小説家、精神科医、空手家、浅野浩二のブログ

小説家、精神科医、空手家の浅野浩二が小説、医療、病気、文学論、日常の雑感について書きます。

従軍慰安婦問題

2009-07-06 22:01:49 | Weblog
書店に入ったら漫画家の、小林よしのりさんの「天皇論」が平積みであった。小林よしのりさんの本はよく売れているようだが、内容云々より、解りやすく、物議をかもしているから売れているのだろう。売れるためにわざと物議をかもしているのではない。

氏の書いている事はほとんど知っているので、私はわざわざ買って読む気にはならない。

You-Tubeでも、氏と氏の考えに反対する人達が「従軍慰安婦問題」を論じているのがある。

従軍慰安婦問題について私が思うのは、慰安婦の心理である。

一つには。たとえた例をあげれば。

アツアツの男女がケンカ別れしたり、離婚したりすると、それまでの楽しい幸福な出来事の全てが、思い出すのも不快な出来事に、感情が正反対に逆転してしまう。という事は、多くの人が経験のあることだろう。当時の事実やそれに対する感情は変わらないのに、終戦、戦後の民主化という価値観の逆転が、出来事に対する感情の認識を変えてしまっている面があるだろう。だからややこしくなるのだ。

もう一つは女性の性欲の心理の問題がある。

男の性欲は単純だが、女の性欲は非常に複雑である。当然、私も正確にはわからない。また当時の日本の国情、政治的状況もからんでいるだろう。そこらへんも問題をややこしくしている。

佐高信が、戦時中は、戦時中は統制経済であり、戦時共産主義であり、純粋な民間というものはない、と言っていた。確かにほとんどの国民はそうだが、戦時中にも、暴力組織、ならず者の集団はあったのではないだろうか。ヤクザには法も思想統制も通用しない。簡単に、非国民、拷問というわけにはいかない。ヤクザは、かなりの点で、いつの時代でも国家権力に便利な存在という面がある。アカのたれこみ屋。法で対処出来ない所も、彼らに法はないからである。だから現代でも警察は暴力団と一部でつながりがあったりする。

もしそうなら戦時中には純粋な民間はない、とは言えなくなる。

もちろん私は小林氏の反対者の見解の方が正論だと思うが、あまり小林さんをムキになって批判したいとは思わない。そもそも反対者は小林さんが漫画でアンチテーゼを出しているから、やりがい、を持って発言、行動している人も多いはずだ。なら反対者は、やりがい、を作っている小林氏には、それなりの礼節を持って対応すべきた。




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内向性

2009-07-05 22:42:43 | Weblog
オウム真理教の事件が起こった時、お前はオウム真理教かと本気で聞かれた。内向性は無口で何を考えているかわからず、また内向性は宗教や観念的な事に興味を持っている人が多いからだろう。もちろん私はオウム真理教の信者ではない。が、私はオウム真理教の信者になるような性格の人が羨ましい。というのは真の内向性は精神的なもの、宗教や思想に関心を持ってる人がほとんどだからである。だが、真の内向性は、いかなる宗教の信者になることも出来ないのである。それは、内向性があまりにも強い自我をもっているため、それが邪魔をするのである。動物や人間社会というものは、自我が無い者の集まりの気の流通体であり、そうでなくては社会がスムースに動かないのである。外向性は外界に反射で対応しているのに対し、内向性は一人で考え事をしているため、外界に反射で対応する事が下手だからである。いわば、野球をしている時、一人、考え事している変わり者が内向性なのである。これでは内向性は野球には加われない。自我というものは、多少、いい面もあるが、基本的には社会生活をする上で悪い物なのである。オウム真理教にせよ、いかなる宗教にせよ、それに洗脳されてしまうのは自我の無い外向性なのである。真の内向性の思索の深海は宗教の教祖の考えを理解してしまうほど深いため、その教えの意味が解ってしまうため、宗教に関心を持って、それを解剖し理解しようとはするが、それに従うということは自我が邪魔して出来ないのである。なぜなら、信じるという行為は自分に理解できないからするのであり、理解できるものは信じる対象とは成り得ないからである。

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海、平塚七夕祭り

2009-07-04 21:45:29 | Weblog
海に行ってみた。七月最初の土曜日の海はどんなもんだろうとかと思って。
6月28日に海開きだった。日中の最高気温26℃。海水浴客は少ない。監視員はしっかりいる。海の家もまだ、つくりかけが多い。曇り空だが、時々、日が差した。ビキニの女の人が二人位いた。男が肩車して海にドボンと落してる。羨ましい。「盗撮はしないで下さい」などとアナウンスしてた。私は盗撮なんてチャッチイ事しない。どうせ時間とともに色あせる。そもそも私はデジカメを持っていない。男と女がキャッチボールしてた。私より上手い。そもそも私はボールを投げるのが下手である。そのため巨人軍入団テストでも、遠投テストで落ちてしまった。

平塚七夕祭りは、七月の第一木曜を初めとする4日間に決まったそうだ。なので今年は、明日で終わりである。7月7日にはしない事になる。という事を昨日知って、あわてて今日、行った。焦げのついた焼き玉蜀黍を食べに。たいして面白くなかった。中学生くらいの女の子が三人、互いの帯を締めあっていてかわいい。チョコバナナで、ジャンケンして勝ったら、二本というのがあった。店の人はぐーばかり出す。ジャンケンの心理を見抜いてて、ほとんど勝っている。私も負けた。
行かなくてもよかった。つい夏の風物詩の誘惑に負けた。

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高倉健

2009-07-03 20:36:14 | Weblog
たまたま高倉健主演の、「遥かなる山の呼び声」という昔の映画を観た。

高倉健がしぶい。

北海道の牧場で一人働く未亡人の倍賞千恵子と、その子供の所に高倉健がやって来て、牧場の仕事を手伝う、というストーリーである。

何か「シェーン」に似ていると思った。

Whikipediaで調べたら、

「タイトルの『遙かなる山の呼び声』は、映画『シェーン』の主題曲名であり、当映画もそこから着想を得たものである」

とあった。

シェーンのライカー一家に相当する敵役は、ハナ肇と二人の子分だったが、すぐに謝ってしまって、高倉健の子分になってしまった。パロディーである。

寡黙で黙々と働く高倉健が、しぶく、倍賞千恵子が高倉健に惹かれていく心の変化がいい。

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取り調べの可視化について

2009-07-02 14:29:27 | Weblog
さて、取調べの可視化について。

当然、私は気が弱いから検察官の罵詈雑言、精神的拷問には耐えられない。ので検察官に誘導されてしまう。

少なくとも私にとっては、カメラによる録画は必要だと思う。

というのは、おそらく私は、取り調べ中に検察官の隙を狙って、思い切り検察官をぶん殴ってしまう可能性があると思うからだ。

私は権力を傘にきて威張るヤツが大嫌いだからねー。

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死刑廃止論

2009-07-02 14:13:30 | Weblog
死刑を廃止すべきか、どうか。

もし無罪の人間を死刑にしてしまったら大変な事である。取り返しがつかない。

だから死刑はなくすべきか。

もし、死刑をなくす、と法律ではっきり決めてしまったら、悪い人間は、どんな凶悪な犯罪を犯しても死刑にならず、刑務所で働きながら、(労働には喜びがある)、三食と住居が保障されるため、(人によっては生活保護よりいいと思う人もいるかもしれない)凶悪犯罪が増えるおそれがある。

というのは言葉の論理だけであって、実際には死刑を廃止しても、犯罪が増えるということは無いだろう。


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検察、裁判官

2009-07-02 14:03:42 | Weblog
1「犯罪を犯した人間を証拠不十分のため無罪にしてしまう」

というのと、

2「実際に犯罪を犯していない人間を有罪にしてしまう」

の二つを較べた場合、1より2の方が、はるかに悪い。

しかし、日本の司法では、その逆をやっているんだよねー。

検察官と裁判官の出世とプライドのために。






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日野晃

2009-07-01 01:16:19 | 武道・スポーツ
かなり前から、日野晃、という武術の達人を知った。

すごいな、と思った。人格も立派である。

しかし私は、わざわざ足を運んで氏の所に行って技を教わりたい、とか、技を身につけたい、とは思わない。

なぜなら私にとって、空手や武術は、手段であって目的ではないからである。


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