私は6月の半ばくらいまで、眼の痛さと、うす暗い、ぼんやりと周りの状況が判断できる程度ほどの視力の中で、いつ失明し見えない闇が来るのか絶望と希望を彷徨いながら暮らしていました。
元々10年前くらいから眼の痛さに耐えて、徐々に視力は落ちて行ったが、2018年の暮れにまったく見えなくなった時は本当に驚きと悲しみとごちゃ混ぜになって絶望した、けれど、幸いにも何日かで少し周りの判断が出来る程度に、視力は回復したが、ブログを続けることは出来ず、閉じていた、パソコンも放置したままだった。
ここに越してきて2年が過ぎようとした頃、ご近所さんに眼科が開院されて(それまで別の眼科医院にお世話になっていたが)あまり期待を持たずに開院された眼科医院へ行き、検査、治療、手術、などなどを繰り返し、そして今年6月の初めに「医療用、コンタクト」にたどり着いた。
それはまさに「奇跡が起きたように」見えるのだ、この世界の光輝きを、痛みもさほど感じないし、太陽の陽射しは確かに眩しいけど、外に出て深呼吸が出来る、あの薄暗い闇の世界ではない光、なんと言葉にすればよいのだろう・・・
今年は年明けから体調の悪さとなぞコロナの恐怖におびえながら、必死でこの地域に溶け込もうとして頑張ってイベントへも参加していた会も、いきなり断ち切られて「孤立感」が深く、相方さんとふたり散歩も難しくなる。
そんな中の光だ、私は信じられない思いの中でパソコンを開けた、諦めていたわがブログにたどり着けたそして、なぞコロナから逃れたくて、毎日がブログにのめりこんでる日々・・・
だが、眼医者様から言われてる「コンタクトは一時しのぎだと」
コンタクトを外せば痛みと闇が隣あわせだ、毎回診療のたびに怯えながら「コンタクト」を入れてくださいとお願いしてる。
そして昨日が眼科診察日、私は手紙を書いた
「先生、私から光を奪わないで下さいと」
このままコンタクトをつけ続けさせてくださいと、気持ちの中では先生にすがりついて、土下座して、お願いして、もうしばらくはこのまま光の中にいられそうだけど・・・
いつまで許される事なのだろう、焦る気持ちが言葉をつくり、頭の中で囁く、あんなこと、こんな事が堂々巡りして、聞こえない耳が擬音と美しいメロディーを奏でて、昔帰りを繰り返し、今日も光が美しい
耳はわずかに残された聴力でもがまん致しますから、光だけは奪わないでくださいと祈る
命ある今をありがたく、感謝