼをしていることで知られていた。父の言葉を冷めた思いで聞きながら、私はここでもまた、唇をひん曲げて笑っていた。
全国中学生共闘会議の流れで知った、ノンセクトの高校生グループ「暫定フラクション」の集会や勉強会に参加した。けれども私は、革命など起きたら真っ先に粛清されるような人間だ。リーダーから「これはお遊びじゃないんだぞ。真面目に革命を目指す気がないなら出ていけ」と言われてパージ。追放である。おっしゃる通り。社会に対する不満はあったが、革命なんて絵空事だと思っていた。
それでも私は、このとき、帰属するものも友だちもすべて失った。完全に孤立。誰にも頼れない私は、優しくしてくれる男だけに頼るようになった。

▶ ゴールデン街で一番酒癖の悪い女
相手の男は何回か変わったが、男のアパートに転がり込んでなんとか食いつなぐ生活から抜け出したのは、17歳になった直後だった。「アルバイトをしないか」と声をかけてくれたスナックのマスターが、アパートを借りる金を貸してくれたのだ。なにもないアパートの畳の上で、大の字になって解放感に浸った。やっと一人で生きて行ける。心底、嬉しかった。
男との縁は切れたが、アルコールに溺れた。毎日、浴びるように飲んだ。酔うと大泣きすると店のマスターが教えてくれたが、記憶はなかった。その店を皮切りに、バーやクラブを転々とし、最後は銀座のバーに勤めた。22歳になっていた。
銀座に移ってからも、酒はやめられなかった。店がはねてから、毎晩、新宿のゴールデン街に行く。一人で何軒も梯子して、へべれけになるまで飲む。それが日課だった。
一人で飲んでいると、いろいろな男が声をかけてくる。ゴールデン街のママやマスターが「純に触るな!」と言ってくれるが、それでもしつこい男がいる。かまわれたくない私は、突然、激高し、ビール瓶をたたき割って相手の男に突きつける。「ゴールデン街で一番酒癖の悪い女」と言われるようになっていた。
・・・
▶ ある日、アメリカ旅行に誘われ…
そんな私にも、店をやらないかと言ってくれる人がいる。なぜかわからないが、水商売に向いていると言われた。だが、店をやる気にはなれなかった。山椒魚のように、一生、カウンターの中から出られなくなりそうな気がしていた。
ある晩、店の客が、「アメリカ行きのツアーに突然キャンセルが出て困っている」と言って駆け込んできた。「格安にするから。行き帰りだけで、あとは自由にしていいから」と言われ、その気になった。景勝地や観光地には興味がなかった。人間が見たいと思ってニューヨークに行った。
といっても、昼間から酒を飲んで、ニューヨークの街をふらふら歩いていただけだ。奇抜な服を着た人や、ボロボロの服を着た浮浪者みたいな人が行き交っている街は、どこか自由で肌に馴染んだ。それでも、強く印象に残るものはなにもなかった。まあ、面白かったという程度の感想で、帰りの飛行機に乗り込んだ。
ところが、飛行機が離陸を始めたとき、突然、「もう一度、ここに来なければならない」と強く思った。自分でも驚いた。理由がまったくわからなかったからだ。それでも、久しぶりに目的というものをもった私は、理由がわからないまま、それを「天啓」と名付け、1年後、再びニューヨークに降り立った。

▶ それは、帰りの飛行機の中で起きた
なぜ、もう一度ここへ来なければならないと思ったのか。自問しながら、1年前に歩いた道を残らず歩いた。この街にあったなにかが、私を強く惹きつけたはずだ。それはなんだったのか。いくら歩いても、いくら考えてもわからなかった。大事なものをつかみ損ねたという失望を抱え、再び帰りの飛行機に乗った。成田までの直行便だった。
3カ月近くアメリカにいて、そればかり穿いていたので、私のジーンズはボロボロだった。臀部が大きく破れ、下着が見えていた。それでもニューヨークには、眉をひそめる人も、じろじろ見る人もいない。だから私は、下着が見えていることなどほとんど忘れて、そのままの恰好で飛行機に乗り込んだ。
・・・
ニューヨークを発った飛行機は、どんどん日本に近づいていく。あと数時間で日本に着くというとき、私の心に奇妙な変化が起きた。下着を見せて歩いていることが、急に恥ずかしくなったのだ。
乗客は、ニューヨークから成田までずっと一緒だった。搭乗したときは少しも恥ずかしくなかったのに、なぜ私は恥ずかしくなったのだろう。ここにはなにかある。考えなければならないなにかがある。そう思いながら私は、ジーンズの破れを隠すため、上着を腰に巻き付けて日本に戻った。

▶ 私を軽蔑する目は、父母の目だと思っていたが…
それから数日、私は、そのことを考え続けた。突然、わかった。
目だ! 私はベッドの上で起き上がり、ここ数日、考えていたことを復唱した。「飛行機の乗客は、ニューヨークから成田までずっと一緒だった。だから私が恥ずかしくなったのは、乗客の視線が原因ではない」。それから私は、おもむろに付け足した。「私が恥ずかしくなったのは、私を見る、私の目が変化したからだ
私を見る目。私はそれを、ずっと自分の外にあるものと思っていた。私を非難し、断罪し、軽蔑する目。それは父の目であり、母の目であり、世間の目だと思っていた。違う。私のなかに、私を見る目がある私を非難し、断罪し、軽蔑する目は、私の中にある私の目だ。
いまならわかる。それは価値観の内面化だ。父や母や世間の価値観。その価値観は、私を問題児と決めつけ、堕落していると決めつけ、まともに生きることができない人間と決めつけていた。反発しているつもりだった。私はそんな人間ではないと、叫んでいるつもりだった。だが、なんのことはない。私は、そのような価値観を内面化し、自分のことを、堕落したどうしようもない人間と決めつけて断罪していたのだ。

▶ 2つの人格が統合され始めた
つきものが落ちたような感じだった。そうだったのか。そういうことだったのか。私は世間や両親の価値観を批判しながらも、それを打ち消すことができずにいた。それなら私は、堕落した人間のクズではないのか。いや、そうではない。私は確かに堕落した人間のクズだった。自分でもそれを知っていたのだ。
私の中で、分裂していた2つの人格が統合され始めていた。私をクズと決めつける世間や親に牙をむき、その価値観を否定しようと躍起になって抗っていた自分と、「お前はクズだ。生きる価値などない」と、誰よりも厳しい声で私を責めたてるもう一人の自分。この2人の激しい抗争が、私を破滅へと導いていた。対立する2人の自分の狭間で、私は自分を見失い、自分がなにを望んでいるのか、なにがしたいのか、まるでわからなくなっていた。
命を奪いかねない勢いで対立していた2人の自分が統合されていく先で、私は、どのような自分に、どのような人間になっていくのだろうか。そのときはまだ、なにもわかっていなかった。
・・・
▶ 私は「かわいそうな子ども」だったのか?
私の両親のような者は、最近「毒親」と呼ばれているらしい。そんな親に育てられた私のような子どもは「アダルトチルドレン」と呼ばれたりもする。
だが私は、これらの言葉が好きではない。これらの言葉は、親を加害者、子どもを被害者と規定している。そのことに間違いはない。だが、被害者は弱者である。そこには「かわいそうな者」というニュアンスがある。アダルトチルドレンは、「かわいそうな子ども」だ。
私は自分が、かわいそうな子どもだったとは思わない。親のせいでひどい目にあったことは確かだし、そのせいで愚行を重ねたことも事実である。だが、私の愚行は、すべて抵抗であった。戦い方がわからなかったので自分を痛めつけ、体にも心にも生涯消えることのない傷を負った。だがその傷は、押し付けられた人生を拒否しようとして、死力を尽くして戦った証である。どれほど愚かしい戦いであろうと、それは「被害者でいることに甘んじるつもりはない」と、もがいた私の足跡である

▶ どんな親の元に産まれようと…
多くの子どもたちが、いまも勝ちが見えない戦いに挑んでいる。その戦いによって、身を亡ほろぼす子どもは少なくない。大人になっても、消えることのない痛みや歪みを抱えて苦しむ者もいる。だが、どんな親の元に産まれようと、被害者であることから抜け出すことをあきらめてはいけない。
親や世間に抗いながら生き延びた私の経験が、生きづらさを抱えて苦悩する多くの者たちにとって、少しでも役に立つことを願っている。
ここまでのことは、『ねじれた家 帰りたくない家』(講談社刊)で詳しく書いた。2003年に出た本なので、もう書店にはない。もしかしたら古書店にはあるかもしれない。読んでやろうと思ってくださる方は、お探しいただければ幸いである。


「叱らない子育て」って叱っちゃいけないの?

2024年12月15日 12時42分44秒 | 子どもの心の問題
昨今はやりの「叱らない子育て」というワード。
これにとらわれると、親は叱った自分を責めたり、ノイローゼになってしまいそうです。

「叱ることのデメリットを回避する」と視点を変え、
「叱らないで済むスキルを磨く」と考えると少し楽になりそう。

LITALICOの動画で井上雅彦先生(鳥取大学教授)のレクチャーを聴きましたので、
メモを残しておきます。

▢ 叱ってはいけないのか?
・「よい行動を増やす」のが基本だけど「ダメなことをダメと言わない」わけではない。
・避けたい叱り方
✓ 人格否定・・・こどもの自尊心を傷つける
✓ 感情的に叱り続ける・・・お互いの行動がエスカレートして単なる親子ゲンカになってしまう
✓ 「ダメ」を指摘するのみ・・・どうすればよいかを学べない
 → 冷静に「ダメな理由」+「どうすればいいか」をセットで伝える、が理想だが・・・
・とりあえず「ちょっとやめて」と制止するのが最初、その後大人とこどもの両者の気持ちが落ちつくまで待って「ダメな理由」「どうすればよいか」を説明しないと伝わらない、理解してもらえない。

▢ 「ダメなこと・やってはいけないこと」の伝え方
3つの流れがあることを意識することがポイント;
① 不適切な行動を止める。
・毅然とした態度でシンプルに伝える。
・「ストップ!」と声をかけ、それでもダメなら体を使う。
② お互い落ちつく。
・こどもの興奮が高まっているときは、何を話しても耳に入らない。
・お互いに興奮していると言動がエスカレートしやすい。
・こどもの態度が親の感情を逆なでし、その親の態度でこどもがさらに興奮し悪循環を形成する。
・興奮しているときは一旦距離を取るなどクールダウンが必要。
③ 次につなげる(こどもの発達特性に合わせて伝える)。
・こどもに行動の理由を聞き、共感的な態度を示す。
・「どうして、ダメ・してはいけないのか」こどもの理解を促す。
・どうするとよいか“適切な行動“を一緒に確認する。

★ 弁の立つこどもは「〇〇ちゃんのうちではいいのに、どうしてうちだけダメなの?」と聞いてくる。
こどもの気持ちに共感して寄り添うことは大切だが、その議論には深くつき合わないで、
「これが我が家のルールです、お願いします。」と答えて切り上げる。
★ 「自分がされたらどう思う?」と聞いて「別にイヤじゃないけど」と答えたら・・・
「我が家のルールです」「やってほしくないことです」「おねがいします」で通す。
★ 「適切な行動」が思い浮かばないときは、「最悪の行動は取らない」を提示するとよい。

▢ 時には「ガツン」も必要?
・「ガツンと叱る」は叱る人(=親)の行動が強化されやすい。
・こどもの行動が一次的に止まるため効果を感じやすく、「叱るループ」にはまりやすい。
・ “時には”がいつの間にか“いつもガツン”や“気分次第でガツン”になってしまうリスクあり。
・常態化(気分次第でガツン)になってしまうと効果が薄れる。いけないことで叱られているのではなく、親の機嫌で叱られていると伝わり、残らない。ネガティブな効果が大きくなりやすい。
・「ガツンと叱る」を有効に使うためには、ガツンの基準をしっかり持って両親で共有しておく必要がある(けっこう難しい)。

▶ 避けたいガツン
・頻繁に雷を落とす。
・こどもの話を聞かない。
・一貫性がない。

▶ これならOK!のガツン
・大事なときは口調や表情に力を込めて伝える。
 〜信頼関係があることが前提
 〜ここぞ、というタイミングで
・大人が気分次第ではなく“真剣に伝えている“ことがわかる環境作りがポイント。

・・・以上、叱る側の大人は「効果的に叱るスキル」を身につけることが必要なのですね。

肥満・肥満症・メタボの違いとは?

2024年12月04日 06時45分42秒 | 子どもの心の問題
医師のボランティアで行われている学校健診。
そこでは「症状のないレベルでの病気のスクリーニング」が行われています。
「ん、これは怪しい…病院で検討してもらった方がよい」と判定すると、
「受診勧告」という書類が発行されます。

しかし現実は、受診勧告をもらった生徒の3割しか病院を受診していません。
医師は無力感を感じます。
外来診療の合間を縫って時間を作り学校健診に出かけ、
数時間かけて診察しまくり、
グッタリ疲れて帰ってくるのが開業医にとっての“学校健診“です。

そしてせっかく「病気が隠れているかもしれない」と抽出して病院での検討を指示しても、
守られていないのです。

もう、健診の意義が崩壊しています。

生徒側からすると“症状がない”から“受診の必要あるの?”
くらいにしか捉えていないのですね。

とくに肥満の生徒に受診勧告を出しても受診率が低いです。
そのような生徒の家族もたいてい、同じ体型もしています。
生徒と家族にとって「これが当たり前、問題ない」のですね。

肥満児の医療機関受診率をどうすれば上げることができるのか?
…これは地道な啓蒙しかないと思われます。

というわけで、読売新聞の記事を紹介します。
短い記事なのでサラッと読めます。
要点は、
・BMI25以上 → 肥満
・BMI25以上+検査値異常 → 肥満症
・メタボ(メタボリック症候群) → 内臓脂肪がたまる病態
となります。

ですから、肥満か肥満症かは検査をしなければわからないのです。
肥満症は将来の生活習慣病のハイリスク者です。
現在症状がなくても、今から対策を立てることにより成人後に病気で悩む確率を減らすことができます。


▢ 肥満、肥満症、メタボの違いは?…太るのは、自己管理ができていないからなのか
2024年12月2日:読売新聞)より一部抜粋(下線は私が引きました);

Q  太って、おなかの脂肪が気になる。血圧も高いし。
ヨミドック  それは単なる「肥満」ではなく、「肥満症」かもしれません。
Q  肥満と肥満症は違うの?
ヨ  肥満は体格指数(BMI)が25以上の体格を指す言葉で、特定の病気がなければ治療の対象にはなりません。しかし、BMIが25以上で、糖尿病や高血圧など11種類の健康障害のうち一つが該当するか、そのリスクが高い場合には、肥満症と診断されます。肥満症は適切な治療を受けることが必要です。
Q  メタボリックシンドロームという言葉もよく聞くね。
ヨ  内臓脂肪症候群とも呼ばれますが、肥満や肥満症とは異なる考え方です。内臓脂肪がたまると動脈硬化につながりかねないため、特定健診などに用いられる分類です。
Q  自分がしっかりしないから太るんだよね……。
ヨ  肥満や肥満症に対しては、思い込みや偏見が根強くあります。遺伝や体質、成育歴など様々な要因が関係するのに、自己管理ができていないなどと、必要以上に個人の責任を問われる傾向があるためです。こうした負の印象はスティグマと呼ばれ、苦しむ人が多くいます。
スティグマにとらわれ、「肥満は自己責任。医療の対象ではない」といった誤解が生じると、適切な治療の機会が奪われかねません。関連する学会は、肥満や肥満症に対する知識を普及させ、治療に前向きに取り組めるよう活動しています。
Q  どう治療するの?
ヨ  基本は減量です。医師や管理栄養士らの支援を受けながら、食事や運動、行動など生活習慣を改善します。さらに、食欲を抑える薬を使うこともあります。
BMI35以上の高度肥満症で、これらの治療を6か月ほど続けていても効果がでない場合などには、胃を小さくする外科手術も行われます。一部の肥満症患者は、BMI32以上でも手術の対象となります。
Q  治療を受けた方がいいかな。
ヨ  肥満症かもしれないと思う人は、肥満症専門病院や肥満症の外科手術の認定施設、内分泌・代謝・糖尿病内科など、専門医のいる医療機関に相談してください。
(余門知里/取材協力=横手幸太郎・千葉大学長、佐々木章・岩手医大教授)

子どもの人権を守る学校健診とは?

2024年11月23日 08時49分42秒 | 健診
2022年の学校健診に関する京都新聞の記事が目にとまりました。

1件の盗撮事件を起点に、学校健診を「半裸健診」というネガティブイメージを持たせた単語で表現し、
学校健診全体を悪と追い詰める内容です。

1件のインパクトあるトラブルから、市民の興味や不安を煽り、大きな社会問題化していくメディア…
しかしほとぼりが冷めて間違いだったとしても責任を取らないメディア…
もう、うんざりです。

例えば、HPVワクチン事件。
接種後に不随意運動をきたした女性の動画がSNSで拡散し、
政府は積極的勧奨を止めざるを得なかった…
しかし勧奨停止の間にも、日本では約3000人の女性が毎年命を奪われていた。

例えば、兵庫県知事問題。
1人の自殺者を起点に、メディア総動員で知事を責めて、再選挙に追い込んだ。
その結果は、皆さんご存知の通り。
メディアはちょっと反省の弁が聞かれましたが、ほとんどスルーしています。

過多情報でなにが正しい情報なのか、判断しにくくなっている現在社会。
心して情報に向かい合う姿勢が必要です。

さて話を戻します。

学校健診は健康状態の生徒を問診・診察して病気のスクリーニングをする医学的な処置です。
ここで医療者と検診を受ける生徒・家族側でギャップが発生すると感じています。

医療者は「症状がない状態で病気を拾い上げる目的のため神経を使って診察」します。
生徒・家族側は「健康なんだから肌を見せて診察するのは大げさ、必要ない」と考えがちです。

子どもが恥ずかしがるから健康診断の目的を黙殺して儀式的にこなすことが、
子どもの人権を守ることでしょうか?

小児科医である私は、子どもの健康状態をチェックして病気を未然に防ぐことが、
子どもの人権を守ることだと考えています。

ですから、還暦過ぎの満身創痍の体で学校へ出向き、
数時間診察を続けています。

所見が取れないような診察方法、以上のチェックが不完全になる診察方法が選択されるなら、
目的が達せられませんから、即、学校医を辞退する所存です。


▢ 「学校での半裸健診、早くやめるべき」医師盗撮逮捕で教員から怒りの声
 「盗撮は最悪の事態で許せない。京都市立学校で行われている半裸健診も、とにかく早くやめるべき」。岡山市内の中学校の定期健康診断で下着姿の生徒を盗撮していたとして医師が京都府警に逮捕された事件を受け、京都市立中のある教員が京都新聞社に怒りの声を寄せた。京都新聞社は2020年、一部の自治体や学校の健診で、児童生徒に上半身裸にさせていることに対する保護者の疑問や校医の見解を報じたが、いまだに健診を巡る不安の声は絶えない。今回は、現場の教員の声や専門家の意見から、安心安全な健診の在り方についてあらためて考えたい。
■中学での一律脱衣健診は少数派
 京都市教育委員会は、学校の定期健診時に児童生徒の上半身を脱衣させるよう、市立の全ての幼小中高校と総合支援学校に通知している。市学校医会と協議した結果といい、脱衣の理由を「見逃しのない診察をするため」と説明する。
 一方、京都市を除く京都府内では、脱衣をさせない学校も一定ある。府医師会が京都市を除く府内全公立小中学校を対象に行った2018年度アンケートによると、背骨のゆがみを診る検査を男女とも上半身脱衣で実施したのは小学校で70.9%。だが生徒の心身が大きく変化する中学校では32.1%にとどまる。他の政令指定都市でも、一律に脱衣で健診を行っている自治体は少数だ。
 京都新聞社に声を寄せた教員は訴える。「思春期の生徒が半裸を強制される気持ちの悪い独自ルールに、生徒からは毎回助けを求められ、保護者からは苦情が来る。ただ教育委員会が方針を変えないため『決まりなので』と返すしかない。私たちは生徒の心を守ってやれないのでしょうか」
 この教員は以前から「半裸健診」を問題視し、養護教諭に相談してきた。だが現状は変わらず、管理職や養護教諭から「生徒から反対意見が出ても教師は同調したり共感したりしないように」と言われたという。健診の在り方を疑問視する教員は他にもいるが、職場ではこの話題を持ち出してはいけない雰囲気で、声を上げづらいと漏らす。
 市立高教員も「裸を嫌がって生徒が逃げたり、脱がない生徒に校医が声を荒らげたりという話はこれまで何度も聞いた」と話す。半裸にさせる必要性については「学校側は疾患を見逃さないためと言うが、効率よく健診を済ませたいというのが本音。少なくとも私は必要性を理解していません」ときっぱり。「会社の健診とか、大人には同じことやらないでしょう。子ども相手だったら無理強いが許されると思っているのか」と指摘した。
■学校の性被害防止に取り組むNPO法人代表 亀井明子さんに聞く
 「今回の盗撮事件を、逮捕された医師個人の問題で済ませるべきでない。学校健診は昔から性的なトラブルを抱えやすい場だった」と指摘するのは、学校の性被害防止に取り組むNPO法人スクール・セクシュアル・ハラスメント防止全国ネットワーク(大阪府守口市)の亀井明子代表だ。健診をめぐる課題と対策について、亀井代表に聞いた。
 -健診に関する相談は。
 「毎年十数件寄せられる。ある生徒は、かかりつけ医でもある校医に久しぶりに健診で会った時、胸に聴診器を当てられたタイミングで『大きくなったね』という声を掛けられ、非常に不安に思ったという。触診に違和感を持ったという声も少なくない」
 「私は中学校教員だった20年以上前から健診での性被害に問題意識を持っていた。『校医にいやらしい目で見られた』と打ち明ける生徒がいたり、特定の生徒だけ診察が長いのでは、という相談があったりした。今でも裸で健診をさせている学校があるのは驚きだ」
 -生徒が健診の悩みを打ち明けると「自意識過剰だ」で済まされると聞く。
 「自意識過剰は性被害者によく向けられる言葉だが、私は二次加害だと考える。それによって被害の声を上げづらくなる」
 -今回の盗撮を、医師個人の資質の問題だと捉える意見もある。
 「それは違う。教員によるセクハラもそうだが、学校での性加害は、弱い立場にある生徒が、嫌でも断れないという力関係の中で起きている。健診の脱衣も力関係の中で強制され、児童生徒と保護者の不安や、盗撮のような性被害のリスクにつながっている。盗撮は職業や場所に関係なく起こる。どこにどんな問題が潜んでいるか分からないという視点で、学校は健診の在り方を見直すべきだ」
「学校は、どのような人間関係や環境でセクハラが起こるかを知り、予防することが大切」と訴える亀井さん(大阪府守口市)

小児肥満に薬物療法?

2024年11月07日 16時11分19秒 | 子どもの心の問題
小児の肥満が増えています。
学校健診でも実感するところです。

日本では肥満+血液検査値異常 → 肥満症として、
治療・管理が必要とされています。

私が担当している学校健診では「肥満度50%」で受診勧奨の通知が渡されます。
しかし、実際に受診する生徒の方が少ないのが現状です。
その理由は、
「本人が今困っていないから」
「家族全員が肥満体なので異常とは思えない」
等々、一言でいうと「病識がない」のですね。

一方、病識のある家庭の生徒は、
あの手この手で改善を試みています。
本日来院したお子さんは、
「どうしようもないので、冷蔵庫につける鍵を買いました」
とお母さんがため息交じりにつぶやきました。

さて、日本より肥満が深刻な欧米では、
薬や手術を行っています。

先日、欧米で小児肥満への投与が認可された薬が誕生しました。
もちろん、日本では未認可です。
それを扱った記事を紹介します。

▢ リラグルチドは小児肥満の治療薬として有効である
 解説:住谷 哲(すみたに さとる)  
 社会福祉法人恩賜財団大阪府済生会泉尾病院 糖尿病・内分泌内科 主任部長
臨床研究適正評価教育機構:2024/11/06)より一部抜粋(下線は私が引きました);
(オリジナルの記事)肥満小児へのリラグルチド、BMIが改善/NEJM(2024/10/08掲載)

 『小児肥満症診療ガイドライン2017』1)によると、小児肥満の定義は
「肥満度が+20%以上、かつ体脂肪率が有意に増加した状態(有意な体脂肪率の増加とは、男児:25%以上、女児:11歳未満は30%以上、11歳以上は35%以上)」
であり、肥満症
「肥満に起因ないし関連する健康障害(医学的異常)を合併するか、その合併が予想される場合で、医学的に肥満を軽減する必要がある状態をいい、疾患単位として取り扱う」とされる。
 ここで肥満度は学校保健安全法に基づき、
肥満度(%)={(実測体重-標準体重)/標準体重}×100
が広く用いられている。
 さらに小児期からの過剰な内臓脂肪蓄積は早期動脈硬化につながることから、小児期メタボリックシンドローム診断基準もすでに作成されている。小児肥満症患者の多くが成人肥満症に移行することから、現在では小児肥満症は成人の非感染性疾患(non-communicable disease:NCD)抑制のための重要な対象疾患と認識されている。

 わが国では肥満と肥満症が区別されているが、欧米では区別されず、ともにobesityである。本試験の対象者も肥満に起因ないし関連する健康障害の有無はinclusion criteriaに含まれておらず、obesity-related complicationsとして耐糖能障害や高血圧などを有する対象者が約半数含まれている。したがって、以下のコメントでは「小児肥満症」ではなく「小児肥満」を使用する。

 成人と同じく小児肥満の治療も食事・運動療法が基本となる。しかし、薬物療法が必要な患者も少なからず存在する。現在のわが国では残念ながら小児肥満に適応のある薬物は存在しない。(商品名:ビクトーザ)はわが国では肥満治療薬として承認されていないが、欧米では高用量(3.0mg/日)が肥満治療薬として承認されている。これまで成人(>18歳)2)、青少年(12~18歳)3)でその有効性が報告され、すでに治療薬として承認されているが、小児(6~12歳)での有効性は不明であった。そこで本試験「SCALE-Kids試験」が実施された。

 対象患者の背景は平均で年齢10歳、身長149cm、体重70kg、腹囲95cm、BMI 31kg/m2である。リラグルチドの投与量は成人、青少年と同量の3.0mg/日であり56週後のBMIの変化率が主要評価項目とされた。その結果は予想どおり、リラグルチド群で有意なBMIの減少を認め、有害事象も許容範囲であった。

 本試験の結果に基づいて、リラグルチドはおそらく小児肥満治療薬として欧米で承認されるだろう。わが国でも肥満の有病率は増加しているが欧米の比ではなく、本年ようやく成人に対してセマグルチド(商品名:ウゴービ)が肥満症治療薬として使用可能となったばかりである。わが国では成人に対してもリラグルチドは肥満治療薬として承認されておらず、小児肥満治療薬としての道のりはまだまだ遠いと思われる。

<参考文献・参考サイト>
1)日本肥満学会編. 小児肥満症診療ガイドライン2017. ライフサイエンス出版;2017.
2)Pi-Sunyer X, et al. N Engl J Med. 2015;373:11-22.
3)Kelly AS, et al. N Engl J Med. 2020;382:2117-2128.


フィンランドの学校給食はビュッフェ式?

2024年10月29日 04時51分20秒 | 教育
“世界一幸福の国”、フィンランド。
そこの子育て事情は日本と大きく異なるようです。
それが垣間見える記事を読んでみました。

なるほど、と思った点。

日本でも“授業料無償化”が一部で実施される動きがありますが、
そのベースは「少子化対策」という考えです。
しかしフィンランドで実施されている“教育無償化”は、
「子どもの権利を守る」目的。

・・・根本的な思想が違うのですね。

<ポイント>
・フィンランドの教育の原則は平等、子どもの権利、ウェルビーイングの3つに要約できる。
・公的な教育計画には「性別、年齢、民族的出自、国籍、宗教、信条、思想、性的指向、病気、障がいによって異なる扱いをしてはならない」と必ず書かれる。学校が国内的・国際的な正義と繋がっている感覚は日本にはない。
・公的な教育計画には「一人ひとりの子どもは、あるがままでかけがえがない」ことも必ず書かれている。
・教育は無償である。教育無償の目的は、家庭の経済状態や文化資本の優劣にかかわらず、全ての子どもが平等に教育を受けられること、平等な出発点を提供すること。貧困は子どもの可能性を奪い、子どもの教育や進路、将来に影響を与えてしまうことを重視している。
・就学前教育(小学校入学前の1年間)から小中高、大学まで学費は無償。小学校から高校までは教材と給食も無償だ。日本で幼稚園から大学卒業までにかかる子ども一人の教育費は、国公立に進学しても1000万円、全て私立の場合は2000万円と言われる。
・フィンランドでは、公立学校が全体の約98%を占めるの。私立学校は少数あるが、そこでも教育費は無償である。基本教育法第7条によって、私立学校が利潤を得ることは禁じられている。
・日本国憲法第26条第2項は「義務教育は、これを無償とする」と規定しているのだが、全く守られていない。日本では、教育費が高いので進学をあきらめる子どもも多い。日本で無償なのは親と子の勤労活動である。子どもが雑巾やタワシ、箒、チリトリで教室やトイレの掃除をする。母親が雑巾を作って提出し、教室のカーテンを洗い、校庭の掃除をする学校も多い。
・フィンランドでは、学校の掃除や給食の配膳は自治体の仕事だ。掃除は、清掃会社と契約し自治体が出費している。使う道具も現代的だ。給食は教室の自分の机でではなく、食堂でビュッフェスタイルによって提供される。
・日本は、教育費の公的支出がOECD諸国の中で、毎年最低か最低レベルである。
・東京都の「授業料無償化」は少子化対策として発案されているが、フィンランドの教育費無償は少子化対策という行政の狙いによって発案されたのではなく、全ての子どもに対する社会保障とウェルビーイングを目的として始められたもの。
・フィンランドでは、生徒1人あたりの先生の数が特に中学で多く、生徒9人に対し先生1人。日本の中学では依然として、40人以下が標準とされている。
・日本では、髪型や下着の色、靴下の色、スカートの長さまで細かく規定する校則がある。フィンランドの学校に日本のような校則はない。制服はなく、体操服や靴なども学校指定のものはない。18歳以下のタトゥーは禁止されているが、アクセサリーやお化粧なども含めて自由。
・フィンランドでは、学校行事が少ない、入学式も運動会もない、卒業式はあるがその練習はない。日本の学校行事は、集団行動のための鍛錬の意味が大きい。一糸乱れぬ卒業式や運動会を目指して、練習が繰り返される。フィンランドには部活や教員の過重労働もない。


▢ 子供を一列に並ばせる日本と大違い…フィンランドの学校が給食はビュッフェ型、化粧・アクセサリー自由のワケ子供が自分の身体について決定権を持つことは当然
 岩竹 美加子ヘルシンキ大学非常勤教授
PRESIDENT ONLINE:2024/10/25)より一部抜粋(下線は私が引きました);

 世界一幸福な国とされるフィンランドの教育は何が違うか。ヘルシンキ大学非常勤教授の岩竹美加子さんは「教育無償の原則は徹底されており、学校の掃除や給食の配膳は自治体の仕事であるため、食堂でビュッフェスタイルによって提供される。また、日本のような校則もなく、アクセサリーやお化粧なども含めて自由である」という――。

▶ フィンランド教育を支える3つの原則
 フィンランドの教育は、とてもシンプルな原則の上に成り立っている。それは平等、子どもの権利、ウェルビーイングの3つに要約できるだろう。その原則がどういう形となって現れるか、見ていこう。
 教育庁と各自治体の教育計画のはじめに必ず書かれるのは、「性別、年齢、民族的出自、国籍、宗教、信条、思想、性的指向、病気、障がいによって異なる扱いをしてはならない」ということだ。
 「異なる扱いをしてはならない」というのは、平等でなければならないこと。いかなる理由によって、差別をしてはならないということだ。重要なのは、それはフィンランド憲法第6条「公平」の規定、さらに国連の世界人権宣言第2条の規定とも同様であることである。
 こうして、学校が国内的・国際的な正義と繋がっている感覚は日本にはないものだろう。日本の学校では、差別を区別と言い換えて正当化することがあるが、フィンランドの学校では差別は差別であり認められない。
また、教育庁と各自治体の教育計画には「一人ひとりの子どもは、あるがままでかけがえがない」ことも、必ず書かれている。そこにはキリスト教的な感覚があるだろうが、子どもに対する肯定的で温かい眼差しに胸を打たれる。
 平等思想を最も良く表すのは、教育が無償なことである。就学前教育(小学校入学前の1年間)から小中高、大学まで学費は無償。小学校から高校までは教材と給食も無償だ
 2021年までは、高校の教材は保護者が購入していたが、同年に高校まで義務教育化されたことに伴って、教材も無償化された。保育園は収入に応じた費用を払うが、朝食とランチ、おやつが出る。
 無償の小中学校の給食は、戦後間もない1948年に導入された。最近、東京都の小中学校では、給食無償が広がっているが、日本で実現している自治体は多くない。また、公立保育園では、約4割がご飯などの主食を持参させているという。

▶ 「私立学校の教育のほうがきめ細かい」は不平等で不公平
 フィンランドで教育無償の原則は徹底しており、日本の学校にあるような入学金、学級費、教材費、実習材料費、家庭科キット、算数セット、絵具、ハーモニカ、習字道具、遠足費、修学旅行の積立金、卒業アルバムなどの出費も一切ない
 また制服はなく、体操服や靴なども学校指定のものはない。自分の服や持ち物を使っている。日本では、学用品を揃えるために小学校で3~4万円、中学では10万円近い出費が必要とされるという。
 日本で幼稚園から大学卒業までにかかる子ども一人の教育費は、国公立に進学しても1000万円、全て私立の場合は2000万円と言われる。費用の差は教育の質の差でもある。
 一般的に言って、公立学校よりも、私立学校の教育のほうがきめ細かい。それはアメリカやイギリスと同様のシステムだが、フィンランドから見ると、それは不平等で不公平な教育であり、社会である。
 フィンランドでは、公立学校が全体の約98%を占めるのも特徴だ。私立学校は少数あるが、そこでも教育費は無償である。保護者が寄付することはある。基本教育法第7条によって、私立学校が利潤を得ることは禁じられている
 教育無償の目的は、家庭の経済状態や文化資本の優劣にかかわらず、全ての子どもが平等に教育を受けられること、平等な出発点を提供することである。
 貧困が子どもの可能性を奪ってしまうこと、子どもの教育や進路、将来に影響を与えてしまうことをフィンランドはとても嫌う。貧富の差が教育格差を広げ、それが貧困を再生産する連鎖にならないよう配慮されている。
 フィンランドで無償の教育は、1960~70年代以降進められた。18歳以下の子どもの医療費無償と並ぶ、子どもの社会保障政策の柱であり、子どもと親のウェルビーイングを進めようとするものだ。

▶ 給食は食堂でビュッフェスタイル
 一方、日本国憲法第26条第2項は「義務教育は、これを無償とする」と規定しているのだが、全く守られていないのが現状だ。
 日本で無償なのは親と子の勤労活動である。子どもが雑巾やタワシ、箒、チリトリで教室やトイレの掃除をする。母親が雑巾を作って提出し、教室のカーテンを洗い、校庭の掃除をする学校も多い
 子どもには給食当番があり、持ち帰ったエプロンを保護者が洗い、アイロンをかけて学校に持参する。子どもの給食当番では、衛生的な管理と配慮が充分ではないだろうが、母と子の勤労によって行政が負担すべき経費を節約している。
 フィンランドでは、学校の掃除や給食の配膳は自治体の仕事だ。掃除は、清掃会社と契約し自治体が出費している。使う道具も現代的だ。給食は教室の自分の机でではなく、食堂でビュッフェスタイルによって提供される。学校にかける公的費用の差が、こうした違いになっている。
 近年、フィンランドは小中学校校舎の建て替えを進めていて、建築的にも面白いものが多い。一方、日本では校舎の老朽化が進んでいるが、建て替えの動きはない。2021年度には全国の公立小中学校などで、外壁や部品の落下などの問題が計2万2029件あった。学校は物理的にも安全で快適な環境を提供していない。

▶ 大学まで無償の教育を全ての子どもと人に保証
 日本は、教育費の公的支出がOECD諸国の中で、毎年最低か最低レベルである。OECDによると、各国が教育に投資する理由は、それが経済成長を促し、生産力を高め、人と社会の発達に貢献し、不平等を減らすから。日本の教育費の少なさは、こうした側面からも疑問を感じさせるのである。
 日本では、教育費が高いので進学をあきらめる子どもも多い。最近は、自治体が授業料を無償化する話を聞くようになった。例えば東京都は2024年度から「授業料無償化」を始めるという。しかし、高校、都立大学、私立中学などで条件が異なっていて複雑だ。
 つまり、平等の原則はなく条件付きの「授業料無償化」である。また、日本では入学金や制服費、修学旅行費など授業料以外の支出が多いので、実際にどれだけ負担が緩和されるかは疑問のようだ。
 また、「授業料無償化」の制度自体が複雑でわかりにくい上、申請する必要がある。フィンランドでは、大学まで無償の教育が全ての子どもと人に保証されていて、申請する必要がないので楽だ。さらに、無償化の目的も異なる。
 東京都の「授業料無償化」は少子化対策として発案されているが、フィンランドの教育費無償は少子化対策という行政の狙いによって発案されたのではない。前述したように、全ての子どもに対する社会保障とウェルビーイングを目的として始められたものだ。

▶ 生徒9人に対し先生1人
 フィンランドではクラスのサイズが小さく、小学校から高校まで20~25人程度が普通だ。小中学校では1クラスに先生が2人、アシスタントが1人程度ついて、さらに小さなグループに分けて教えることが多い。
 クラスには読書障がいがある、算数が苦手、外国出身でフィンランド語があまりできない等、さまざまな子どもがいる。どういうニーズがあるか、支援が必要かなど一人ひとりについて、親の意見も聞きながら教育計画を作る。そうして、きめ細かい学習支援がされている。こうした支援は「学習のケア」とも呼ばれ、小学1年生から提供される。
 2019年のOECDの報告によると、フィンランドでは、生徒1人あたりの先生の数が特に中学で多く、生徒9人に対し先生1人である。OECD諸国平均では13人なので、その中でも少ない方だ。
 一方、2020年のOECDの報告で、日本の公立小中学校では1学級あたりの生徒数は、最多である。日本の都市部では、少子化によって1クラスの人数は減っているが、制度としては40人学級が続いてきた。最近は、小学校で1クラス35人が段階的に目指され、実現しつつあるようだが、それでも多すぎだろう。また、中学では依然として、40人以下が標準とされている
・・・

▶ 化粧、アクセサリー…装いを通じて自分を表現する
 日本では、髪型や下着の色、靴下の色、スカートの長さまで細かく規定する校則がある。寒くてもコートを着てはいけない、タイツを履いてはいけない、学校から帰宅後、午後4時までは自宅から外出してはいけないなど驚くような校則もある。
 最近は「ブラック校則」として問題化され、生徒が取り組む校則の改訂が話題になる。「全国校則一覧」というサイトが作られ、様々な「ブラック校則」を検索することもできる。
 一方、フィンランドの学校に日本のような校則はない。子どもを一人の人として尊重すること、子どもが自分の身体について決定権を持つことは当然のことだからだ。後で見るが、子どもの権利の視点からも、大人による校則の押し付けは不適当である。
 フィンランドの学校では18歳以下のタトゥーは禁止されているが、アクセサリーやお化粧なども含めて自由だ。様々な装い方を試みること、自分の身体のあり方を経験すること、装いを通じて自分を表現すること。それらは全て、自分であることの一部だ。

▶ 「日本の学校では、よく1列に並ばされた」
 フィンランドの学校のその他の特長として、学校行事が少ない、入学式も運動会もない、卒業式はあるが、その練習はないことも挙げられる。付け加えると、子どもを1列に並ばせることもほぼない。
 これは、実は息子が「日本の学校では、よく1列に並ばされた」と言ったことから気づいたことだ。フィンランドで、子どもはバラバラと集まって、バラバラと居て良い。事あるごとに子どもを1列に並ばせるのは軍隊式だ。
 日本の学校行事は、集団行動のための鍛錬の意味が大きい。一糸乱れぬ卒業式や運動会を目指して、練習が繰り返されるのはそのためだ。また、「小学校学習指導要領」には、学校行事について「厳粛で清新な気分を味わう」と書かれている。どういう感情を味わうかまで規定されているのだ。
 また、フィンランドには部活や教員の過重労働もない。こうして書くと、ないことだらけのように聞こえるが、不要なものが一切ないシンプルさは快適だ。
 日本の学校は、本質的な学びに関わることが少ない一方、子どもに対する介入がとても多い。フィンランドの学校は逆で、学びの質が高い。また些末な事に煩わされ、成長期の貴重な時間や繊細な感情を削られることなく過ごせる場所である。

▶ 専門知識を持たない地域住民が、教育に関わることはない
 日本では文科省以下、行政が「学校、地域、家庭」を標語のように使ってきているが、フィンランドには教育に関して地域という概念はない。教育に関わるのは学校と家庭であり、その2つの協働が重視されている。
 日本の「地域」は、高度経済成長期を経て70年代頃に出現した概念で、「地域の危機と再生」という枠組みで使われてきた。現在は、「地域の意見を聞いて」「地域と協力して」「地域ぐるみで」などの表現をよく聞くが、具体的に地域が意味するのは、隣近所の人や町内会、自治会、PTA、青少年教育委員、コミュニティスクールなどである。
 「地域」は、行政が用意し介入する仕組みであることが多い。日本では、公費を節約しつつ同調圧力を増す「地域」が教育に利用される傾向がある。一方フィンランドでは、教育に関わるのは専門知識を持つ人である。専門知識を持たない地域住民が、教育に関わることはない。


“生きづらさ”の正体

2024年10月11日 13時51分42秒 | 家族
 親が好きになれない・・・という悩みを抱えているヒトはたくさんいると思います。
 なぜなんだろう?
 その答えの一つに「愛着障害」があるようです。

 自分自身の子ども時代を振り返ると・・・

 私は虚弱体質ながらも負けず嫌いで、
 負けを認めることが苦手、
 勝つまでコツコツ努力するタイプでした。

 そのせいか、勉強も運動もそれなりの結果を残せました。
 親の喜ぶ顔を見て私もうれしくなりました。

 親はそんな私を見て、
 果たせなかった自分の夢を私に託すようになりました。

 私の親は、戦争に青春も将来の夢も奪われた世代。
 学校の成績もそこそこだったようですが、
 家庭の事情で大学進学は諦めざるを得なかった・・・

 そして“努力して結果を出し続けること“が私のルーチンになりました。
 楽しいけど苦しい、そんな思春期が始まりました。

 しかしそれが続くと徐々に、
 「努力しなければ親に認めてもらえない」
 「結果を出さなければ親に認めてもらえない」
 という窮屈な状況に陥っていきました。

 親の期待が喜びから負担に変わったのです。

 ただ生きているだけでは自分には価値がない、
 努力して結果を出さなければ認めてもらえない・・・
 私には疲れた時に受け止めてくれる「心の安全基地」がありませんでした。

 いや、当時つき合っていた女の子が受け止めてくれました。
 しかし私が親の希望に沿って医学部に入学し、
 遠方の大学へ行くことで最愛の彼女を失ってしまいました。

 私は医師になり、彼らの夢を叶えました。
 同時に親と距離を取りたくなりました。
 「もういいだろう?勘弁してくれ」
 自分の心がつぶれてしまいそうでした。

 親は私にたくさんの愛情を注いでくれましたが、
 同時に大きな期待をしてがんじがらめに絡め取り、
 私の自由を奪ったとも言えます。

 長男である私は結婚後に実家に戻り、
 両親の面倒を見ています。
 親と離れて暮らす選択もありましたが、
 それを実行する私を許せない自分もいます。
 昭和的な考えかもしれませんが・・・

 というわけで、今でも「楽しいけど苦しい」生活が続いています。
 これが私の“生きづらさ”です。


<ポイント>
・母親との不安定な愛着を示す子どもは、人口の3割程度かそれ以上にも及び、そうした傾向は、大人になっても解消されず、多くの人が引きずっている。
・愛着障害を抱えた人は、一見「発達障害」に似た特徴を示すことも多く、「発達障害」と診断されることも少なくない。
 ✓ 対人関係、とくに親密な対人関係において困難が強まりやすい。
 ✓ 自己肯定感の低下や心身の不調をともないやすい。
 ✓ 基本的な安心感の乏しさや他者に対する信頼感が弱い。
 ✓ 周囲の反応におびえ、傷つきやすい傾向を抱えるか、
 周囲にはなにも期待せず、無関心な態度を身につけるか、
 どちらかになることで、状況に適応しようとする。
 ✓ ストレスを受けやすく、健康面のリスクも高まりやすい。
 ✓ 不安定な愛着は心身の健康状態だけでなく、平均余命にも影響する。
・愛着障害は、本来「安全基地」として無条件の愛情と世話で子どもを守ってくれる養育者(通常は母親)が、「安全基地」としての役割をうまくはたせないことによって生じる。
・愛着が形成される期間は限られており、概ね1歳半までが、もっとも重要な時期とされる。それ以降でも、愛着の形成は可能だが、それまでの時期に安定した愛着が形成されなかった子には、深刻な影響が残りやすい。
・愛着形成の核は1歳半までが臨界期とされるが、その時点で安定した愛着が形成されていた場合でも、その後の要因によって、不安定な愛着に変わってしまうことがある。虐待やネグレクト、心理的な支配とともに、親の精神疾患や離婚、家庭内葛藤なども、子どもの愛着を不安定なものに変えてしまう。
・愛着というしくみは、本人の安心を守るだけでなく、生命を守る根幹となるしくみであり、それがうまく機能しなくなるとき、人は窮地に陥る。
・愛着は単なる心理学的なしくみではなく、生理学的な現象に基づいた生物学的なしくみであり、哺乳類に共通するものである。哺乳類として受け継いできたこのしくみが危機的状況に陥り、機能不全を起こしているのが「愛着障害」という状態なのである。


▢ 「人口の3割超?」愛着障害は平均余命に影響する概ね1歳半までが愛着形成に重要な時期
岡田 尊司 : 精神科医、作家
2024/10/11 :東洋経済オンライン)より一部抜粋(下線は私が引きました);
 長年、発達障害や愛着障害を研究し続け、豊富な臨床経験を持つ精神科医・岡田尊司さんの最新刊『愛着障害と複雑性PTSD』より、現代人の生きづらさの原因を紐解きます。

▶ 生きづらさの正体
 「愛着障害」という言葉が、一般にも広く知られるようになったのは、ここ10年ほどのことである。40年ほど前に、この言葉が最初に公式に用いられたとき、その意味するところは、深刻な虐待やネグレクトを受け、心身の発達や社会性に困難をきたした、極めて悲惨な子どもたちの状態を指し、その頻度は、非常に稀なものとされていた。
 ところが、その後の研究で、そうしたケース以外にも、母親との不安定な愛着を示す子どもは、人口の3割程度かそれ以上にも及び、そうした傾向は、大人になっても解消されず、多くの人が引きずっていることがわかってきた。
 こうした「不安定型愛着スタイル」のケースも含めて、「愛着障害」として理解されるようになってきた。愛着障害を抱えた人は、一見「発達障害」に似た特徴を示すことも多く、対人関係、とくに親密な対人関係において困難が強まりやすい
 また、自己肯定感の低下や心身の不調をともないやすいこともわかってきた。こうした人たちは、「発達障害」と診断されることも少なくないが、なにかしっくりといかないものを感じ、発達障害としての治療もあまり奏功せず、もやもやした状況が続くことも多い。
 愛着障害は、本来「安全基地」として無条件の愛情と世話で子どもを守ってくれる養育者(通常は母親)が、「安全基地」としての役割をうまくはたせないことによって生じる愛着が形成される期間は限られており、概ね1歳半までが、もっとも重要な時期とされる
 それ以降でも、愛着の形成は可能だが、それまでの時期に安定した愛着が形成されなかった子には、深刻な影響が残りやすい基本的な安心感の乏しさや他者に対する信頼感が弱いといったことは、その代表的な特徴である。
 周囲の反応におびえ、傷つきやすい傾向を抱えるか、周囲にはなにも期待せず、無関心な態度を身につけるか、どちらかになることで、状況に適応しようとする
 どちらにしても、ストレスを受けやすく、健康面のリスクも高まりやすい。実際、不安定な愛着は心身の健康状態だけでなく、平均余命にも影響するのである。

▶ 安心感のよりどころとなる存在
 愛着形成の核は1歳半までが臨界期とされるが、その時点で安定した愛着が形成されていた場合でも、その後の要因によって、不安定な愛着に変わってしまうことがある
 虐待やネグレクト、心理的な支配とともに、親の精神疾患や離婚、家庭内葛藤なども、子どもの愛着を不安定なものに変えてしまう。それ以外にも、きょうだいからの虐待や学校でのイジメなども深刻な影響を及ぼしうる。
 物心がついて以降に起きた出来事は、子どもの心に完全には同化されないまま、トラウマとなって残ることになる。未解決型愛着と呼ばれるタイプは、ある程度、年齢が上がってから起きた出来事(たとえば、親の離婚やイジメ)によって、安全基地が奪われることで愛着のしくみ(「愛着システム」とも呼ばれる)がダメージを受け、回復しないままになった状態だと考えられる。
 それに対して、もっと幼いころに起きた養育環境の問題は、子どものなかに同化されてしまい、愛着スタイルとして自分自身の一部として一体化してしまうため、通常はトラウマとして意識されることはない。
 成人してからは、恋人やパートナーとの関係が、本人にとって安全基地となるかどうかが、愛着の安定性に影響する。それ以外にも、職場において居場所を失うことや、上司との折り合いの悪さといったことも影響することがある。

▶ 哺乳類として受け継いできた生物学的なしくみ
 愛着が安定したものとして機能するためには、「安全基地」と呼ばれる安心感のよりどころとなる存在との関係が重要とされる。その人の所属する集団に、一人でもそうした存在がいれば、愛着システムが、大きなダメージを負うことは免れやすい。
 逆に、家庭にも学校や職場にも安全基地となる存在がいない状況に置かれることは、愛着システムの機能不全を引き起こし、心身に支障を生じやすくなる。
 愛着というしくみは、本人の安心を守るだけでなく、生命を守る根幹となるしくみと考えられ、それがうまく機能しなくなるとき、人は窮地に陥る
 愛着は、単なる心理学的なしくみではない。それは、生理学的な現象に基づいた生物学的なしくみであり、哺乳類に共通するものである。
 哺乳類として受け継いできたこのしくみが危機的状況に陥り、機能不全を起こしているのが、「愛着障害」という状態なのである。それが広まっているということの意味を考えたとき、それは地球環境の破壊と同レベルか、それ以上の深刻な事態が進行していることに気づかされることになる。

▶ トラウマで苦しむ人の増加
 愛着障害とともに、今日多くの人が苦しむ、身近な問題となりつつあるのが、トラウマの問題である。トラウマという言葉は、一般にも広く認知されるようになり、心が傷を受けたあと、その状況がなくなっているにもかかわらず、長期間にわたってさまざまな後遺症に苦しむ「PTSD心的外傷後ストレス障害)」という状態も知られるようになった。
 トラウマという言葉は、もともと「ケガ」という意味であるが、心のケガである「心的外傷」と訳されることが多い。医学的にトラウマという語が用いられたのは、大地震や戦争、生死にかかわる事故、犯罪被害といった突発的で、生命が危険にさらされるような出来事に遭遇する場合であった。
 ところが、近年になって、1回のダメージは生命にかかわるほどではなくても、長期間にわたって、逃れられない状況でダメージを受けつづけると、通常のPTSDに勝るとも劣らない深刻かつ持続的な影響が生じることがわかってきて、「複雑性PTSD」と呼ばれるようになった。
 その中核をなす原因が、親からの虐待である。それ以外にも、パートナーからのDVやハラスメント、学校や職場でのイジメなどが挙げられる。いずれもほかに助けを求めにくい、逃げられない状況において起きやすい。
 なかでも、とりわけ深刻な事態となりやすいのは、親からの虐待である。身体的、性的虐待だけでなく、心理的虐待や支配も原因となりうる。
 本来、だれよりもその子を愛し、守ってくれるはずの存在から傷つけられつづけることは、その人しか頼ることのできない幼い子どもにとっては、逃れようのない事態であり、もっとも信頼すべきものが信頼できない危険な存在であるという、絶望的な状況に子どもを陥れる。
 「近代化」という名の社会の崩壊と人々の孤立化にともなって、豊かになったはずの社会で、そうした状況が起きやすくなっている。


友達にちょっかいを出す子ども

2024年10月10日 06時36分46秒 | 子どもの心の問題
「ちょっかい」と聞くと懐かしさがこみ上げてくる私。
小中学生の頃、よく「ちょっかい」を出されていたんです。

2人の同級生から・・・2人とも身体が大きくてケンカしたら確実に負ける相手。
一方、小さくてやせていたよわっちい私。
それから、私は転校生だったんです。

イジメとかイジワル、というレベルまで行かず、
朝礼で立っているときに触ってきたり、
小突いたり程度だったのですが。

それでもイヤでイヤでたまらなかった・・・

でも反撃をするほどの勇気もなかった。
先生に告げ口することでもないと思っていました。
そうすれば、
「この野郎、告げ口しやがって」
と行動がエスカレートしたかもしれません。

私は教師から殴られたこともあるので、
そんなに先生を信頼していなかったという事情もあります。

なんだか、私の闇歴史ですね。

彼らの心理ってどういうモノだったんだろう?
と素朴な興味があります。

こんな記事に出会いました。

▢ 友達にちょっかいを出す子の5つの特徴
2024/10/10:Yahoo!ニュース)より一部抜粋(下線は私が引きました);

 「先生、Tくんが私の髪を引っ張るんです!」「Hさんが、私のペンケースの中身をいつもグチャグチャにするんです!」 

・・・

 「友達にちょっかいを出す子」について、私が長年観察してきた特徴をお話ししたいと思います。これを読んで、「あ、うちの子もそうかも」とか「私、昔そうだったな」なんて思い当たる節があかもしれません。

▶ 友達にちょっかいを出す子の5つの特徴


1. 注目の的になりたがり屋さん

 とにかく目立ちたい、誰かに見てもらいたいんです。授業中に突然「わー!」って叫んで、みんなをびっくりさせる子がいます。そのたびに「Yくん!」って注意するんですが、彼の満足そうな顔を見ると、ついため息が出てしまいます。

2. エネルギーが有り余ってる子

 エネルギーが有り余っていて、ずーっと動いていたい子たちです。休み時間、校庭を走り回って汗だくになってる子がいますよね。でも教室に戻ってきても、まだまだ元気。隣の子をつついたり、後ろの子の消しゴムを投げたり。「もう、エネルギーの使い道、そこじゃないでしょ!」って思わず言いたくなります。

3. コミュニケーションが今ひとつな子

 本当は仲良くなりたいんだけど、どうしていいか分からないタイプの子です。「一緒に遊ぼう」って言えなくて、代わりに相手の帽子を取って逃げ出す。そんな光景を見かけます。気持ちはわからなくもないですが、見ていて「あー、そうじゃないんだけどなあ」って思います。

4. 感情コントロールが難しい子

 頭では分かっていても、体が先に動いてしまうタイプの子に多いです。クラスには、ちょっとしたことですぐカッとなる子もいます。友達とぶつかっただけで、相手を押し返しちゃったり。でも、落ち着くと「ごめんね」って謝れる子なんです。

5. 他人との距離感がつかめない子

 自分と他人との境界線が、ちょっとあいまいなタイプの子です。「これくらいなら大丈夫だろう」って思って、友達の髪を引っ張ったり、背中をバシバシたたいたり。その子はスキンシップのつもりでも、相手が嫌がってるのに気づかない。そんな時は「もし自分がされたら?」って聞くと、はっとした表情を見せます。「僕は気にしない」と言ってくる子には、「それを嫌がる子もいるから、叩かないで声をかけるとか他の方法はないかな?」と代わりの方法を考えさせます。

まとめ

 ここまで読んでみて、どうでしたか? 「ああ、あの子のことだ」とか「自分の子育てに活かせそう」なんて思った人もいるでしょう。

 結局のところ、友達にちょっかいを出す子は、周りに「私のこと見て!」って必死にアピールしているんです。エネルギーは有り余ってるけど、うまく表現できないだけなのです。感情のコントロールも、他人との距離感も、まだまだ勉強中なんですね。

 正直、私たち大人だって完璧じゃありません。子育てや教育に正解なんてないんです。でも、こういう子たちの気持ちを少しでも理解しようとすること。それが大切だと思うんです。

ちょこっとアドバイス

 ちょっかいを出す子を見かけたら、すぐに叱るんじゃなくて、まずは「どうしたの?」って聞いてみてください。きっと、意外な答えが返ってくるかもしれません。



読んでみて、どれが彼らに当てはまるかな・・・
意外にも3の、
本当は仲良くなりたいんだけど、どうしていいか分からないタイプ
だったかもしれないと思いました。

転校生である私に興味がありつつも、
どうやって近づいていけばよいのか、
わからなかったのかな。

あれから約50年という長い年月が過ぎました。

先日、地元の小学校で市民運動会があり、
同級生に渡したいものがあったので、
懐かしの校庭に行ってきました。

仲のよかった友達2人に会うことができました。
30分ほど立ち話・・・プチ同窓会ですね。

私にちょっかいを出した彼らはどうしているのか聞いてみたら、
1人は父親の後を継いで神社の神主に収まり、
もう1人は詳細不明・・・でした。