小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

医者の人生

2009-07-24 22:29:39 | 医学・病気
理系の出来る人は医学部に行った方がいいか。理系の得意な人は医学部に行きたがる人が多い。東大の理学部に行くか、国立の医学部にいくか、で迷う。そのメリットとデメリットを書いてみようと思う。医学部に行った場合、六年間、学ぶ事になる。一、二年は、遊べるが、三年から四年間は、ひたすらな、医学のみの詰め込み勉強である。それも、(後になって言っている事ではあるが)問題はない。無事、卒業して、医師国家試験も、まず通る。ので医者になれる。今は、二年の研修が必修になったから、何か目的が決まっている人にとっては、研修は、うざったいと思う人もいるかもしれない。父親が眼科医で、自分も眼科医になって、跡を継ごうと思っている人とかには。しかし、研修医というのは、医師免許を持った医師であり、給料も、僅かながら出る。悪い気分ではない。そして、二年の研修は、うざったいように思われるかもしれないが、長い目で見れば、内科、外科、産婦人科、救急、などは、絶対やっておいた方がいいのである。研修医の給料は少なく、医者になるには8年、我慢しなければならない。さて、8年過ぎて、医者になったら、どうなるか。研修のおかげて、どの科の医者にもなれる。医局のしがらみを、吹っ切るか、奴属するか。吹っ切ると、自由な医者になれる。その後は本人の性格が関係してくる。僻地では医師不足だから、求人も待遇もいい。もっとも僻地といっても、千葉とか埼玉とか関東でも交通の便の悪い所は、場所によっては十分、僻地である。まあ、それでも都会の病院でも十分、就職は出来る。医者は、「先生」と呼ばれ、給料もよく、悪い気持ちではない。しかし、週一回、当直があり、また責任感は重い。結構、ストレスになる。そもそも医療は、治して当たり前である。むなしい。しかも毎日、同じ事の繰り返しである。たとえば眼科医なら、一生、目だけ診て過ごす人生とは、何とむなしい事だろうか。医者とは、そもそも、自分の幸福を捨てて、ひたすら患者につくす職業なのである。勤務医なら無難に働いていれば、食うには困らない。転科する事も出来るし、非常勤なら、自分の時間も持てる。今は医師の斡旋強者が、すごく沢山ある。医師免許というものは、不況に強い非常に有利な免許である。しかし、やりがい、という事を考えると、医者ほど虚しいものはない。と私には感じる。自分のした事が何も残らない。独創性や創造性のある、理系の人は、どこかの企業なり、研究所なり、大学院で、自分のアイデアをフルに発揮して、新しい商品を作り出したりした方が、どれだけ面白いことか。本田宗一郎ではないが、自分のつくったオートバイが日本中を走り回っているのを見る痛快さ。自分が日本を動かしていると思う快感。ただ、景気の影響を浴びるだろうから、絶対、安泰の身ではないだろう。転職も簡単に出来るものではないだろう。(よく知らないので、けっこう結構、安泰の身分かもしれない)だが、たとえばパソコンは、どのメーカーも一年に4回もモデルチェンジしているが、たいした違いは無い。技術者が食うために、無意味にやっているのに過ぎない。
さて、医師の方は。医師免許は、非常に有利で不況に強い。創意工夫しなくても、やれる、なかば安泰の公務員のような面がある。だから、医者は世間知らず、などと教養課程の先生に言われるのである。しかし。政府は日本の医療費を何とか削減しようとして、診療報酬の点数を引き下げようとする。全てのつけは医者にかける。医師の過重労働も厚生省は知ってて、知らぬ振りなのである。そのため、医師免許を持っていても、必ずしも、安泰とは言えない。しかし、医師免許を持っていれば、何科をやってもいいのである。医療は、習うより、慣れろ、であり、一年もやれば、どの科でも出来るようになる。また、厚生省の意地悪に対し、医療者側は、必死で何とか抜け道をつくろうともする。厚生省が、意地悪をしたら、他の科に転科すればいいのである。
さて、一生、勤務医で過ごすか、どうか。親が病院の院長なら、ほとんど息子は親の跡を継ぐことになる。勤務医もクリニックを開業する人もいる。しかし月々のテナント料。人件費。それを上回って儲けるためには、かなりの患者を診なければならず結構、忙しくなる。厚生省は、医療費を引き下げようと、診療報酬の点数を減らし、支払基金での厳しいチェック、カットをしている。(支払基金とは、金券である診療報酬をチェックして、減点しようと目を光らしている所である)これは医者の収入の問題だけではない。厚生省が、この病気には、この薬はだめだ、とか言ってくると、医者の裁量権が減らされてしまう。厚生省は、医者性悪説の視点で医者を見るからだが、それは一部の医者や病院の不祥事の発覚からのスキャンダルであり、私の知っている限り、ほとんどの医者は、治療に効果の無い無意味な薬など出していない。
また、武見太郎のような、力のある医師会長はいなくなったとはいえ、医師会が団結して何とか医師を守ろうとする。
はっきり言って医学部の教養課程の二年は無意味である。
確かに医師免許は不況に強い有利な免許である。しかし、そのためには8年、我慢しなくてはならい。研修の二年は、やりがい、は、感じられるかもしれないが、給料は少ない。医師免許は不況に有利な資格だからといって、それを取るためだけに8年、我慢する人という人は、いるだろうか?私も去年、ある大学の医局に数回、参加したが、とてもじゃないが、医局の拘束性と給料の低さ、には、ついていく気が出来なかった。夜9時まで働いて、月30万には、とても、ついていけない。研修医は足手まといであり、知識や技術を教えてやるから、本来ならお前が授業料を払うべきなんだそ、というのが、大学側の見方である。医者の世界は徒弟制度なのである。
医学部に入ったら、その時点で、一生、医者として生きなくてはならないのである。カムイじゃないけれど、忍者の世界のようであり、抜けることは出来ないのである。医学部に入って、国家試験に通らなかったら、みじめだからである。別の世界に方向転換できる人はいいが。しかし、そういうバイタリティーと能力があって、作家とか代議士とかになれる人は、きわめて少ないだろう。医者になったら、土地と家を建て、結婚し、子供を生んで、ゆとりのある生活は出来る。しかし、一つの病院で、一つの専門科を持ち、一生、同じ事の繰り返しの人生となる。むなしい。医者は、むなしいように書いたが、しかし、むなしいと感じるのは私の感性からであって、現実家で、大らかで、行動家で、ネアカの世間の大部分の人には、非常にやりがいのある仕事と感じている人も多いのでは、ないだろうか。
また高校生では、医者の実態というものがどういうものか、わからない人が多いだろう。現実に、医学部は偏差値が高く、入れる学力があるなら、入ろうという非常に強い誘惑が起こるだろうし、毎年、週刊誌でも、国公立の医学部の注目度は高い。それが進学校の偏差値になるのだから。医学部に入れば、「先生」と呼ばれ、社会的地位は高く、収入も多い。しかしガリ勉というのは、他人を蹴落としてまで自分が幸福になりたいと思っているエゴイストであり、そういう人が、はたして、ひたすら縁の下の力持ちとして自分を捨て患者の幸福を求める人格者に変わりうるであろうか?
実際、医学部には、醜い所があり、単位を取るためには目の色を変え、ドロップする生徒を笑いものにしている人の何と多いことか。



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