“子ども”を取り巻く諸問題

育児・親子・家族・発達障害・・・気になる情報を書き留めました(本棚4)。

男性の働き方を変えないと育児参加は期待できない

2019年10月06日 13時12分17秒 | 育児
 以前から感じていました。

 日本は先進国の中でも父親の育児参加が極端に少ない国です。
 一方で、日本人労働者は、会社を家族のように大切に思い、「24時間働けますか」がスローガンになるほど自己犠牲レベルまで仕事をして戦後の経済発展を成し遂げました。

 昨今、女性の社会参加が当たり前の世の中になってきました。
 単純に考えて、女性が家庭からいなくなれば、子育てする人がいなくなります。
 すると、男性に協力を求めるのが自然の成り行き。
 しかし男性は相変わらず会社という組織に吸収された状態で、家庭で過ごす時間が少ないまま。

 ここでジレンマが発生するのも当たり前。
 諸外国では「家政婦」という制度が普及してこれを補ってきました。
 しかし日本ではまだ一般的ではありません。

 どう解決していけばよいのでしょう。

 父親の仕事を減らして拘束時間を減らし(ヨーロッパは9時5時勤務らしい)、育児参加できる環境を整える。

 この単純なことを少しずつ達成する社会にしていく必要があります。
 

父親不在の「会社員社会」が追い詰める母親たちの苦悩
(2019年10月1日:日経ビジネス)
河合 薫:健康社会学者(Ph.D.)

 今回は「父親という存在」について考えてみようと思う。
 2018年1月、三つ子の母親が生後11カ月の次男を床にたたきつけ、死亡させ、傷害致死の罪に問われた控訴審判決で、名古屋高裁は「量刑は『重すぎて不当』とは言えない」として、懲役3年6カ月の実刑とした裁判員裁判の1審判決を支持し、弁護側の控訴を棄却した。
 報道によれば高裁判決は、被告のうつ病が次男の泣き声に対する耐性を著しく低下させたと認定したものの、犯行全体に及ぼした影響は限定的と指摘。「善悪の判断能力や行動を制御する能力が著しく減退した状態だったとは言えない」として、犯行時は「完全責任能力がある」と認定した。
 さらに、「問題を一人で抱え込み、夫や両親、行政機関から十分な支援を受けることができないまま、負担の大きい多胎育児に取り組む中で病状を悪化させた」と、被告の事情に一定の理解を示したものの、「生後わずかで母親によって生命と将来を奪われた被害者の無念さは計り知れず、刑事責任は相当重い」と実刑判決を支持したという。
 この事件については半年前に『三つ子虐待事件の母親を追い詰めた「男社会」の限界』で取り上げたが、……なんともやりきれない判決である。
 SNS上では被告に同情的な声がある一方で、「甘すぎる」「殺人罪を適用すべきだ」とする声もあった。実はこちらに書いたときもそうだった。
 前回取り上げたときのコラムでは、「そもそもなぜ、こんな事件が起きてしまうのか?」という視点で、「ケア労働(無償)」を軽視する日本社会を問題視し、もっと「ケア労働」への理解が進み、「ケア労働」を重んずる社会であったなら、痛ましく悲しいこのような事件は防げたのではないかと書いた。

「耐えている」母たちから厳しい意見が続出
 「国のあり方」「私たちのあり方」を、一度立ち止まって考えてみるべきなのではないか、と。誰が悪いとか、誰それの責任だと、するのではなく、私たちの「哲学」を考えることの必要性を問うた(哲学の意味するところなどは、前回のコラムをお読みください)。
 いつも通りコメント欄には賛否両論があったが、子育てをしている母を名乗る人たちから、「母親に同情するのは間違い、母親を罰するのは当然と言ってください」というメールが数十件届いた(以下、抜粋)。

・「本当に育児は大変で、母親たちはみなギリギリの状況で子育てをしている。心も体も疲弊し、それでも我が子のために歯を食いしばって子育てしている」
・『子どもさえいなければ』という感情に襲われることもある。そんな状況下でも理性を取り戻し、子どもに寄り添っている」
・「なのに、その“一線を越え子に手をかけてしまった母親”と“今も苦労して頑張っている母親”を同じ天びんにかけるのはおかしい」
・「実刑判決は妥当だということをもっと世間に訴えたいので、賛同してください!」
・「子どもの命を軽んじ過ぎている。母親を支援する人を断罪してください!」
・「署名活動を批判してください!」 etc.etc.…

 メッセージをくださった人たちの気持ちも痛いほど分かる。「自分だってこんな苦しい思いをしているのに、必死で耐えている。なんで耐えられなかった人が同情されるのか?」という気持ちになることはあるだろう。
 だが私は……正直、とても複雑な気持ちだった。
 で、今回。ますます私の気持ちはこんがらがっている。
 判決後、行政や医療、地域の連携を見直す提言やら実際に見直す地域があちこちで取り上げられているが、「父親」について議論がないことが気になっているのだ。
 念のため断っておくが、私は「父親の責任を問え」と言っているわけではない。ケア労働を重視する社会になれば、育児=「母親」ではなく、育児=「母親+父親」であり、育児=「家族+地域+社会全体」となる。
 父親がもっと普通に育児休暇を取れる社会、子育てだけでなく介護も含め、時短勤務、リモートワークなどといった制度を、すべての人がもっと活用できる社会は、大切な命を守る社会だ。

判決には育児への父親参加の認識が欠けている
 なのに今回の判決後、育休や時短など、「父親の働き方」に関して議論がされていないどころか、俎上(そじょう)にも上がっていないことに違和感を抱いているのである。
 特に双子や三つ子などの多胎児家庭は、理屈なしで父親の育児参加が必要不可欠にもかかわらず、だ。
 痛ましい事件であればあるほど感情論になりがちだが、そもそも「多胎児家庭に対する理解」が不足しているように思う。多胎児家庭の育児の大変さを具体的に理解できれば、子どもに手をかけてしまった母親に共感することはできなくとも、周囲から追い詰められる母親を減らせるはず。それは「父親の働き方・働かせ方・職場の理解」にもつながるに違いない。
 そこで、多胎児家庭に関する実態調査が丁寧にまとめられているこちらの調査の中から、母親たちの状況と父親について語られている内容を紹介する(「多胎育児家庭の虐待リスクと家庭訪問型支援の効果等に関する調査研究」)。
 と、その前に基礎的な知識から。
 多胎児は体外受精が本格化し始めた1980年代後半以降急増し、医療技術の向上で一旦減少するも高い状態が続いている。
 年間に出産する母親のおよそ100人に1人が多胎児の母親で、出産年齢は高い。出産可能な病院が都市部に偏在するため、出産前から母親には精神的、肉体的負担がかかり、経済的負担大きい。また、上の調査研究によると多胎児は脳性まひや発達障害などのリスクが単胎児より高いとされている。
 さらに、多胎児あるいは多胎育児家庭では虐待が発生しやすく、単胎児に比べて2.2倍、「家庭」あたりで計算すると、虐待死の発生頻度は4.0倍。前述の調査でも3~4割の親が「子どもを虐待しているかもしれない」と回答していた。
 では、本題に入ろう。実態調査で「母親たちが語ったこと」の一部を以下に掲載する。

【虐待】
・「肺活量がすごい、泣き声。ずっと泣きっぱなし。たそがれ泣き。ギャンギャン泣き」
・「泣き声を聞くのが嫌。双子をおいて玄関の外で耳をふさぐ、誰かに見られたら変な人、放置の時間が長くなれば危険かもしれない」
・「起きない夫にイライラし、泣く子どもにもあたってしまう」
・「はっと気がついたらここまで手がいっていた。意識もうろう。ギリギリのところに追い詰められていた」
・「ずっと泣いていて、限界で思わず子どもの太ももをたたいてしまった。申し訳ない気持ちが消えない」
・「もう駄目、一人目授乳中、もう一人が泣く。布団の上にポンと置いてしまう。まずいと思う」
【自分の状態】
・「肉体的にも精神的にも追い詰められていて、 いつ子どもを殺してもおかしくない状態だった」
・「二人をだっこしておんぶして。ほとんどど寝てない状態でもうろうとしている」
・「双子の育児・家事により、外に出る時間もない、電話もできない。心も身体もボロボロ、髪の毛もぐちゃぐちゃ、肌もボロボロ。 むなしいほど身体はボロボロで、食べる暇もないし、トイレにも行けない」
・「自分が壊れる。感情がどうにもならない。双子育児の大変さを誰かに聞いてもらいたい、共感してもらいたい」
・「一人で双子の育児。衝動的にマンションから飛び降りたくなる」
・「生きていくのも精いっぱい」
【周りとの関係】
・「両親が遠方に住んでいて育児を助けられないから、双子は産むなと反対された」
・「友人から『双子は片方捨てるものだとか、不吉だと言われていたんだよ』と聞かされ、嫌な気持ちになった」
・「周りから『自然にできたの?』『あえて双子にしたの?』と聞かれる」
・「『仕事は以前のようにやってもらう。できないなら辞めろ』と言われ仕事を辞めた」
育児の当事者意識が低い夫の姿が浮かび上がる
【夫について】
・「双子を妊娠していると聞いてうれしい気持ちになりウキウキと伝えたら夫が喜ばず凹んだ」
・「『一人で良かったのに』と言われ、落ち込んだ」
・「パパも妊娠中も休みが取れるようにしてほしい。遠方に通院のための付き添いが欲しい」
・「自分の体力が落ちていたので、病院で最初にミルクをあげたのは夫。あんなに苦しい思いをして産んだのに悔しかった」
・「NICU(新生児集中治療室)に母乳を運ぶため、夫に仕事を休んでもらうのがストレスだった」
・「子どもたちがどんなにギャンギャン泣いていても、夫は絶対に起きない」
・「夫が非協力的、 協力してほしい時間に家にいない」
・「深夜に帰宅、早朝出て行くので昼間ずっと一人で育児・家事をやっている」
・「夫が『俺は働いているから、専業主婦のお前が子育てをやれ』と言う」
・「妻が双子の子育てで大変で眠たいこの時期に、浮気する夫が多い」
・「双子を出産後、長期間里帰りをしていると、そのままお父さんが来なくて遠距離で離婚に至った」
・「『泣いているぞ』と一言。あやしてくれもせず、ミルクを作ってくれない」
・「帰宅した夫に『飯は?』って言われると、『私も食ってねえ』みたいな思い」
・「夫がイライラして双子に虐待のようなことをしていた。私も夫も極限状態なので何かが起きると冷静に対処できないまま悪い方に転がっていってしまう」

 ……さて、いかがだろうか?
 調査結果の一部を見るだけでも、多胎児を育児することの苦労に加え、肉親や知人を含めた社会の無理解がお母さんたちを「出産前」から追い詰めていることが分かる。
 子どもを無事に出産するという大役を果たし、「子どもを持つ」という人生で最大の幸せに浸る間もなく睡眠不足と激務と孤立感でぐちゃぐちゃになる。子供に優しく接したいのにイライラし、手を上げてしまう自分にさらに苛立ち、それでも子どもは泣き続け、夜が明け、夫婦関係も悪くなるというネガティブスパイラルに入り込む。私など第三者には到底想像できない日々が繰り返されているのである。
 前回のコラムへのコメントで、「昔は夫は普通に仕事していて、母親だけで育児ができていた」という意見があったが、家の形も、家族の形も、地域の形も、社会の形も「昔」とは違うのだ。

育児を支える周囲の人間関係も希薄に
 昔の団地では周りの家から「何が起きているのか?」が見えた。子どもが怒られている声が聞こえれば、「昨日は随分叱られてたけど頑張りなさいよ」と励ましてくれる隣のおばさんがいたり、「赤ん坊が泣いてたけど、これよかったら食べて」とお総菜などをおすそ分けしてくれたり、病気の可能性を教えてくれるベテランママさんがいた。
 だが、今はマンションで隣にどんな人が住んでいるのかさえ分からない。その一方で、ネットには「これが正解!」という情報ばかりが飛び交っている。
 孤立と自信喪失と不安に翻弄されるのは、多胎児の母親だけではない。「子を育てる」ことが極めて難しい社会になってしまったのだ。
 ならば社会の片隅で苦悩する母親と家族に手を差し伸べるやさしい社会を、社会構造を作る責任が「私たち」にあるのではないだろうか。
 私はその社会の中に「会社」というものがあると考えている。世界にも誇る「優しい育児休暇制度」のある日本で、会社員の父親たちが「父親」より会社員であることを優先し、母親が苦しみ、子供に刃(やいば)が向かうのは異常だ。
 「取るのは勝手だけど……」
 「子どもができると休めるなんていいよなぁ……」
などと、相手を理解しようとしない空気が、日本という社会、いや「私」たち自身に染み付いているのだ。
 前回、それを打開する策として日本同様、性別役割分担の価値観が根強いドイツの取り組みを書いた(以下、再掲)。

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 時間に関する政策を通じてドイツは、ケア労働と市場労働のバランスを保ち、個人・企業・社会のいずれもが、それぞれの責任を負い、互いに協力し合い、働く人たちが最後まで無理なく「働き続けられる制度」を試行し続けている。
 その土台には、「仕事だけをやっていたんじゃ、豊かな人生は手に入らない」「豊かな人生のためには、自分の自由になる時間が欠かせない」「お金につながること(有償労働)だけに、人生の意味があるわけではない」という考え方に基づいた、国の「哲学」が存在する。そして、その哲学は、国を支える国民の中から生まれるもの……。

 かたや日本はどうなのだろう? どんな「哲学」の下、女性の労働参加や、イクメン政策が進められているのだろう?

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社会をリードする存在として「会社」が担う新しい役割とは
 先日、セゾン投信株式会社の中野晴啓社長と対談させていただいたのだが(後日、対談記事として電子版に掲載予定)、中野さんはこう断言していた。
 「社会が共有価値として次世代の子ども達を支え、高齢世代の自立も社会で実現させるためには、会社がその担い手として先導する社会的責任を負っていると思います。これもESGですね」
 社会の空気をつくるのは「私」たちだが、その先導役として会社にも役割を果たしてほしいと思う。
 そのためにもまずは「理解する」。そして、「人生の時間」の大切さを考えて欲しい。 「父親」より「会社員」を優先する社会が失うものはあまりにも大きい・・・。


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