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小説家、反ワク医師、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、反ワク医師、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

至高性=呪われた部分

2009-07-13 18:19:27 | Weblog
さて、バタイユの言う、至高性=呪われた部分。について。

これは簡単な事である。最もわかり易い例が女のアソコである。ビキニ姿の女の体は美しい。しかし、裸の女の体、特にアソコの部分は、美しいどころか、むしろ最もグロテスクである。少なくとも、子供で、はじめて大人の女のアソコの部分を見たら、グロテスクだと思うだろう。そもそも美しいものなら、ビキニで隠す必要はない。グロテスクだから隠すのである。

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処女懐妊2

2009-07-13 17:18:48 | 考察文
キリストの行なった奇跡や復活などは、ひとまず置くとする。奇跡は起なわれた可能性の方が強いからだ。

では処女懐妊について。これは簡単にわかる事である。キリスト教では、処女懐妊に関してはタブーなのである。ではなぜタブーなのか。そもそもタブーとは何であろう。世の全ての事において問題のない事ならタブーとはならない。語って問題がないからである。タブーとなるのは、問題のある事、忌むべき事、おぞましい事などである。だからタブーとなるのである。だから、処女懐妊がタブーになっているのは、その実体がおぞましい事だからである。哲学者バタイユの言う、至高性=呪われた部分、なのである。

実質の問題について。
しかし証明できない事は、あくまで推測にとどまるしかないのである。
ある真理を書いた書物が頑丈な金庫の中にあるとする。その場合、真理は存在する。しかし、金庫の鍵が無く、封印されている場合、金庫を開ける事は出来ない。つまり証明できないのである。キリスト教の側から言えば、証明させないのである。そして証明できない以上、否定することは出来ない。聖書の説く所がウソだとは言えない。これは精神的にも科学的にも事実である。だから宗教は成り立つのである。

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