NHK-TV 知る楽シリーズ、2009年12月~2010年1月の火曜日コース「歴史は眠らない」のひとつ。
番組は見てませんが、タイトルが気になり本を購入して読みました。
筆者(演者)は精神科医師であり、著作も多い売れっ子作家でもあります。
1960年生まれというと、私の3つ年上・・・あまり変わらないんですね。
現在の肩書きは「立教大学現代心理学部映像身体学科教授」だそうです。
目次を見ると大体の内容がわかります;
前書き:子育ては母親の仕事でしょうか?
第一回:大江戸子育て事情
第二回:”良妻賢母”の光と影
第三回:孤立する教育ママ
第四回:”3歳児神話”の呪縛
というわけで「子育てを母親に押しつけないで!」という論調です。
この手の文章は最近よく見かけますが、「では理想の子育てとは?」との問いに答えを用意しているモノはほとんどありません。
香山さんの答えは・・・以下のような文章を見つけました;
「母と子が『それぞれが個として生きる』というのはかなり困難なことなのかもしれません。しかし、結局はそこにしか答えを見いだすことはできないようです。」
なるほど。
日本の子育ての責任が母親にのしかかってきたのは明治以降で、それまでは父親が責任を持っていたと分析しています。
ここでちょっと「?」
子どもに「安心感」や「生きていることの充実感」を与える子育てと、「教育」する子育てがごっちゃになっています・・・残念。
今不足しているのは「生きるって素晴らしい」と自分に自信を持たせる子育てであり、社会のルールを教える子育てではありません。
簡単に云うと「母の柔らかい胸に抱かれた安心感」・・・そう、マリア像ですね。
香山さんは歴史上事実、あるいは学説を交えながら「子育てを母親がする必要はない」と論説しています。
通読して、個々の内容は納得できることばかりでした。
ただ、気になったのは「女性から」「母親から」の視線で話が進められていること。
「子どもから」の視線が乏しいのです。
もちろん、母親が女性として充実した人生を送ることは育児上とても良いことです。楽しそうな母親の表情を見ていると、側で見ている子どももうれしくなることでしょう。
でも、母親が家の外で充実した仕事をしていても、疲れて帰ってきて子どもと喜びを分かち合えないのが悲しい現実。
明治以降、父親は殖産興業・富国強兵目的で労働力として家庭から奪われてしまいました。
間違いの始まりはココです。
母親は子育ての重責を担うに至り、さらに核家族化が進んで孤立し、耐えきれなくなってきました。
何とかせねばなりません。
母親の社会進出も時代の流れだとは思いますが、置き去りにされた子どもはどうすればよいのでしょう。
満たされない、寂しい心を一生抱えながら人生を送ることになります。
するといろんな精神的ストレスにもろく、幼少期から青年期に発生する諸問題と深く関わってきます。
現代社会の抱える大きな問題です。
母親の社会進出と平行して、子育ての担い手を家庭に用意する周到な準備が必要です。
他人に委託するのはいろんな意味で危険。
方向としては、周囲を巻き込む方法を模索した方が安全と思われます。
当然、父親も子育てを担う必要があります。
しかし、私には父親が母親の代わりをできるとは思えません。残念ながらマリア像の安心感を子どもに与えることは無理です(経験上)。
父親の役回りは、母親が笑顔でいられるようサポートすることではないでしょうか。
お母さんに抱かれて、それをお父さんが見守って・・・というのは理想論?
いずれにしても、父親を家庭に取り戻す努力が必要です。
準備として、残業禁止、夜間も働くなら交代制を義務づける、などの国としての配慮がなければ進みません。
そんな政策を打ち出した政府が今まであったでしょうか?
手詰まりです。
番組は見てませんが、タイトルが気になり本を購入して読みました。
筆者(演者)は精神科医師であり、著作も多い売れっ子作家でもあります。
1960年生まれというと、私の3つ年上・・・あまり変わらないんですね。
現在の肩書きは「立教大学現代心理学部映像身体学科教授」だそうです。
目次を見ると大体の内容がわかります;
前書き:子育ては母親の仕事でしょうか?
第一回:大江戸子育て事情
第二回:”良妻賢母”の光と影
第三回:孤立する教育ママ
第四回:”3歳児神話”の呪縛
というわけで「子育てを母親に押しつけないで!」という論調です。
この手の文章は最近よく見かけますが、「では理想の子育てとは?」との問いに答えを用意しているモノはほとんどありません。
香山さんの答えは・・・以下のような文章を見つけました;
「母と子が『それぞれが個として生きる』というのはかなり困難なことなのかもしれません。しかし、結局はそこにしか答えを見いだすことはできないようです。」
なるほど。
日本の子育ての責任が母親にのしかかってきたのは明治以降で、それまでは父親が責任を持っていたと分析しています。
ここでちょっと「?」
子どもに「安心感」や「生きていることの充実感」を与える子育てと、「教育」する子育てがごっちゃになっています・・・残念。
今不足しているのは「生きるって素晴らしい」と自分に自信を持たせる子育てであり、社会のルールを教える子育てではありません。
簡単に云うと「母の柔らかい胸に抱かれた安心感」・・・そう、マリア像ですね。
香山さんは歴史上事実、あるいは学説を交えながら「子育てを母親がする必要はない」と論説しています。
通読して、個々の内容は納得できることばかりでした。
ただ、気になったのは「女性から」「母親から」の視線で話が進められていること。
「子どもから」の視線が乏しいのです。
もちろん、母親が女性として充実した人生を送ることは育児上とても良いことです。楽しそうな母親の表情を見ていると、側で見ている子どももうれしくなることでしょう。
でも、母親が家の外で充実した仕事をしていても、疲れて帰ってきて子どもと喜びを分かち合えないのが悲しい現実。
明治以降、父親は殖産興業・富国強兵目的で労働力として家庭から奪われてしまいました。
間違いの始まりはココです。
母親は子育ての重責を担うに至り、さらに核家族化が進んで孤立し、耐えきれなくなってきました。
何とかせねばなりません。
母親の社会進出も時代の流れだとは思いますが、置き去りにされた子どもはどうすればよいのでしょう。
満たされない、寂しい心を一生抱えながら人生を送ることになります。
するといろんな精神的ストレスにもろく、幼少期から青年期に発生する諸問題と深く関わってきます。
現代社会の抱える大きな問題です。
母親の社会進出と平行して、子育ての担い手を家庭に用意する周到な準備が必要です。
他人に委託するのはいろんな意味で危険。
方向としては、周囲を巻き込む方法を模索した方が安全と思われます。
当然、父親も子育てを担う必要があります。
しかし、私には父親が母親の代わりをできるとは思えません。残念ながらマリア像の安心感を子どもに与えることは無理です(経験上)。
父親の役回りは、母親が笑顔でいられるようサポートすることではないでしょうか。
お母さんに抱かれて、それをお父さんが見守って・・・というのは理想論?
いずれにしても、父親を家庭に取り戻す努力が必要です。
準備として、残業禁止、夜間も働くなら交代制を義務づける、などの国としての配慮がなければ進みません。
そんな政策を打ち出した政府が今まであったでしょうか?
手詰まりです。