渡辺松男研究2の23(2019年4月28日実施)
Ⅲ【交通論】『泡宇宙の蛙』(1999年)P109~
参加者:泉真帆、岡東和子、A・K、T・S、鹿取未放
レポーター:泉真帆 司会と記録:鹿取未放
165 戦後深く湿りたる地にのめりつつおっすおっすと老桜くる
(レポート)
戦後の桜といわれれば、まっさきに本居宣長の〈敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花〉を思ってしまう。だから「老桜」は戦地に散った英霊たちの宿った老桜、そんな印象を私はもつ。しかし一首は深刻ぶらず、どこかのどかでユーモラスな音感も響かせ「おっすおっす」とやってくる。戦後の悲しみや苦しみが沼地のように籠っている場所に、いかにも、どすん、どすんと歩いて来そうな桜のオヤジのような古木があったのかもしれない。「のめりつつ」と「おっすおっす」の組み合わせが、一首におかしみとゆとりをもたらしている。
(当日意見)
★私は真帆さんとはまったく違う解釈で、戦争をまたやりたいって人たちがまたぞろやってくる気
味悪さを歌った歌だと読んでいました。戦後、新しい時代風潮の中で身を潜めていたんだけど、
そういう空気が後退するのを待って、またぞろ出てきた。戦争を知っている人たちだから、老桜
なんだろうと。次の歌(鳥追いつつ少年われは裏妙義にて坂口に遭いし錯覚あり)が、いわば戦
争ごっこの歌ですから。また一連には(住専さえ知らざりしわれら軍閥さえ知らざりし茂吉
吹越(ふつこし)の空)という歌もあって、軍閥ですから。(鹿取)
★そしたら「戦後深く湿りたる地に」はどういう解釈になりますか?(真帆)
★なんだろうな、60年安保の民衆の敗北とか、革新的な政党の中のドロドロ部分とか、いろいろ
明るみに出ましたよね。戦後30年くらい経つと、そういう民主的なものの中にある負の部分が
露呈して何もかも泥沼のようになってしまった。それに乗じて今だとばかりに前のめりになって
また戦争をしたい人たちが力を誇示するようになった、そういう感じかな。戦争をしたい人たち
は戦争によって傷を負っていないし、むしろ戦争の利権に群がっていた人たちなんでしょうね。
(鹿取)
★上の句では暗い感じが歌われていて、でも下の句では「おっすおっす」って軽い感じでなせかな
と思っていましたが、老桜が戦争をしたい人たちなら、こんな言い方もするかなと。 (岡東)
★戦争から何も学ばないで、また戦争やろうとしている人たちを表現するのに「おっすおっす」は
ものすごくうまい表現かなと思います。経験を深く身にしみて思った人は、こんな軽くないです
よね。また一丁やってやるかという浅さ。田中角栄的な感じ。(A・K)
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