小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

アフォリズム

2010-05-21 15:19:22 | 考察文
人間的であるとは、いい加減であることである。

感情的であることが、最も美しい欺瞞的な人間性である。

幸福とは自己満足の異名である。

すごい人間のすごい所は自分がすごい人間であると思っていない事である。

幸福が相対性になるとこの世は地獄になる。

極限の選択で人間性がわかる。

己を欺く人間の笑顔はひきつる。

人は同時に二人の人間を憎むことは出来ない。

孤独な人間は陰で他人の悪口を言わない。

夢は叶ったとたん夢でなくなる。

死を笑う人間に死ぬ勇気のある者はいない。

人生に完成はない。本当の人間は未完成のまま死ぬ。

自分を否定できる人間こそが強い。

憎しみはエネルギーとして使える。

失って、はじめて、当たり前であることの有難さががわかる。

本当の自分を直視するには相当な勇気がいる。

欠点は時に素晴らしい個性であることがある。

嫌なことは別の嫌なことが起これば忘れる。

演ずることは己を守る鎖帷子である。

人間は悪から善の滋養を得ている。

知性的であることは無味乾燥に見える真の人間性である。

結婚とは女を幸せにすることである。

死を宣告されて、はじめて人間は己を欺いていたのに気づく。

偽善者、下心のあるヤツほど妙に馴れ馴れしく笑いかけてくる。

いじめられない方法は莫迦を装うことである。

この世の中で一番わからない人間。それは自分である。

死ぬまで責任を持つ気がないなら子供は産むな。

艱難も大きすぎると汝を玉にしない。ほどほとの艱難が汝を玉にする。

それでも彼らは笑う。彼らは死ぬまでは笑う。

大切な事=悪口に悪口で言い返さないようすること。

失敗することは恥ではない。失敗をおそれて行動しない事が恥である。

押忍=「空手の挨拶は押忍である」

レンブラントの絵画同様、善は悪の中でより輝く。

今日が人生最後の日だと思え。今日が人生最後の日なのだ。

欲張りすぎるな。完全であろうとするな。100点にしようと思うな。80点を目標とせよ

敵の存在が自分の生きがいになっている人は敵の存在に感謝すべし。

ペットを可愛がるのは自分の愛情深さの心地よさに浸るためである。

人生とは、他人ではなく自分との戦いでなくてはならない。

人を見たら泥棒と思え。女を見たら(最近では男も)ナルシストと思え。毛唐を見たらホモと思え。激安車をみたら欠陥車と思え。巨乳を見たら胸パッドが入っていると思え。最近の暴走族を見たら赤信号で止まると思え。パトカーを見たら罰金をとられると思え。武田信玄を見たら影武者と思え。幽霊を見たら枯れ尾花と思え。警察官を見たら悪人と思え。チャイムが鳴ったら新聞の押し売りと思え。新聞記事をみたらウソと思え。変人を見たら哲学者と思え。検察官を見たら冤罪にされると思え。政治家を見たら嘘つきと思え。

人間40歳を過ぎたら顔は自分の責任である。だから39歳までは顔は親の責任である。親は39歳になるまで自分の産んだ子供の顔の責任を持たなくてはならない。

しかし40歳という数字は何が根拠になっているのか?

私が私に生まれ、あなたがあなたに生まれた事は単なる偶然にすぎない。単に私があなたに生まれず、あなたが私に生まれなかっただけに過ぎない。こう考えれば劣等感はなくなる。

何を考え、どう感じたかではなく、どんな行動をしたかが人間の全てである。
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