持統天皇の幼児期のお話です。父である天智天皇が母方の祖父・蘇我倉山田石川麻呂を殺戮してしまう悲劇は後世の私達には衝撃の歴史です。持統天皇は母の哀しみや、その政治的悲劇の真ん中でそだっていくわけです。持統天皇の場合は意思力も自律性も抜群の女性として育ちますが、普通、このよな環境ですと、意思力と自律性に欠落があるのが普通です。ここで勉強しておきたいのは、性格形成の過程で「意思力と自律性と幼児期の恥辱・疑惑の3つは深い関連性がある」という原理だけを意識化しておいていただきたいのです。自分の幼児期の解釈を変えると世界が変わります。どんな幼児期でも哀しい思い出を逆手にとり、持統天皇のように強烈な意思力と自律性を持つ事が出来ます。
エリクソンという学者の論文だけを見ると、ああ、何ともまあ残酷に、こんな理論を平然として述べているのか、と若い頃反感を感じたことがあります。といいますのは、その人格発達論の中で、2-4才の時の幼児期に、何らかの体験から、親、兄弟、または周囲の人々から恥辱と疑惑を感じざるを得ない生活や体験に追い込まれた場合、その子は、自律性を失い、意思力に欠落がうまれてくると論文を書いた事にたいして、私はとてもがっかりして、これでは、人々は自分の人生に対して希望を持てないではないか、こんな幼児期の体験が人の人生を本当に左右するのだろうか、とエリクソンを馬鹿にした事がありました。若い研究学徒が陥りやすい傲慢です。私の学習不測からきているのですが、今では、この理論のお陰で、私の仕事上、とても有難い理論だと感謝しています。暫く幼児期の思い出の中にこの恥辱と疑惑の原型をもたらす出来ごとが、いかに、その人の生涯を左右しているかを思索していきます。