小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

大磯ロングビーチ、西浜、由比ヶ浜

2009-07-12 23:22:31 | Weblog
今日は7月12日(日)七月二週目の日曜日。大磯ロングビーチは客は少なかった。水、冷たい。2時位に、134号で、西浜、由比ヶ浜、に行く。ビキニの女はかなりいた。ゆり(今日。いい)ナツキ(まあまあ。ゆりの方がいい)ユウキ(?)

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処女懐妊

2009-07-12 02:15:43 | 考察文
さてキリスト教のマリアとヨセフの処女懐妊について。

結論から言うと、性行為をしたからイエスが産まれたのである。

こう言ってしまうと身も蓋もない。だがキリスト教および聖書では、「聖霊のうちに生まれた」と言って、こういう発言は神を冒涜するタブーなのである。しかし、それは信者にとってのタブーであり、私はキリスト教の信者ではないので、私が言う分にはかまわない。

では聖書ではウソを言っているのか。それも実は違う。キリスト教では、その事は語ってはならない事なのである。「語ってはならない」とキリスト教では言っている。だから一部の信者は苦しく疑問に思いつつも、信者であるために語らないし、語れないのである。語れない事だから、信者には、その実質はわからない。

ウソを言っているから宗教そのものを否定してしまう、というのもよろしい事ではない。人を救うために、つかねばならないウソというものもある。

皇室で子供が生まれたら、当然それは行為が行なわれたからからである。しかし日本国民の多くは、その事から目を避けようとするだろう。「その光景を想像してはならない」と思うだろう。それは国民の側の感情から起こるものだが、宗教では、それが宗教として成り立つために、宗教の側から、はっきりと(物理的な)ウソを言っているのである。しかしそれも宗教的にはウソとは言えない。「語ってはならない」と教えているわけだから、そして、それを物理的に証明する事は出来ないわけだから、ウソ語っているとは、言えないのである。


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