かまくらdeたんか 鹿取未放

馬場あき子の外国詠、渡辺松男のそれぞれの一首鑑賞。「かりん」鎌倉支部の記録です。毎日、更新しています。

馬場あき子の外国詠  271(韓国)

2019-11-20 23:50:14 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠 35(2011年1月)【白馬江】『南島』(1991年刊)P78
     参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:佐々木実之 まとめ:鹿取未放


日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
    ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教
                へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。



271 くねりつつテレビにうたふものはゐてわが帰り来し日本文化圏

(レポート)
 現在、韓国のアイドルグループである「KARA」や「少女時代」などは日本の歌手よりもくねっているが、この時代に韓国であまりくねっていなかったのであろう。「にがき国」ではテレビでくねりながら歌っているのである。その場所を「日本文化圏」と呼ぶことで、諸々の両国の文化の差を想起させることに成功している。(実之)


(当日発言)(2011年1月)
★くねりながら歌っている歌手でしょうが、これが日本の文化かと苦い思いでテレビを観たのでし
 ょうね。でも、「日本文化圏」の「圏」に含みがあって、韓国との違いなどあれこれ思っている
 のでしょう。それにしても馬場あき子の韓国の旅は、1987年11月です。ほぼ四半世紀前で
 すね。(鹿取)



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馬場あき子の外国詠  270(韓国)

2019-11-19 16:54:17 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠 35(2011年1月)【白馬江】『南島』(1991年刊)P78
     参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:佐々木実之 まとめ:鹿取未放


日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
    ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教
                へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。


270 韓(から)にして日本はにがきにがき国帰り来ていかに何を語らむ

(レポート)
 大意としては、「韓国にとっては日本はあるいは日本人としては(罪悪感で)日本は不愉快な国と思った。その思いはあまりに複雑なので土産話に困る」というあたりであろう。「韓にとっては」と解すべきではあるが「帰り来て」という句があるために「韓にいたときに」とも読める。「いかに」「何を」という疑問詞をふたつかさねているが、これは何かを話したいが何から話していいか分からないもどかしさを伝えている。その内容は曰く言い難い「にがきにがき」と書かざるを得ないような感情である。
 豆知識:「韓」を「カラ」と読むのは「ン」の発音が昔は無かったからである。「伽羅」とは関係ない。「唐」を「カラ」と読むのは、唐と漢の区別がつかなくて「カン」即「カラ」と読んだためである。また宛字で「サラ」の読みの字を「讃」で当てた例として持統天皇の諱「鸕野讃良」がとりあえず思いつく。あと「ン」を「ニ」と読んだ例があった気がしているが忘れた。(実之)


(当日発言)
★269の歌(白馬江美しすぎて歴史より長き命をうたたやさしむ)のところで読めばよかったけ
 ど、『南島』あとがきの一部を読んでみます。「詞書きにもかいたような事情で、私は白馬江に
 特別な感情をもっていた。美しく、明るい豊かな流れが、夕日の輝きの中をゆったりと蛇行して
 いた景観は忘れがたい。妖しいまでの淡彩の優美な景の川に船を浮かべて、長い長い歴史の告発
 を受けているような悲しみを感じていた。」この最後の部分に尽きるのかなと思います。韓国に
 あって日本という国を顧みると苦い苦い国だった。佐々木さんはそれを曰く言い難いと表現され
 ましたが。だから、自分が味わっていた苦い感情を、心用意のない人に向けてはとても語ること
 ができなかったのでしょう。(鹿取)


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馬場あき子の外国詠  269(韓国)

2019-11-18 19:38:25 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠 35(2011年1月)【白馬江】『南島』(1991年刊)P78 
    参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:佐々木実之 まとめ:鹿取未放


日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
    ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教
                へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。

269 白馬江美しすぎて歴史より長き命をうたたやさしむ

(レポート)
 普通「美しい」ものを「美し」と詠んでは、おもしろくない。この一連は白村江の戦を詠んでいる。そして「我」が白村江古戦場に旅したという設定である。しかしながら白馬江は白村江の戦以前から流れていて、その戦の後も今にいたり美しく流れている。白村江も日清戦争以来の日本の諸々も朝鮮戦争をも放下して「うたた」と呼び、大自然の美しさを、「美しすぎて」といいきってしまっているところが潔く心地いい。(実之)


(当日発言)
★「うたた」は「程度がはなはだしくなる様。ますます。いよいよ。」の意味。人間の誕生以前か
 ら在り、国家間の戦争や憎しみなどを超えたところで悠然と美しく流れている白馬江を「うたた
 やさしむ」と讃美している。(鹿取)






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馬場あき子の外国詠 268(韓国)

2019-11-17 17:59:20 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠 35(2011年1月)【白馬江】『南島』(1991年刊)P78
     参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:佐々木実之 まとめ:鹿取未放


日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
    ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教
                へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。

268 敗戦は女らを死に走らせき落花岩(らつくわがん)幾たびか仰ぎて哀れ

(レポート)
 263「敗れたる百済のをみな身投げんと出でし切崖(きりぎし)の一歩また二歩」が身を投げる宮女に同化して歌っているのに対し本作は身を投げるシーンを下から想像する歌である。「幾たびか」というのは、目を背けたか、ガイドの方に目をやったかであろうが、何度見上げても現実には見えないにも拘わらず、花のように落ちてゆく宮女の様を幻のように見せつけられる作者の姿がある。「敗戦」という言葉を普通我々は使うであろうか?例えばベルリンが落ちてドイツが敗戦したとか、フォークランド紛争でアルゼンチンが敗戦したとかいうであろうか。使うとすれば、選挙で敗戦、敗戦投手、敗戦責任というレベルであって、国家単位で「敗戦」という言葉を使うのは、終戦という異名を持つ太平洋戦争の敗戦である。作者は敗戦国の女であった。しかし、作者はじめ、日本の後宮というか皇族も死に走ったわけではない。しかし百済の「敗戦」は日本の敗戦よりも、重い。(実之)


(当日発言)
★下の句が生きるためには、ここの敗戦は百済に限定した方がよい。(藤本)
★確かに太平洋戦争とか沖縄戦とか考えると、投身は「敗戦」後のことではない。けれども、こ
 の上の句「敗戦は女らを死に走らせき」はやはり、太平洋戦争末期の万歳クリフとか、沖縄戦
 で追いつめられて喜屋武岬などから飛び降りた土地の女性たちなどが二重写しになっている 
 のだと思う。落ちていく宮女たちの姿が後世美化されて落花に例えられているが、万歳クリフ
 や喜屋武岬を想像すれば古代も現代も花に例えられるようなものではなく無惨の極みである。現
 代を重ねるからこそ哀れさはいっそう深く作者に迫り、あそこからと幾たびも眺めずにはいられ
 なかったのだろう。(鹿取)

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馬場あき子の外国詠 267(韓国)

2019-11-16 20:30:07 | 短歌の鑑賞
 馬場あき子の外国詠 35(2011年1月)【白馬江】『南島』(1991年刊)P78
     参加者:K・I、N・I、佐々木実之、崎尾廣子、T・S、曽我亮子、藤本満須子、
       T・H、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:佐々木実之 まとめ:鹿取未放


日本書紀では白村江(はくすきのえ)。天智二年秋八月、日本出兵して
    ここに大敗したことを太平洋戦争のさなか歴史の時間に教
                へた教師があつた。その記憶が鮮明に甦つてきた。


267 百済出兵の野望に泣きし役(え)の民の裔(すゑ)なるわれが見る白馬江

(レポート)
 「役」とはこの場合「兵役」ではなく労働としての納税である。書記では当然のごとく百済出兵の増税については触れていない。その触れていない部分に目をあてると当然のごとく我々はみな「役」に服したものの子孫であることに気づく。その野望に泣き働いた民の末裔として白馬江を見る時、単に労働を強いられた恨みをのみ思うのであろうか。日本は朝鮮を35年支配した。ガイドから見ると日帝も天智天皇も加害者であり、我も加害者の末裔である。しかしながら一方では、斉明・天智の「野望」の被害者である。その複雑な立場をこの一首は渾然と詠んでいる。日本が白村江に出兵したのは、帝国主義的な野望ではなく、友好国百済の復興のためであって、たとえば任那を復興するというような今でいう帝国主義的な野望からではない。それにもかかわらず野望と言い切ったので右のような複雑な感情を読者に伝え得るものとなった。
 豆知識:「役」は漢音で「エキ」、呉音で「ヤク」。「(音読みの末尾が)フクツチキ平音なし」といわれるが、入声の仄音である。今のカタカナで書くと「エッ」に近い。これを「え」と読むのは労役の場合だけに残っている。(実之)


 
                  
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