追加版 ブログ版清見糺の短歌鑑賞 15 モロッコ見聞録
鎌倉なぎさの会
103 あかあかのトドラ渓谷のけぞりてこれはこれはと人はいうなり
「かりん」96年12月号
バスを降りて天を仰いだ馬場あき子は、「これはこれは」といって絶句した。
何しろ聳え立つ赤い岩の壁に限られて空が狭い。日本では層雲峡が絶景だが、
これはまったく質の異なった、和歌にはなりそうにもない絶景である。
あかあかのトドラ渓谷のけぞりてこれはこれはというばかりなる
(清見糺「モロッコ私紀行」)
上記は清見糺の紀行文より引用した。「これはこれはと」の部分は、江戸前期の俳人安原貞室が吉野の千本桜を見て詠んだ句「これはこれはとばかり花の吉野山」を下敷きにしているのだろう。句は感動の余り絶句している様子である。馬場はもちろん貞室の俳句は知っているだろうが、ここでは意識せずにあげた感嘆の言葉だろう。それを聞いた作者が貞室の句を思いつつ歌に仕立てたのだろう。そういう意味では推敲前の「これはこれはというばかりなる」という素朴な描写が生きているのだろうが、「これはこれは」は本人の発言ではないので客観的な「人はいうなり」に改作したのだろう。(鹿取)
鎌倉なぎさの会
103 あかあかのトドラ渓谷のけぞりてこれはこれはと人はいうなり
「かりん」96年12月号
バスを降りて天を仰いだ馬場あき子は、「これはこれは」といって絶句した。
何しろ聳え立つ赤い岩の壁に限られて空が狭い。日本では層雲峡が絶景だが、
これはまったく質の異なった、和歌にはなりそうにもない絶景である。
あかあかのトドラ渓谷のけぞりてこれはこれはというばかりなる
(清見糺「モロッコ私紀行」)
上記は清見糺の紀行文より引用した。「これはこれはと」の部分は、江戸前期の俳人安原貞室が吉野の千本桜を見て詠んだ句「これはこれはとばかり花の吉野山」を下敷きにしているのだろう。句は感動の余り絶句している様子である。馬場はもちろん貞室の俳句は知っているだろうが、ここでは意識せずにあげた感嘆の言葉だろう。それを聞いた作者が貞室の句を思いつつ歌に仕立てたのだろう。そういう意味では推敲前の「これはこれはというばかりなる」という素朴な描写が生きているのだろうが、「これはこれは」は本人の発言ではないので客観的な「人はいうなり」に改作したのだろう。(鹿取)
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