この歌の時、飛行機の窓から見えたアンナプルナ
写真入り馬場の外国詠 19(2009年7月)
【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)91頁~
参加者:泉可奈、T・S、T・H、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部 慧子 司会とまとめ:鹿取 未放
157 小型機はふと雲を出づ朝の陽に嫣然たりアンナプルナ百語もて立つ
(レポート)
視界のきかない雲の中を小型機は出た。みえない状態から脱出した。事実、それによる心の明るさを序として「朝の陽に嫣然たり」とにっこりほほえんでいる様にあらわれたのは「アンナプルナ百語もて立つ」のアンナプルナであると断言したい。「嫣然たり」は文法上アンナプルナを修飾していないが、ここは理屈ではなく読み手の感性にゆだねたうえでの表現であろう。かりに嫣然たると連体形にしてみると、一首の持つ力が削がれる感がある。
アンナプルナとはサンスクリット語の豊饒の女神という意味で、「嫣然たり」とは女神にふさわしい笑いではないか。作者には、笑う、ほほえむ、哄笑などとよく詠いこんでいて、その主体は万物に及んでおり、味わい深いものがある。
さて、アンナプルナは百語もて立つという。百とはたくさんの喩だが、リアリティがあり、また感受されたが表現できないよいものも含まれているようで、意味に豊かな感じがある。作者の心に迫ったアンナプルナの百語とは、どのようだったのだろう。(慧子)
(まとめ)
このあたりの飛行機は有視界飛行なので、まあ、何も見えない雲の中には突っ込んでいかないと思うが、うっすらと雲がかかっていた状態から晴れやかな場に出たのであろう。そして突然、朝陽に光り輝いたアンナプルナが目の前に現れた。その美しさ、感動が「嫣然たり」(にっこり微笑んだ)と言わしめたのであろう。「嫣然たり」はもちろんアンナプルナで、倒置と考えるといいのかもしれない。三百万年の生をもつ美しいアンナプルナが作者に「生」についてさまざまなことを語りかけてきたのだろう。(鹿取)
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