
三島由紀夫が最後に書いた小説は「豊饒の海」でしたが、これは三島最後の戯曲。
読むのは初めてです。
初演の配役はこちら。
舞台は14世紀のカンボジア。クメールの王、ジャヤ・ヴァルマン7世が主人公。ジャヤ・ヴァルマン王は自らの信仰を体現し、後世に残すための大寺院バイヨンの建設に着手します。しかし、王の体は癩病に蝕まれつつありました。弱っていく王の肉体と、完成に近づく寺院の間での人間模様と精神の葛藤が描かれた戯曲です。
作者あとがきによれば、本劇の構想は1965年にアンコール・トムを訪問したときにあったそうですが、戯曲として書下ろししたのは公演と同時期の1969年6月。公演直前に単行本が出たようです。
『すなわちこの芝居は癩病の芝居ではなく、「絶対病」の芝居なのである』、と三島がいうように、ジャヤ・ヴァルマン7世は絶対的な愛と絶対的な信仰のみを(たとえるならそれが病的に)求めます。
そして、物語の最後を飾る、精神と肉体の対決がこの戯曲のクライマックスですが、それはまさに三島の思想が反映された結末となっているように思えます。
精神と肉体の二元論ともうひとつ、絶対と相対の二元論もこの戯曲のテーマのように思えます。ジャヤ・ヴァルマン王は絶対ですが、もう一人の絶対が第一王妃のインドラデービィで、王と癩病を共有することを拒み、絶対の愛を求めてナーガとなろうとします。
随所に三島の思想が現れている戯曲ですが、巻末にある宗谷真爾の解説がわかりやすくその思想を解説しています。
三島は書簡の中で、豊饒の海が彼にとってのバイヨンだ、ということを書いていたようです。この戯曲を読んだ後は、その言葉の意味が生々しく理解でき、あらためて三島美学を感じざるを得ませんでした。
本作は三島ファンは必読の書、いままで読んでいなかったのを強く後悔しました^^;
しかし、あらためて思うのは実に便利な世の中になったもので、この戯曲の舞台になるカンボジアの文化や歴史について、Wikipedia等で簡単に調べることができるため、戯曲の世界に容易に入りこむことができます。
私はいまだ紙派ですが、それでも文庫本とスマホを持ち替えながら、アンコール・トムやバイヨン、クメール王朝からヤソ・ヴァルマン1世、ジャヤ・ヴァルマン7世のこと、さらにはハンセン病や実在のライ王のテラスなどなど、ベッドの上でも電車の中でも、容易に情報が手にはいります。
現代人は読書環境においても、昔の人よりも遥かに恵まれていると感じます。
こちら裏表紙の内容紹介。ちょっとこれだけだとわかりにくい気もしますが。
著者紹介。
文庫本の刊行は1975年。
p.s. 旅館の朝ごはんと昼の手打ちそばで満腹。
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