今、この場所から・・・

いつか素晴らしい世界になって、誰でもが望む旅を楽しめる、そんな世の中になりますように祈りつづけます。

素敵な山男(2)

2011-05-28 20:25:53 | 山、人、幸せな出会い
昨日(27日)、近藤謙司さん率いる「エベレスト登山隊」は無事登頂を果たし、ベースキャンプへ戻りました。

<おめでとうございます!>

今回で何度目のエベレスト登頂でしょうか、今回は特別、大変だった事でしょう、ベースキャンプで隣り合わせていた「尾崎隆」さんと言うすごい登山家の事故死を目の前にして、それでも、皆さん、エベレストの頂を目指された事、少しだけ山の世界をみてきた私は、その心境がどんなお気持ちだったか・・・

近藤さんの人柄を私のつたない小説に書かせて頂いたものをその部分だけ載せてみました、今は長い文章を書くエネルギーがありません、もし御読み頂ければ、とても嬉しいです。
<私の感じている、近藤さんのあくまで、イメージです>

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小説「愛をこう人」(後編)の最後の方に書かせて頂いてます>

(五十二)
しばらくして、友人から、連絡が来て、穂高に、どうしても登りたいなら、君を案内してくれる、ガイドさんを紹介するから、会ってみては、どうかと、すすめてくれた。
君の気が済むまで、よく相談してみてはどうだろうかと言ってくれた。
「ただし、案内されて、登山できたとしても!」
「君の体力で、歩いて行ける場所までだよ!」
そう念押しをされての、紹介だった。

数日後、ある、カフェで、その、登山家と会った!
一目見て、すぐに、久美子はこのガイドさん、K氏を気にいった。
とても、人柄の良さそうな、頼れる人物に見えた。

お互いにひと通りの挨拶を交わして、まず、穂高へ向かえる日を聞いて来た。
K氏は、ひと通りの登山についての常識的な事を話して、久美子の今の健康状態を聞いた。

どうやら、友人は、ある程度の、私の病気の事を話してあるようだった!
そのあとに、久美子が案内をお願いしたい山である!

「穂高連峰の山について」
の説明をしてくれて、七月の末は、夏山の登山シーズンの一番良い時期で、何処の山小屋も混んでいますが、直ぐに、個室を予約しておきますから!

そう言ってから、もし天候が悪い時は、いさぎよく、取りやめにしてくださいね!
私も、この夏は、仕事が多くて、予定が詰っていて、本当に申し訳ないのですが、次ぎの予定が取れませんので諦めてください!

たぶん、穂高へ向かう予定日の天候は良いだろうと思いますが、昔は、「梅雨明け十日は、晴れる!」と言われていたものですが、どうも、最近の天候は、予測のつかない事が起きますので、「山や」泣かせですと笑いながら言った。

久美子は、そんなふうな言葉があるのだな~と関心しながら、K氏の話を聞いていた。
K氏は必要な事を分かりやすく、丁寧な言葉づかいで、話し、穂高の山地図を見せてくれて、歩くコースを説明してくれた。

「ここ、上高地から、歩き出します!」
「そして、明神、徳沢、横尾と歩きます!」

普通は、一日で、涸沢まで入るのですが、もし、きつかったら、横尾の小屋に泊まりましょう。
次の日、少し朝早く歩き出して、涸沢までか、もし、まだ歩けるようでしたら、穂高岳山荘まで、上がります。

「頑張りましょう!」
「頑張りましょう!」

そして、いよいよ、穂高岳の山頂を目指します。
僕の取れる予定は三日間ですがよろしいでしょうか!

そう言って、申し訳なさそうに、優しい笑顔をみせた、彼の予定された時間を、少しでも有効に使う為に、上高地へ、登山前日に、久美子ひとりで入って、彼に紹介された、上高地で一番お安い宿だといわれる「西糸屋」に泊まった。

(五十三)
K氏、彼は、前日の夕方まで、仕事が入っているために上高地で落ち合う事になり、上高地までは別行動だった。
彼は、少し照れながら言った。

「最近はけっこう多い仕事なのですが!」
「中高年者向けの登山教室で話をするんです!」
「講演会で、私、講師なんです!」

そう言った、彼の笑い顔が久美子には、とても気分の良いものだった。
なるほど、この人なら、人気があるだろうな~と、久美子は思いながら、聞いていた。

「僕は、前日の仕事が済んだら、」
「そのまま、車で、上高地へ入ります!」

自家用車は上高地へ入れないので、沢渡で、バスに乗り換えていきますから、僕が、西糸屋へお向かいに行くまで、待っていて下さい。
たぶん、七時前には伺えると思います。
リックの中身は、

「食べやすい、ご自分の好きな物のおやつを少し」
「お水は五百もあれば?」

久美子は、お水が五百?て、なに?、何のことだか分からなかった!
ああ~、ペットボトルの五百ミリリットルが一本と言う意味です。

「すみません、つい、言葉をはしょる癖が!」
「着替えは、ワンセット!」

山の中では一度だけ着替えが出来れば良いと思ってください。
それも、汗や雨に、濡れた時だけ着替えて、乾かして、又、それを着替えます。
彼は、なんの躊躇することなく、すらすらと言った。

「三日も、着の身、着のまま?」

久美子は、家に帰るまで、汚れた服で過ごすのだと、覚悟した。
ああ~それから、帰宅用の着替え、ワンセットを、別に持って来て下さい。
上高地のロッカーに預けておき、下山時に着替えて、さっぱりして、かえれますから~
とにかく、背負う荷物は、出来るだけ、軽くして、歩きましょう。
そんな事を、早口で、久美子に伝えた。

登山の前日、久美子は、K氏に紹介された西糸屋に泊まったが、ほとんど、眠れずに朝を迎えた。
彼は、七時を少し過ぎた頃、迎えに来てくれた。

私に会うなり、にっこりと笑顔で、すみませんが、リックの中身を見せてくれますか~あ~
いきなり、思いもしなかって事を言われた久美子は、どぎまぎしながら、リックを渡すと、彼は、リックの中身を見て、次々と、

「これはいりません!」
「これはやめましょう!」

そういいながら、久美子が用意していた、荷物をわけて多すぎる食べ物や、重い果物は、自分のリックに入れて、久美子のリックは、雨具と少しの食べ物と水、そして貴重品だけになった。

取りやめた、持ち物と、下山用のワンセットの着替えを、手早く、久美子の荷物とK氏の荷物をひとまとめにして、ロッカーに預けて、軽く、体をねじったり、足の裏を延ばすような?運動をして、久美子は、彼のまねをして、体を動かした。

「さあ~、出発しましょう~」
そう言って、歩き出した。
ゆっくり、のんびり、周りの景色が目に入ってくるくらいの余裕で、歩いてください!
そう言って、私を彼の前で歩かせたり、自分の後ろを歩かせたりして、木や草、花など、目に付いた物を良く説明してくれた。

午後、二時前に、横尾に着いた。
久美子は、まだ、歩けますと言ったが、彼は、今日は横尾に泊まりましょうと言って、荷物を置いた。

夕方まで、ぼんやりと外を眺めたり、なにをするでもなく、ゆっくりとすごすふりをした。

この小屋はお風呂があるので、入れますよと、おしえてくれたが久美子は、そんな気持ちにはなれなかった。

部屋は、何人かと相部屋で、これから登る人、下山して来た人、さまざまだった。
久美子は、誰かが、話しかけてきたときだけ!
「はいとか、そうですとか、応えるだけだった!」
とても自分から、明るく話しかけるほど、余裕のない、緊張感で息苦しいほどだった。

あの銀色の世界へ
母の面影を求めて
美しき魂を求めて
ひとり置き去りにして
何処に居るのですか
きっと私を受け止めて
美しい花園で会えるのですね

(五十四)
そんな私の事を彼はよく見ていたようだった。
お互いが、少しずつ、打ち解けて会話が出来るようになるには、すこし時間が必要だった。
やがて、彼は、気がつくと、軽いジョークも入った言葉をかけて来ている事に久美子は気がついて、とても、気分が楽になった。
朝の早い時間に横尾小屋を出発しているのに、周りの風景が、久美子には少しも変わらないと思えた。
少しの登りでも、足が上がらず、息が苦しい!
体が重くて、まるで全身に何かを括り付けられているように体が重く辛かった。
彼は、ゆっくり、ゆっくり、歩きでいいですよといい!
私の短い足は、ちょっとした、岩の段差がとても辛い!
足が上がらない時は!彼はいつも、言った!
「片足を岩にしっかりと乗せると足が長く伸びます!」
「だから、安心して、岩に足を預けましょう!」
そう言われると、なんだか、そんな気がしてくる!
重い体と、力ない足を、一歩、一歩、上へ、前へ、時には、岩をよじ登るように、私は、登山道と格闘しているような気分になる!
バランスを崩して、よろけそうになると、決まって、彼の力づよい腕が支えてくれる!
「久美ちゃん、上を見て下さい~」
突然、K氏の声がかかる!
遠くに、鯉のぼりが勢い良く、泳いでいるのが見えた!
今から、「久美ちゃんと、呼ばせてください!」
K氏はそう言って、なんだか、久美ちゃんの頑張ってる姿が、僕、嬉しくなっちゃいましたあ~
彼は私を元気づけるようにそう言って、それ以降、私を、
『久美ちゃんと呼んでいた!』
私と彼では、親子ほどの年齢差があっても、なぜか、私は嬉しいような気持ちがした。
少なくとも、嫌な感じではなかった。
お互いが、仲間同士のような、錯覚さえ感じていた、今、この山の中では、自然に受け止められる事だった。
昼前に、涸沢に着いたが、もう、これ以上は、久美子は歩けないと思った。
「なぜか、もう充分だと感じた」
彼も、その事を予測していたようで、今夜はここに泊まる予約を入れてありますとニコニコしながら言った。
今は、なにを言われても、久美子は、嫌な気がしない!
涸沢ヒュッテの外のテラスで、ふたりは、生ビールで、カンパイをした。
けれど、久美子は、ほんのひとくち、口に含んだだけだった。
やはり、どんなに、忘れようとしていても、体に住み着いた、がん細胞は、活発に働いていた。
その夜、耐え難い苦しみと痛みで、久美子は持参していた、強い痛み止めを使ったが、なお痛さと不快感はしばらくの間おさまらなった、浅い眠りを与えてくれるだけだった。
彼には、久美子の本当の病気の事を伝えてはいなかったが、なぜか、久美子の病気を理解していたようだった。
次の日の下山の時、上高地まで、涸沢ヒュッテの従業員がひとり、一緒について来てくれた。
K氏は、彼は仲のいい友人だから、気にしないで下さいと言ってくれた、今日は休暇で、山を下りる都合があったとも言ってたけれど、久美子の体調を考えて、付き合ってくれた事は間違いなさそうだった。
おかげさまで、久美子は何とか無事に、上高地に下山出来た。
体の疲れは確かにあったが手や足、体の弱りきった筋肉は、何度も、引き連れ、よじれて攣った、その耐え難い痛みに、声を出さずに、久美子は泣いた、けれど、そんな事は直ぐに、忘れてしまえる、上手く言葉で表せない喜びが、心の中で沸き起こっていた。
けれど、肉体の痛みや疲れは、なぜか、心地よいものに変化しつつある、心があふれる喜びに打ち震えて・・・

(五十五)
穂高から帰って、しばらくの間、まるで、何かが久美子を包み込んでしまったようなふわふわとした気持ちで、体がとても軽くなった気がしていた。
体調の良い日がつづいて、何かを成し遂げた、
「ご褒美を大自然から頂けたような!」
「不思議な感覚で、はじめて感じた!」
「充実した、幸福感だった!」
時折、涸沢でのお花畑の中を歩いている時のような香しい花の匂いさえ、感じて、あの美しい風景が、瞳の奥に何処までもつづき、広がる!
それは、昔、私だけが知っていた、あの
『秘密の花園』
と重なり、合わさる!
母の姿と、共に、久美子の心は満たされていた!
心が不安に、揺れる事もない、悔いの無い人生の素晴らしさに感謝した気持ちだった。
思い返せば、久美子の生きた日々は!
苦悩も苦しみも、すべてに価値のある事だった。
ふと、そんな思いにしてくれた!
あれほど、何かを追い、捜し求めていた事のすべてが叶えられた気がした。
今、幸福と感謝する日々の中で、時には、久美子は生きているのだと知らせてくれるように、命を実感させる、激しい痛みさえも喜びに変わる!
命を刻む、胸の鼓動が美しいリズムのように・・・
もう、何も恐れることの無い心が虹を描く!

私の生きた六十五年間は素晴らしい人生を彩り!
愛をこう、愛しさを詠った喜びに感謝!!!


・・・・・・・・・・・・・・・完了







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