かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

渡辺松男の一首鑑賞 82

2020-09-01 19:22:46 | 短歌の鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究⑨(13年10月)
       【からーん】『寒気氾濫』(1997年)33頁~
        参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター 鈴木 良明    司会と記録:鹿取 未放


82 「いかなくちゃいかなくては」と歌う声虹消ゆるごとく行ききりうるや

        (レポート)
 ある特定の場所に「行く」場合は、その場所に着くことが目的であるから、到達したときに「行ききった」といえる。ところが、「行く」が手段で、目的が別にある時には、「行ききった」という感慨は生まれにくい。この歌は井上陽水の「傘がない」(72年)だと思うが、「行かなくちゃ君に逢いに行かなくちゃ」「君の街に行かなくちゃ」「君の家に行かなくちゃ」と続くのである。この場合には、行けば目的を達したことにならず、君に逢って愛を伝えるなど、その先の目的を果たして「行ききった」になるのである。ましてこの歌は、「雨にぬれて行かなくちゃ 傘がない」で終わっており、それでなくとも「行ききること」はほとんど絶望的なのである。「いかなくちゃ」と繰り返される歌の違和感から、この短歌が生まれたのだろう。(鈴木)


       (意見)
 ★ただ、どこへ行ききるのでしょうね。79番歌(空間へ踏みいりて出られなくなりし
  一世(ひとよ)にてあらん 紙を切る音)の歌のように「空間へ踏みいりて出られな
  くなりし」場所からどこかへ出ていくんでしょうかね。(鹿取)
 ★鹿取さんが言うようにもっと大きい話かもしれないと思う。ただ大きいものであると
  いう手がかりが全然ないので、まずはこういう解釈で仕方ないのかなと。(鈴木)
 ★「虹消ゆるごとく」だから79番歌よりもう少し小さいところかもしれないなと。も
  ちろん大きい、小さいって空間とか距離だけの問題じゃないんだけど。行ききる先は
  未知の異空間か何かで、少なくとも東京とか横浜とか現実の土地ではない。(鹿取)
 ★行くということにはこだわっているんだよね。行ききるというからにはやっぱり目的
  があるわけだけど。難しいなあ。(鈴木)
 ★「いかなくちゃいかなくては」は、ひょっとしたら光の向こう側じゃないかしら。
    (慧子)
 ★そうかもしれないですね。いや、きっとそうなんでしょうね。「行きき」るんだから
  戻ってこれない場所なんですね。(鹿取)



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 渡辺松男の一首鑑賞 81 | トップ | 渡辺松男の一首鑑賞 83 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

短歌の鑑賞」カテゴリの最新記事