昭和二十年八月十五日、それは真実暑い日だったのだろう。
ある記録には「北海道と東北をのぞいて、日本全土はよく晴れていた。空は抜けるように青く、またたいへん暑い日でもあった。東京の最高気温は三十二度二分だったが、大阪・京都・名古屋などは三十五度を上回っていた」と記されている、という。
われわれの親世代は、軍歌はよく歌っていたが戦争の記憶についてはほとんど黙して語らなかった。
さて蓮の花ももう . . . 本文を読む
カレンダー
検索
ブックマーク
カテゴリー
- 本気ィ頓鬼ィ(228)
- 青萄の第六絶滅期俳句Ⅳ(45)
- 青萄の第六絶滅期俳句Ⅱ(333)
- 青萄の第六絶滅期俳句Ⅲ(333)
- 青萄の第六絶滅期俳句(333)
- 野に咲く花はどこへゆく(295)
- 空見屋のスマホで絶句(333)
- 空見屋のスマホで絶句Ⅱ(333)
- 空見屋の飛んで575(333)
- モブログ〰空見たことか(333)
- 徒然deフォト(333)
- Weblog(331)
- 草花ワクワク見て歩き(333)
- まったりコーナー(333)
- インナーポエット(109)
- こんなンで委員会(159)
バックナンバー
アクセス状況
トータル | |||
---|---|---|---|
閲覧 | 4,076,951 | PV | |
訪問者 | 1,384,818 | IP |