2024年度版 渡辺松男研究40(2016年7月)
『寒気氾濫』(1997年)
【明快なる樹々】P136~
参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放
331 きょうの鬱あしたの鬱の間を飾り頭上に開きつづける花火
(レポート)
どーん、どーんという打ち上げ花火の音が聞こえてきそうだ。今日のこの鬱はまだ来ていない明日も続くという。楽観や諦観からはほど遠い鬱々とした精神状態にいる作者。その頭上に、似つかわしくない、キラキラとした打ち上げ花火が咲き続けている。花火大会のような場で、戸外にいて花火をみているというよりも、作者は寝ていて、打ち上げ花火の音を聴きながら、想像のなかで花火を描いているように私には思える。鬱々とした状況を花火が「飾る」と表現した作者の客体化がさびしい。(真帆)
(当日意見)
★今日も明日も続く鬱とはどのような事に基づく鬱か分からないけど、長く落ち込んで
いるような状況の中でふっと心をほどいて花火を見ている。開き続ける花火は現実で
も幻想でもよいと思います。(鹿取)
★私は実際に花火を見ているのだと思います。昨日嫌なことがあって明日もそれが続
く、明日も嫌なんだよなあと思いながら束の間花火を見ている。だから夏の花火だと
思いました。(M・S)
★「開きつづける」というところが淋しいと思うの。何かを追っかけているのかなあ。
「鬱々とした状況 を花火が『飾る』と表現した作者の客体化がさびしい。」と真帆さ
んは書いていますが、ほんとうに 淋しい歌ですね。(慧子)
★そうですねえ、花火が開くからって楽しい訳じゃないのよねえ。(鹿取)
★花火が鬱を祝っているという感じがする。その祝い続けているってことも淋しい。
(慧子)
★「きょうの鬱あしたの鬱の間」って表現はものすごく変わった独特の表現だと思い
ます。まだ明日は来ていないのにまだまだ鬱はやまない、病いなのかもしれないけ
ど、そうとう深い鬱なんだなあと。(真帆)
★「きょうの鬱あしたの鬱の間」というのは花火が終わった段階で明日のことを考えて
明日の鬱が兆してくる。花火が上がっている間は鬱を忘れている。だから花火が終
わった段階から明日の鬱は始まっているんです。12時になった、それ明日の鬱が始
まるではないんです。(鈴木)
『寒気氾濫』(1997年)
【明快なる樹々】P136~
参加者:泉真帆、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:泉 真帆 司会と記録:鹿取 未放
331 きょうの鬱あしたの鬱の間を飾り頭上に開きつづける花火
(レポート)
どーん、どーんという打ち上げ花火の音が聞こえてきそうだ。今日のこの鬱はまだ来ていない明日も続くという。楽観や諦観からはほど遠い鬱々とした精神状態にいる作者。その頭上に、似つかわしくない、キラキラとした打ち上げ花火が咲き続けている。花火大会のような場で、戸外にいて花火をみているというよりも、作者は寝ていて、打ち上げ花火の音を聴きながら、想像のなかで花火を描いているように私には思える。鬱々とした状況を花火が「飾る」と表現した作者の客体化がさびしい。(真帆)
(当日意見)
★今日も明日も続く鬱とはどのような事に基づく鬱か分からないけど、長く落ち込んで
いるような状況の中でふっと心をほどいて花火を見ている。開き続ける花火は現実で
も幻想でもよいと思います。(鹿取)
★私は実際に花火を見ているのだと思います。昨日嫌なことがあって明日もそれが続
く、明日も嫌なんだよなあと思いながら束の間花火を見ている。だから夏の花火だと
思いました。(M・S)
★「開きつづける」というところが淋しいと思うの。何かを追っかけているのかなあ。
「鬱々とした状況 を花火が『飾る』と表現した作者の客体化がさびしい。」と真帆さ
んは書いていますが、ほんとうに 淋しい歌ですね。(慧子)
★そうですねえ、花火が開くからって楽しい訳じゃないのよねえ。(鹿取)
★花火が鬱を祝っているという感じがする。その祝い続けているってことも淋しい。
(慧子)
★「きょうの鬱あしたの鬱の間」って表現はものすごく変わった独特の表現だと思い
ます。まだ明日は来ていないのにまだまだ鬱はやまない、病いなのかもしれないけ
ど、そうとう深い鬱なんだなあと。(真帆)
★「きょうの鬱あしたの鬱の間」というのは花火が終わった段階で明日のことを考えて
明日の鬱が兆してくる。花火が上がっている間は鬱を忘れている。だから花火が終
わった段階から明日の鬱は始まっているんです。12時になった、それ明日の鬱が始
まるではないんです。(鈴木)
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