長岡の花火を信濃川が滔々と流れる船の上で眺めていました。屋形船と地元では呼んでいるようですが、岸辺に繋がれたその船上で華麗な花火もさることながら、激流に近い大河の迫力のほうに何故か気がむくのです。長岡高校生徒の頃、某先輩が人生を憂いて大きな橋の上から投身自殺をした記憶が花火を見ている内に心をよぎり本当に切なくなりました。親しい人が花火を楽しんでいるのに、何故、数十年、忘れていたこのような思い出が突然と浮かぶのでしょう。少々、神様を恨みました。何故、今、こんな時、このような気分が流れるのか、そんな自分にぎょっとしましたが、多分、その先輩の魂が私に近づいたのでしょう。その先輩の事件は1954年頃の話で、殆ど忘れていました。鎮魂の花火になりましたが、花火観賞の仲間たちとは楽しい会話をしながらも、30分ほど、でしたが、大河の流れから浮かび出した先輩の顔と花火とその音色に祈りをささげていました。こうして先輩の顔が激流に消えて、改めて花火の感動に浸る事が出来ましたが、何だか少々恐ろしく気味の悪い気分にもなり、その湧き出した思いもよらない気分の意味を今、改めて考えています。次のミサの折に、その先輩の魂と長岡の空襲で亡くなった市民の魂の鎮魂を真剣に祈り、今の平和を感謝しようと考えています。あの湧き出した感情の意味は色々解釈できますが、沢山ある解釈の中から、今回は私の残された人生での希望について、考えました。周囲の人々を心から愛し、信頼し、ともに今の仕事に専念しようとも決意を新たにしています。思い切り周囲の人々を信じ、ともに同じ目標に向かって生きようとしている同志を信じ、その共同体の目的を我が人生の希望として、明るく元気に爽やかに生きていこうと感じています。何とも奇妙な信濃川の亡き先輩の魂の物語をしてしまいましたが、ただ楽しい花火の風景に、何故か、このような記憶が湧きだした理由は、多分、私の生育史の或部分の洗浄作用なのかもしれません。長岡の花火は生まれて初めての鑑賞でしたが、考えてみれば、長岡は私の人生で中学、高校時代だけのもので、後は、誕生の地・台湾をかわきりに、佐世保、葉山、海外、東京が人生の舞台でした。長岡の花火のあの音と華麗な風景の中で浮かび上がった先輩の顔、しかも信濃川の流れの中から、突然と飛び出した先輩の思い出が、思わぬ洗浄をしてくれ、益々、我が人生が軽やかに変化していたのに気付きました。翌日訪問した古代日本の魂の故郷、弥彦神社は、これまた不思議な霊場でした。壮大な越後平野、美しい日本海の風景、これらの大自然が私に与えてくれたエネルギーは私を今、イキイキとさせてくれています。エリクソンが「不信感と基本的信頼と希望」の関係を盛んに論文に書いていますが、まさに、このような体験の事なのです。先輩の死の背景を私が高校生徒の頃しりましたが、この時に感じた大人への不信感は、当時の高校生徒の私を革命家に志しをたてるべき勢いでした。改めてエリクソンの洞察力に感動しています。
「自分は何処へ旅しているのだろうか?:<719>」
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自分は何の為にいきているのか、を楽しく思索するのが「生き甲斐の心理学」です。 その研究方法について下記に列記しておきます。どんな厳しい現実でも、その現実には深い意味があり、その意味を探索しつつ明るく元気に爽やかに生き抜く知恵をここで学友とともに探り合います。学友は生涯の親友となるでしょう。:
(1)テキスト購入先:「生き甲斐の心理学:ISBN 978-4-9903527-2-1」はアマゾン,サンパウロ書店経由で全国書店で販売されています。テキストと併読されると「生き甲斐の心理学」がより楽しくなります。
(2)お詫び:テレビ(インターネットによるテレビ部門)、発売中のDVDの読者からの個別質問は多すぎて答えられません。お許し下さい。
(3)学友同志がこのブログを話題に明るく爽やかな友情で繋がりますように:
このブログの対象者:テレビ及びDVDの愛読者、ユースフルライフ研究所の講座生徒、NPO法人CULLカリタス カウンセリング学会の会員、ミッションスクール(大学、高校等)での私の勉強会への参加者、全国各地でテキストを愛読して下さっている方、FB, MIXI, TWITTERで友達関係の方々。
(4)「自分の生き甲斐」を意識化する、または、見つける方法:
「自分の生き甲斐」は「自分で楽しく創造」していく必要があります。自分の個性や生育史を否定していたら、多分、永久に自分らしい生き甲斐は見つからないでしょう。何よりも自分の過去の人生を尊重し、良い思い出も、悪い思い出も、大事にする哲学を確立する必要があります。自分の人生の流れ、独特の方向性を模索し、思索しようとしているのが私のブログです。皆さまの生き甲斐発見と悔いの無い人生確立に役立ちますように真剣に祈りつつ書いています。
(5)自分を信じる為には人間とは何者か?と言う思索をしておく必要があります。「人の身体は神の神殿」(ISBN978-4-9903527-0-7:植村高雄著):アマゾン、サンパウロ経由全国書店扱い:を読むと何故、自分を信じられるかが明確になってきます。
(6)既に書かれたこのブログの重要な基本的諸理論について:
テキストの第1章から11章までを楽しく考えていただく為のコーナで、ブログの左側の「カテゴリー」を見て下さい。2005年12月10日から2012年4月6日まで2275回にわけて書かれています。これを読むと日常生活の、どのような生活場面で、これらの諸理論が役立つか理解出来ます。
(7)応用編:第12章から第14章まで:
2012年4月7日から2013年8月8日まで:488回。
(8)第15章「自分は何処へ旅しているのだろう?幸福な日々の為の自問自答集」:
2013年8月8日にスタートしました。毎日が旅です。この旅を皆様と共に明るく元気に爽やかに旅をしていきましょう!
(以上)
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