2022年度版 渡辺松男研究2の13(2018年7月実施)
【すこし哲学】『泡宇宙の蛙』(1999年)P65~
参加者:K・O、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放
91 さらさらと数学好きな配偶者さかなの骨をきれいにのこす
(当日意見)
★「さらさらと」が全てに掛かっているような気がする。妻と言わずに配偶者といっていま
すが、この「さらさらと」で性格からありよう、生き方まで表している。(A・K)
★平明な言葉で歌われていますが深いですね。数学と哲学って似ていることころがあります
ね。渡辺さんの歌って全てが原始の生命に繋がっているように思うのですが、この魚も人
間がずっと昔には魚だったかもしれない、その骨をきれいに残す配偶者は何か精神のきれ
いさとかにも繋がっているようだ。妻というとどうしても従属的な感じが出てくるのです
が、配偶者と言っても愛は感じられます。韻を踏んでいて、かろやかで魚の骨にも繋がる
し、時間、歴史、全ての思想が一首に統合されている。どこで切るのかな、切れないです
よね。(K・O)
★松男さんに魚の歌はけっこうたくさんありますね。「女の子は鮠」とか。ところで、
「妻」とい う語が出てくる歌は第一歌集にも一首くらいしかありませんでした。現実の
妻とどこで知り合っ てどういう人か、哲学をやったのか数学をやったのか、専業主婦だ
ったのか、働いていたのか全 く知らないです。知る必要もないと思っていたし。これま
でもいわゆる人間関係としての妻の歌 は無かったと思います。この歌もリアルな妻をう
たおうとしているのではないですね。しかし「さ らさらと」という初句のオノマトペ
で、「配偶者」と設定された人のひととなりから全てを表していますね。(鹿取)
★この配偶者は「虚」として出している。妻という関係性の中の歌とは読みが全く違ってき
ますね。現実を一つの手段とはしているけれど、夫婦としての関係性の中の妻ではなくて
個としてみている。私という個があって配偶者という個があって、そしてその個が魚の骨
をきれいに残す。(A・K)
★前回のミトコンドリア・イブのおばあちゃんだと、畦に坐って紅梅より遠くを見ていると
かってありましたが、あれはそういう設定をしているだけで、別に目の前におばあちゃん
がいるわけではないですよね。ここは、目の前に妻はいるかもしれないけど、別に妻その
人を写そうとしてい る訳ではないと。どこまでが設定か分かりませんが。(鹿取)
★これ、数学好きの妻とか女房って詠んだら全然つまらない歌ですよね。配偶者っていうと
ころに、DNAレベルで、人類が存在しなかった時代の感触が出てくる。作者の中ではそ
れが矛盾無くあるんだろうと思います。「少し哲学」というのも見過ごしそうだけど、深
い哲学と純粋数学は響きあうところがある。それをさらさらっとしたリズムで詠んでい
る。混み合った感じで詠んでいなくて、何か幸福感のようなものがあって、未来の希望
が見えてくるような気がします。
(K・O)
★この人はいつでもダイレクトにそういう命の根源に繋がっているのですね。余談ですが、
松男さんは高校時代「数学の渡辺」って呼ばれていたほど数学が得意だったそうです。も
ともと数学の 美しさに惹かれている人なんですね。数学好きと魚の骨の透けた感じって
繋がっているような気がしてきます。(鹿取)
【すこし哲学】『泡宇宙の蛙』(1999年)P65~
参加者:K・O、A・K、T・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:渡部慧子 司会と記録:鹿取未放
91 さらさらと数学好きな配偶者さかなの骨をきれいにのこす
(当日意見)
★「さらさらと」が全てに掛かっているような気がする。妻と言わずに配偶者といっていま
すが、この「さらさらと」で性格からありよう、生き方まで表している。(A・K)
★平明な言葉で歌われていますが深いですね。数学と哲学って似ていることころがあります
ね。渡辺さんの歌って全てが原始の生命に繋がっているように思うのですが、この魚も人
間がずっと昔には魚だったかもしれない、その骨をきれいに残す配偶者は何か精神のきれ
いさとかにも繋がっているようだ。妻というとどうしても従属的な感じが出てくるのです
が、配偶者と言っても愛は感じられます。韻を踏んでいて、かろやかで魚の骨にも繋がる
し、時間、歴史、全ての思想が一首に統合されている。どこで切るのかな、切れないです
よね。(K・O)
★松男さんに魚の歌はけっこうたくさんありますね。「女の子は鮠」とか。ところで、
「妻」とい う語が出てくる歌は第一歌集にも一首くらいしかありませんでした。現実の
妻とどこで知り合っ てどういう人か、哲学をやったのか数学をやったのか、専業主婦だ
ったのか、働いていたのか全 く知らないです。知る必要もないと思っていたし。これま
でもいわゆる人間関係としての妻の歌 は無かったと思います。この歌もリアルな妻をう
たおうとしているのではないですね。しかし「さ らさらと」という初句のオノマトペ
で、「配偶者」と設定された人のひととなりから全てを表していますね。(鹿取)
★この配偶者は「虚」として出している。妻という関係性の中の歌とは読みが全く違ってき
ますね。現実を一つの手段とはしているけれど、夫婦としての関係性の中の妻ではなくて
個としてみている。私という個があって配偶者という個があって、そしてその個が魚の骨
をきれいに残す。(A・K)
★前回のミトコンドリア・イブのおばあちゃんだと、畦に坐って紅梅より遠くを見ていると
かってありましたが、あれはそういう設定をしているだけで、別に目の前におばあちゃん
がいるわけではないですよね。ここは、目の前に妻はいるかもしれないけど、別に妻その
人を写そうとしてい る訳ではないと。どこまでが設定か分かりませんが。(鹿取)
★これ、数学好きの妻とか女房って詠んだら全然つまらない歌ですよね。配偶者っていうと
ころに、DNAレベルで、人類が存在しなかった時代の感触が出てくる。作者の中ではそ
れが矛盾無くあるんだろうと思います。「少し哲学」というのも見過ごしそうだけど、深
い哲学と純粋数学は響きあうところがある。それをさらさらっとしたリズムで詠んでい
る。混み合った感じで詠んでいなくて、何か幸福感のようなものがあって、未来の希望
が見えてくるような気がします。
(K・O)
★この人はいつでもダイレクトにそういう命の根源に繋がっているのですね。余談ですが、
松男さんは高校時代「数学の渡辺」って呼ばれていたほど数学が得意だったそうです。も
ともと数学の 美しさに惹かれている人なんですね。数学好きと魚の骨の透けた感じって
繋がっているような気がしてきます。(鹿取)
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