(今も、ウルタルの谷を見渡せるホテルに飾られてるのだろうか、山の師、長谷川恒男さんの写真が)
もう、25年が過ぎたのだろうか
少し痛む足を気にしながらのさんぽ道、少しの坂道を歩きながら、ふいに思い出した
<まだ、まだだよ!>
あの懐かしい声が聴こえた
昨年が、ウルタルで亡くなって25年だったけれど、昨年のうちに私の山の師である「長谷川恒男」さんの思い出の記事を書きたいと思いながらも言葉をつづれなくて、心が重かった。
師との山行はいつも強烈で、私にとっては体力も登山技術も限界を超えた山行ばかりだったが、そんな私の持つ能力以上のものを引き出してくれる、言葉に出来ないほどの感動をいつも与えてくれた、たくさんの忘れがたい思い出と経験だった!
特に、師との最後の山行は「槍ヶ岳、北鎌尾根」だった
5月の連休明け、長い長い歩きと重いリック、眼もくらむような雪壁のトラバース、重いリックを背負いながらのアイゼンでの岩壁登攀の連続で恐怖感と体力の限界を超えていたのか<幻覚>を見るという経験もはじめてした、あの時、「善と悪」の区別が出来ずに、ただ、この重いリックを何処へ捨てようかと思いながら歩いた記憶!(捨てる事もなく下山したけど)
長く、苦しい山行も終わり、上高地で重いリックをおろしてトイレへまっすぐ歩けずよろよろしていた私を見て、同行者が「Tさん、だいぶ疲れてるようね!」と言った事に
師は「まだ、まだ、だよ!」との声が聞こえて
あの日以来、私はどんな困難にであっても<まだ、まだ、だよ!>の声を思い出しては懐かしく、励まされてきた。
あの日から、25年の歳月が過ぎ、今、私は眼と耳の機能がわずかに残されて、足も手も不自由さはあるけれど、さんぽも出来るし歩ける、一日が幸せで穏やかに暮らせてる。
たくさんの山での感動と経験は私の生きて来た道、私という人間が存在した証なのだろう・・・
まだ、まだ、だよ!
この声が聞こえた時
切なさと共に生きる勇気がよみがえる
私が今、精一杯頑張れる
そんな、思い出の声だ!