かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠 404(中欧)

2020-04-22 17:43:25 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠56(2012年9月)
     【中欧を行く カレル橋】『世紀』(2001年刊)P116~
       参加者:K・I、崎尾廣子、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:N・I(欠席、レポートのみ)    司会と記録:鹿取 未放


404 聖なるもの観光として見ることに疲れゐつ荘厳(しやうごん)のビート聖堂

          (レポート)
 大型聖堂の広い部屋にはそれぞれ名前の付いた20の礼拝堂がある。素直に観光客の心境を表していると思います。時間があったらその荘厳なるものと対峙したいとの思いが隠されている。
(N・I)


          (当日発言)
★荘厳なるものの目の前にいるのだから、N・Iさんの評はおかしい。自分の思想とはかけ離れ
 ているビート聖堂ということだと思うが。自分が担当した「マリアはこちらを見ない」という意
 味の歌に通じる。(藤本)
★「観光としてわが見るマリアわれを見ず初秋のやうにさびしきその瞳(め)」ですね。見るこち
 ら側の人間の質を問うている。信仰というものを突き詰めて考え(といって信者になるという
 ことではないが)もっと裸の人間として向き合いたいが慌ただしく観光で来ている今はそれが
 できない。聖なる対象との間にどうにもならない距離を感じていてじれったく、そのことが作
 者を疲れさせているのだろう。自分自身が変革されたかたちでしか荘厳なるものとの本質的な
 対峙はできないというのだろう。時間があればというN・Iさんの評もそこを補うとよかった。
     (鹿取)
★でも実際は観光として見る以外になくて、こちらが疲れ果ててしまうような重々しい聖堂だっ
 たのだろう。(K・I)


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