廣島パイレーツ・チャンネル

広島の名も無き”田舎侍”が地元プロスポーツを中心に色々と書いて行く過激なスポーツコラムや、広島の市政や街づくりについても

新スタジアムへの道(3)

2024-01-19 22:22:22 | Weblog
 『ターニングポイント』

 中国新聞の向こうを張って始めた連載、3回目はJリーグが始まった1993年から数年間です。 検索して見ると、この頃の日本サッカー協会やJリーグなどサッカー界は2002年のワールドカップ誘致を目指しており広島市は最初、完成直前のビッグアーチ(現エディオンスタジアム・広域公園陸上競技場)で開催地に立候補を表明したがワールドカップの会場としては客席の屋根が一部しかカバーしていないのは問題、バックスタンド側にも屋根が必要と言われて何と「韓国との共同開催になり広島で開催出来る試合数が減り、巨額の改修費は割に合わない。」と当時の平岡市長が言って招致活動から撤退、この時点では既にサンフレッチェが存在しており”Jリーグブーム”で万単位の観客を集めていたにも関わらず酷い言い様だが、それだけアジア大会(と言うより、それを利用しての郊外部開発)での巨額投資による市の財政難が積極的な動きが出来なくなる厳しい状況でもありましたが。 

 

 エディオンスタジアムのバックスタンド部分に屋根を掛けたとすれば雰囲気的には埼玉スタジアムみたいな感じだろうか。 同じ陸上競技場だと規模的にも新潟や、私も2021年にアウェー遠征で訪れた大分みたいな感じだろうか。 屋根掛けを拒否した当時の広島市の言う費用140億円が本当なら大分みたいに開閉式を考えていたのかも知れませんが。 もし、この時に広島市がビッグアーチに屋根を掛けていたらどうなったのか? 恐らくサンフレッチェは建物の耐用期限ギリギリまで使うしか無くなっていたと思いますし、市民球場跡地利用問題と繋がって今の街中へのサッカー場建設にも繋がらなかったのではと。 広島市がワールドカップ誘致を降りた事がサンフレッチェにとってビッグアーチを”仮住まい”にし、いずれ新しいサッカー場を建てて移転する事が決定的になったのではと思います。


そごうと市民球場跡地
 昨日の記事で書き忘れていましたが、そごう広島店は新館を閉めて売り場を今の本館に集約する訳で、今回のニュースになったのはセンター街の一階と二階に今の新館に在るアクセサリー売り......

 サンフレッチェはエディオンピースウイングで迎える新シーズンに向けて宮崎でキャンプを続けています。 新戦力や若手の台頭が期待される中、ベテラン勢も健在ぶりを見せ、レギュラー争いが激しくなりますね。 ACL2への出場も意識して選手層の底上げも期待しています。

 
コメント
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