渡辺松男研究22(2014年12月) 【非常口】『寒気氾濫』(1997年)75頁~
参加者:石井彩子、泉真帆、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:石井 彩子 司会と記録:鹿取 未放
183 ひとつ死のあるたび遠き一本の雪原の樹にあつまるひかり
(レポート)
最新歌集『きなげつの魚』にあとがきで「私は、この銀河で、彼女の、そして父や母や死者たちの、痕跡でないものは何もないのだと思うようになり、死者たちの痕跡は生きていると思うようになり、…」と記している。この雪原の樹に集まっているひかりは、「彼女(妻)の、そして父や母や死者たちの痕跡」のありかを示すもではないだろうか。遠くにある雪原の樹には行き着くことはできないかもしれないが、ひかりは届くのである。樹木への親和感は氏の多くの作品の根幹をなすもので、この一首では雪に照り映える樹、そこに集まるひかりという氏独特のイメージが展開されている。古来より樹木、とくに老木は先祖の霊が宿るとされ、崇拝されたが、その様な習俗というよりも、ここでは氏の詩想を捉えたい。(石井)
(意見)
★一本の雪原の樹は死の象徴で、死を荘厳している、そういう歌かなと思う。(慧子)
★松男さんは死をいろんなふうに捕らえていて、ここは光ですけど、壜の口に亡くなった魂が入っ
ちゃうんで無数の口が開いているというふうな歌もあった。そこに収まっちゃうので見えなくな
るけど面白かった。光も現象界の中でとらえどころがない。死ぬときに光を見るというのもある
ので、最終的に光に行くのは分かる気がする。(鈴木)
★『寒気氾濫』は1997年に出た歌集で、最新歌集『きなげつの魚』のあとがきの亡き妻とあま
り結びつけない方がいいかなと思います。この歌は私は大好きな歌です。雪原の樹だから当然雪
被って真っ白なんですよね。それがはるか遠くにある。そして一つの死があると一つの光が雪原
の樹に行くのじゃなくて、たくさんの光が集まってゆく、そこがいいと思います。静謐な情景で、
ほんとうに死を荘厳しているという感じしますね。(鹿取)
(後日意見)(2021年2月)
石井さんのレポートの最後、習俗よりも氏の詩想を捉えたい、という所に私も同感する。古来の習俗
については、『新々百人一首』(丸谷才一)に少し触れているので紹介したい。
丸谷は、「われわれの祖先は、神霊は樹に天くだると信じてゐた」と書き、樹齢千年余の梛(なぎ)の神木に佐佐木信綱が和歌を奉納する場面を紹介して「古代の日本人は、巨木と森に対して、このやうな畏怖感を感じながら生きてゐたと思はれる」と言う。しかし、古代から『古今集』になる頃には(畏怖の感情からやや離れて)「樹木ぼめ」の歌に移っていったという。
古来の習俗は、おそらく現代の日本人にも根底のところで意識することなく名残をとどめているのだろうが、だからといって渡辺松男の樹木の歌がまるまるその習俗に乗っかっているとも思えない。古い習俗の記憶の層と哲学を含めた新しい詩的感覚がミックス、葛藤されて渡辺松男の独特の樹木の歌は成立しているように思われる。(鹿取)
参加者:石井彩子、泉真帆、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
レポーター:石井 彩子 司会と記録:鹿取 未放
183 ひとつ死のあるたび遠き一本の雪原の樹にあつまるひかり
(レポート)
最新歌集『きなげつの魚』にあとがきで「私は、この銀河で、彼女の、そして父や母や死者たちの、痕跡でないものは何もないのだと思うようになり、死者たちの痕跡は生きていると思うようになり、…」と記している。この雪原の樹に集まっているひかりは、「彼女(妻)の、そして父や母や死者たちの痕跡」のありかを示すもではないだろうか。遠くにある雪原の樹には行き着くことはできないかもしれないが、ひかりは届くのである。樹木への親和感は氏の多くの作品の根幹をなすもので、この一首では雪に照り映える樹、そこに集まるひかりという氏独特のイメージが展開されている。古来より樹木、とくに老木は先祖の霊が宿るとされ、崇拝されたが、その様な習俗というよりも、ここでは氏の詩想を捉えたい。(石井)
(意見)
★一本の雪原の樹は死の象徴で、死を荘厳している、そういう歌かなと思う。(慧子)
★松男さんは死をいろんなふうに捕らえていて、ここは光ですけど、壜の口に亡くなった魂が入っ
ちゃうんで無数の口が開いているというふうな歌もあった。そこに収まっちゃうので見えなくな
るけど面白かった。光も現象界の中でとらえどころがない。死ぬときに光を見るというのもある
ので、最終的に光に行くのは分かる気がする。(鈴木)
★『寒気氾濫』は1997年に出た歌集で、最新歌集『きなげつの魚』のあとがきの亡き妻とあま
り結びつけない方がいいかなと思います。この歌は私は大好きな歌です。雪原の樹だから当然雪
被って真っ白なんですよね。それがはるか遠くにある。そして一つの死があると一つの光が雪原
の樹に行くのじゃなくて、たくさんの光が集まってゆく、そこがいいと思います。静謐な情景で、
ほんとうに死を荘厳しているという感じしますね。(鹿取)
(後日意見)(2021年2月)
石井さんのレポートの最後、習俗よりも氏の詩想を捉えたい、という所に私も同感する。古来の習俗
については、『新々百人一首』(丸谷才一)に少し触れているので紹介したい。
丸谷は、「われわれの祖先は、神霊は樹に天くだると信じてゐた」と書き、樹齢千年余の梛(なぎ)の神木に佐佐木信綱が和歌を奉納する場面を紹介して「古代の日本人は、巨木と森に対して、このやうな畏怖感を感じながら生きてゐたと思はれる」と言う。しかし、古代から『古今集』になる頃には(畏怖の感情からやや離れて)「樹木ぼめ」の歌に移っていったという。
古来の習俗は、おそらく現代の日本人にも根底のところで意識することなく名残をとどめているのだろうが、だからといって渡辺松男の樹木の歌がまるまるその習俗に乗っかっているとも思えない。古い習俗の記憶の層と哲学を含めた新しい詩的感覚がミックス、葛藤されて渡辺松男の独特の樹木の歌は成立しているように思われる。(鹿取)
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