坂口安吾が、「道鏡」で、こう書いている。
「自分(天智天皇)自ら号令を発しても威令は、なかなか行はれるものではない。一つの神格的な天皇といふものを自分の一段上に設定する。そして自分の号令を天皇の名に於て発令し、自分自身がその号令に服して見せる。そして、自分が服したことによつて、同じ服従を庶民に強制するのである。この方法は平安朝の藤原氏が、武家時代の鎌倉政府が足利氏が、そして昭和の今日には軍閥政府が、行つたところである。天皇はロボットであつた。その号令は天皇の意志ではなしに、藤原氏の、鎌倉幕府の、軍閥政府の意志であつた。然し、彼等は天皇の名に於て自らの意志を行ふ。そして自ら真ッ先にそれに服従することによつて、同じ服従を万民に強要するのである。これは利巧な方法であつた。そして、この原形を発案したのは中大兄皇子であつた。皇子は、皇極、孝徳、斉明三天皇を立て、自らは皇太子として、大改革に着手した。」
これは、全く、その通りである。
当然、こんなことは、戦時中に書いたら、特高警察に、不敬罪として、つかまって、拷問される。
そもそも、歴史を知っている人ならば、わかるが、明治天皇、以前の、天皇は、スキあれば、自分が権力を握ろうと、虎視眈々とした者ばかりである。
平家を潰し(殺し)、次に源氏を、潰そう(殺そう)とたくらみ、そして、自分が権力を握ろうとした、後白河法皇などは、大悪人の典型である。
安吾が、これを書いたのは、当然、戦後である。
太平洋戦争が終わって、天皇は、政治的権力を持たない、日本の象徴となった。
しかし、事実を言うならば、戦後の昭和天皇も、今生天皇も、そして、次の天皇になる人も、何の偉い人でもなく、実質は、タダの人、なのである。
一方、ダイアナ妃は、立派な人だった。
ちなみに、私は、右翼でも、左翼でも全くない。
ただ、日本人は、天皇制に、絶対、精神的に、甘えていると思っている。
そして、私は、日本人の天皇制に対する、態度が嫌いである。
何か、甘ったるい、心地のいい、ほのぼのとした、否定することが絶対的な、タブーのような、甘ったれた、ナヨナヨした感じ。あれが私は嫌いである。
そのために、日本の経済も、日本人の心も、ダメになってしまった、ように私には、感じられてならない。
「自分(天智天皇)自ら号令を発しても威令は、なかなか行はれるものではない。一つの神格的な天皇といふものを自分の一段上に設定する。そして自分の号令を天皇の名に於て発令し、自分自身がその号令に服して見せる。そして、自分が服したことによつて、同じ服従を庶民に強制するのである。この方法は平安朝の藤原氏が、武家時代の鎌倉政府が足利氏が、そして昭和の今日には軍閥政府が、行つたところである。天皇はロボットであつた。その号令は天皇の意志ではなしに、藤原氏の、鎌倉幕府の、軍閥政府の意志であつた。然し、彼等は天皇の名に於て自らの意志を行ふ。そして自ら真ッ先にそれに服従することによつて、同じ服従を万民に強要するのである。これは利巧な方法であつた。そして、この原形を発案したのは中大兄皇子であつた。皇子は、皇極、孝徳、斉明三天皇を立て、自らは皇太子として、大改革に着手した。」
これは、全く、その通りである。
当然、こんなことは、戦時中に書いたら、特高警察に、不敬罪として、つかまって、拷問される。
そもそも、歴史を知っている人ならば、わかるが、明治天皇、以前の、天皇は、スキあれば、自分が権力を握ろうと、虎視眈々とした者ばかりである。
平家を潰し(殺し)、次に源氏を、潰そう(殺そう)とたくらみ、そして、自分が権力を握ろうとした、後白河法皇などは、大悪人の典型である。
安吾が、これを書いたのは、当然、戦後である。
太平洋戦争が終わって、天皇は、政治的権力を持たない、日本の象徴となった。
しかし、事実を言うならば、戦後の昭和天皇も、今生天皇も、そして、次の天皇になる人も、何の偉い人でもなく、実質は、タダの人、なのである。
一方、ダイアナ妃は、立派な人だった。
ちなみに、私は、右翼でも、左翼でも全くない。
ただ、日本人は、天皇制に、絶対、精神的に、甘えていると思っている。
そして、私は、日本人の天皇制に対する、態度が嫌いである。
何か、甘ったるい、心地のいい、ほのぼのとした、否定することが絶対的な、タブーのような、甘ったれた、ナヨナヨした感じ。あれが私は嫌いである。
そのために、日本の経済も、日本人の心も、ダメになってしまった、ように私には、感じられてならない。