デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

夢とロマンの横浜散歩(PART 1 of 4)

2011-02-11 16:12:16 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 
夢とロマンの横浜散歩(PART 1 of 4)







Subj:小百合さん、おはよう!

元気でバレンタインを迎えてね。

きゃはははは。。。


From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: 08/02/2011 6:12:12 PM
Pacific Standard Time
日本時間:2月9日(水曜日)午前11時12分
 

小百合さん元気?
今年初めての風邪を引きましたよ。
んもお~~
外に出る機会が多くなると、やっぱり風邪を引きやすくなるんだよね。
去年の12月29日から、ほぼ毎日のようにバンクーバー図書館へ歩いて通っているんだよ。

1月30日の日曜日にも図書館へ行きました。
ロビーが2階にあってエスカレーターの後ろの方に長机に10台ばかりネットに接続可能なパソコンが置いてある。
2階には他に20台ほど同じようなパソコンが配置されている。



7階建ての図書館だから、ネットができるパソコンはすべての階を合わせれば210台ほどになる。
だから、予約しなくても、ぶらりと訪ねて空いているパソコンを見つけるのはそれほど難しい事ではない。

1月30日には長机の片側に5台並んでいる、ちょうど真ん中が空いていたので、そこに座った。
見れば向かい側のパソコンも空いていた。
記事を書き始めたら、そのうち向かい側に大きなカナダ人の女が現れた。



身長が180センチで体重が少なくとも80キロはあるプロレスラーのような女です。
これで長机の10台はすべてふさがれたことになる。

おおおォ~ すっげぇ~ と感心して見ていたら、この女がすごいセキをし始めたのですよう。
体を震わせ、周りの空気も振動させるようなすごいセキです!
僕はモニターに隠れるようにして、この大女のセキをかわしました。

ところが、まったく遠慮のない大女で、立て続けにセキをしまくる!
モニターに隠れるようにしたって、風邪のウィルスはこの女の吐き出した飛沫に乗って長机の周りの空気に浮遊している。
これはヤバイ!

女は1時間ほどネットをやって帰って行ったけれど、僕はさらに1時間続けたから、2時間の間に風邪のウィルスの飛沫を吸い込んだに違いない。

翌日、案の定、喉のあたりが可笑しい。
僕の場合、これまでの風は鼻から来て喉に来るのだけれど、
あの大女の風邪は喉に直接来た。

あの長机に座っていた10人のうち、彼女を除いた9人は、まず間違いなく彼女から風邪を移されたに違いない。
とにかく、タチの悪い風邪を移されましたよ!

僕は薬は一切買わない主義。
もう30年も医者にかかったことがないし薬を飲んだこともない。
栄養のあるものを食べて十分に休養をとる。
これに尽きる!
そう思っているので、風邪退治の食糧を買いに近くのジョーのスーパーマーケットに行きました。
目に付いたのが安売りのMINI Ravioliの缶詰。



425 gram Cdn$1.00
(425グラム カナダ1ドル 日本円で約83円)

MINI Ravioli
Beef Ravioli in
tomato & meat sauce
PRODUCT OF U.S.A.

MINI Ravioli
Ravioli au bœuf en
sauce tomate & viande
PRODUCT DES É-U.A.

(英語・フランス語2ヶ国語表記)



www.chefboyardee.ca

カレーパウダーとガーリックパウダーをたっぷり入れてホットで辛いスープにしようと思い立ったのでした。
もちろん、辛過ぎないように蜂蜜を加えてみました。
そして卵を2つ落として卵とじにしてみました。
これが効きましたよ。

2缶買ってきたので2度作り、4回に分けて食べた。
あの大女のように図書館を揺るがせるような大きなセキはついに出なかった。

充分に睡眠をとっているので、あれから毎日図書館に通っているけれど、回復に向かっています。
喉の辺りがまだすっきりとしないので完治していないけれど、あの大女の酷い風邪は何とか退治できたと思っているのですよう。
きゃははははは。。。



軽井沢タリアセン夫人もタチの悪い風邪にかからないようにルンルン気分でバレンタインデーを迎えてね。
じゃあ、バ~~イ!






デンマンさん。。。風邪を引いたのを向かい側に座ったプロレスラーの女のせいにしていますけれど、薄着で外に出たのではないですか?



いや。。。薄着ではありませんでしたよ。 暖かい格好をして出かけたのですよ。

熱い辛いラヴィオリ・スープ仕立ての玉子とじを食べるのも結構ですけれど、スキーズボンでも買って、暖かくしてお散歩してくださいね。

はい、はい、はい。。。でも、今年はすでに風邪の免疫がついたから、もうタチの悪い風邪にかからないと思いますよ。

そのように過信するのは良くありませんわ。 常に新しいタイプの風邪が出回りますわ。。。で、また夢で横浜を散歩したのですか?

良く分かりますねぇ~。。。



■ 『パリの空の下で』

(2010年12月1日)





Subj:小百合さん、おはよう!

夕べ小百合さんの夢を見ましたよう!

きゃはははは…


From: denman@coolmail.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: 28/11/2010 5:29:09 PM
Pacific Standard Time
日本時間:11月29日(月)午前10時29分
 



パリの夢を見たと言って記事を書いたでしょう?



小百合さんは良く覚えていますねぇ~。。。

つまり、デンマンさんは記事にするネタに困っているのですわね?

いや。。。決してそう言う訳ではありません。 記事のネタなら数え切れないほど転がっているものですよう。

それで横浜のどこへ行ったのですか?

BankART1929ですよう。 

 (すぐ下のページへ続く)



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夢とロマンの横浜散歩(PART 2 of 4)

2011-02-11 16:11:19 | 日本人・日本文化・文学論・日本語


 
夢とロマンの横浜散歩(PART 2 of 4)


BankART1929





BankART1929は、横浜市が推進する、歴史的建造物や港湾施設等を文化芸術に活用しながら、都心部再生の起点にしていこうとする文化芸術創造の実験プログラムのひとつである。

BankART(バンカート)は旧第一銀行横浜支店(BankART1929 Yokohama)と旧富士銀行横浜支店(BankART1929 馬車道)ふたつの建物を芸術文化に利用するという意味を込めた造語。
ちなみにその舞台となる旧第一銀行と旧富士銀行の建物はどちらも1929年に建てられた。
世界恐慌の始まったこの年はニューヨーク近代美術館(MOMA)が設立された年。
どちらの建物も古代ローマのトスカナ地方独自の建築物の様式「トスカナ式」でつくられている。
 
2003年3月に実験事業としてスタートし、2006年度からは本格事業へと移行。
旧第一銀行を活用した「BankART 1929 Yokohama」と旧富士銀行横浜支店(BankART1929 馬車道)の二カ所を拠点(スペース)として活動していたが、2004年12月31日に「BankART1929 馬車道」の活用は終了、2009年3月31日に「BankART 1929 Yokohama」の活用は終了。
現在は日本郵船の湾岸倉庫を利用した「BankART Studio NYK」を主な拠点として活動を行っている。

また、2006年7月には主にアーティストインレジデンス機能をもつBankART桜荘がオープンしている(2010年4月30日、活動終了)。

BankART妻有は、2006年の大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレに出品されたBankARTが運営(管理)している農家である。

BankART1929ではアートイベントの企画・運営事業以外にも様々な取り組みを行っている。
範囲はアート、建築、パフォーマンス、音楽、会議他あらゆるジャンルに渡る。
スタジオ、スクール、出版、カフェパブ、ブックショップ、コンテンツ制作をベースにしながら、主催、コーディネート事業等、年間650本以上の事業を活発に行っている。

2ヶ月単位でアーティストに制作スペースを貸し出し、2週間に一度程度の一般公開を行っている「アーティストインスタジオ」や、2ヶ月で8コマを基本単位に各ジャンルの第一線で活躍する人たちを講師に迎えて開催している「BankARTスクール」。

その他、アート関係の本やスクール講師の著作などの芸術書籍を扱うBankARTショップの運営に加え、展覧会の内容を出版事業へと展開したり、横浜の地ビールメーカー「横浜ビール」とBankARTを利用するアーティストのタイアップによるオリジナルブランドの開発も行うなど、コンテンツ制作事業も行っている。
これらの事業の売り上げはBankART1929の運営資金として活用されている。

出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




なぜBankART1929なのですか?



ローマに居るような気分を味わったのですよ。 バンクーバー図書館はローマのコロシアムを思い出させる建物ですよう。





分かるでしょう? BankART1929は比較的小さな建物なんだけれど、壮大なバルコニーと4本のトスカナ式の列柱の迫力はコロシアムにも匹敵しますよ。



。。。で、中に入ってみたのですか?

もちろんですよ。







こうして仲良く小百合さんとコーヒーを飲んだのですよ。



中にはコーヒーショップがあるのですか?

いや、ありません。 セルフサービスのコーヒーカウンターがあるだけです。

無料ですか?

もちろん二人で200円のカンパをしましたよう。 うししししし。。。

その後、どこに行かれたのですか?

横浜へ言って山手を見ないでは帰れないので、小百合さんと自家製のケーキを食べようと「えの木てい」へ行ったのですよう。





日に照り映える真っ白い外壁。 赤い洋瓦の屋根。 ワインカラーの軒周り。 窓縁とのコントラスト。 テラスに小百合さんと座りながら自家製ケーキを食べて紅茶を楽しんで僕は満足しましたよう。



デンマンさんは何が何でもロマンチックに演出しないと気がすまないのですわね。

そう思いますか?

ちょっとわざとらしいですわ。

あのねぇ、夢を見る時ぐらい僕の自由にさせてくださいよう。 うしししし。。。 それで、さらにロマンチックに盛り上げようと僕は小百合さんを中区日本大通にある「Alte Liebe(古い恋人)」へ連れて行ったのですよ。







あらっ。。。なんだか素敵なお店ですわね。



そうでしょう?!。。。クラシック音楽を生(なま)で聴けるのですよ。

デンマンさんは、いつからクラシック音楽にハマッタのですか?

いや。。。別にクラシック音楽にハマッタわけではないけれど、たまには小百合さんと格調高く横浜でクラシック音楽を聴きながらディナーを楽しみたいなあああァ、と思ったわけですよ。 うししししし。。。







あらっ。。。マジでクラシック音楽を聴かせるのですか?



もちろんですよ。 室内はウィーンの工房が手がけたというインテリアで占められているのですよう。 なんとなくオーストリアの音楽の都に居るような気分に浸れるのです。 しかも、ヨーロッパから招いた音楽家たちによる生演奏ですよ。

これがデンマンさんの夢のメイン・イヴェントなのですか?

いや。。。違うのですよう。 次の写真を見てください。





あらっ。。。学校のようですわね?



そうです。 山手にある「横浜共立学園」の本校舎ですよ。

どうして学校などを持ち出してきたのですか?

あのねぇ~、この校舎を設計したのが、なんとヴォーリズさんなのですよ。


ウィリアム・メレル・ヴォーリズ

William Merrell Vories




1880年10月28日 - 1964年5月7日

アメリカのカンザス州レブンワース生まれ。
日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家。
建築家でありながら、ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもある。
そしてまたYMCA活動を通し、また「近江ミッション」を設立し、信徒の立場で熱心にプロテスタントの伝道に従事した。
よく「宣教師」と紹介されるが、彼はプロの牧師ではなくキリスト教徒伝道者である。
讃美歌などの作詞作曲を手がけ、ハモンドオルガンを日本に紹介するなど、音楽についての造詣も深かった。

英語教師として来日後、日本各地で西洋建築の設計を数多く手懸けた。
学校、教会、YMCA、病院、百貨店、住宅など、その種類も様式も多彩である。
1941年(昭和16年)に日本に帰化してからは、華族の一柳末徳子爵の令嬢満喜子夫人の姓をとって一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と名乗った。
「米来留」とは米国より来りて留まるという洒落である。

近江商人発祥地である滋賀県八幡(現:近江八幡市)を拠点に精力的に活動したことから、「青い目の近江商人」と称された。
また太平洋戦争終戦直後、連合国軍総司令官ダグラス・マッカーサーと近衛文麿との仲介工作に尽力したことから、「天皇を守ったアメリカ人」とも称される。

略歴

1880年 - 米国カンザス州レブンワースで生まれる。

1802年 - この頃から教会の礼拝に出席するようになり、後日、幼児洗礼を受ける。

1900年 - イーストデンバー高校を卒業。コロラドカレッジ理工系課程に入学し、YMCA活動を開始する。
当初は建築家志望でマサチューセッツ工科大学への入学が決定していたが、家庭の経済状況を考えて近くのコロラドカレッジに入学している。

1905年 - 滋賀県立商業学校(現滋賀県立八幡商業高等学校)の英語科教師として来日する。

1919年 - 子爵令嬢一柳満喜子と結婚。結婚式は自らが設計した明治学院の礼拝堂で挙げた。

1920年 - ヴォーリズ合名会社を解散し「W・M・ヴォーリズ建築事務所」および「近江セールズ株式会社」を設立する。

1941年 - 日本国籍を取得し、一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と改名。ヴォーリズ建築事務所を一柳建築事務所と改称する。

1945年 - マッカーサーと近衛文麿との仲介工作をおこなう。

1951年 - 藍綬褒章を受章(社会公共事業に対する功績による)。また、「失敗者の自叙伝」を「湖畔の声」に連載(1957年まで)。

1957年 - くも膜下出血のため、軽井沢で倒れ、療養生活に入る。

1958年 - 近江八幡市名誉市民第1号に選ばれる。

1961年 - 黄綬褒章を受章(建築業界における功績による)。

1964年 - 近江八幡市慈恩寺町元11の自邸(現ヴォーリズ記念館)2階の自室にて永眠。83歳。近江八幡市民葬および近江兄弟社葬の合同葬が行われ、遺骨は近江ミッションの納骨堂である恒春園(近江八幡市北之庄町)に収められる。没後、正五位に叙され、勲三等瑞宝章を受章する。

出典:
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




あらっ。。。もしかして「睡鳩荘」を設計したヴォーリズさんと同一人物ですか?



そうですよ。 偶然と言えば偶然だけれど。。。偶然と言うには。。。

やっぱり、偶然ですわよう。

小百合さんは冷静に考えすぎるのですよう。。。もう少しロマンチックに考えてみたらどうですか?

私は専業主婦ですから、どうしても毎日の日常茶飯事に追い回されてロマンチックどころではありませんわ。

だから、惰性の日常から自分を見つめ直す意味でも夢を見るのですよう。

デンマンさんのようにですか?

そうです。 うしししし。。。そう言っても小百合さんはすぐに夢を見るわけにも行かないだろうから、小百合さんのために懐かしいメールを持ち出しますよ。 読んでみてください。

 (すぐ下のページへ続く)

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夢とロマンの横浜散歩(PART 3 OF 4)

2011-02-11 16:10:15 | 日本人・日本文化・文学論・日本語


夢とロマンの横浜散歩(PART 3 OF 4)




う~♪~ん!。。。

読み応えがありましたよう!

小百合さんが軽井沢で

十分に楽しんできたことが

良く分かりますよう。

「私の軽井沢物語」も読んだしね。





投稿日時: 2008/08/22 12:30 (ロンドン時間)
日本時間: 8月22日 午後8時30分
バンクーバー時間: 8月22日 午前4時30分





朝吹 登水子さん の「私の軽井沢物語」は
23年くらい前 に出版だったかな?
私が20歳 ?

地理的、場所の名前、軽井沢を好きでない人にはつまらないかも。
登場人物も 有名な人ではあるけれど昔の人で こんがらがって 読みずらいかもね。

でも 名前をみて ん~ あの人の家系のお祖父さんかも?
とかと想像して 話を頭に入れていきました。

翻訳(フランスの本)をしていたそうですが、そっちは 全然 覗こうと思いません。

本は小説でなく まったく あの方の思い出をそのまま 本にしてあった。
軽井沢はまだ120年ぐらいの歴史です。
その前の武士の時代のちょんまげの所は知ろうと思いません。


(アレキサンダー・クロフト・ショー)


(日本聖公会・ショー記念礼拝堂)

1886年 ショー氏が軽井沢を避暑地として 暮らし始めた明治から 自分なりに 知りつくしたかったのです。
本の中で初めて 聞いた場所 知った事が新鮮で 次の日はその場所に 行ったりと…
楽しかったですよ。





横浜のニュー グランドホテル が軽井沢にあって演奏会や ダンスパーティ が開かれていた。
そんな大昔に 朝吹さんは青春時代を軽井沢で過ごせた。
なんて 幸運な人。

戦争で 大変な食糧難の時も流通の悪い
軽井沢で疎開した不幸な場面も読んだ。


僕も調べてみましたよう。
朝吹 登水子さんがどんな本を書いていたのかと思って。。。
僕は、彼女の本は一冊も読んでないのですよう。
名前は聞いたり見たりしたことはあったのに。。。

もしかすると、知らずにこの人の訳した本を読んでいたかもしれません。
僕はフランス文学にかぶれていた事もありましたから。。。

調べた後『本と映画』のサイトで次の記事を書きました。
読んでみてね。

■ 『私の軽井沢物語 - 朝吹登水子』
   (2008年8月20日)




本を読み終えた日 ちょうど諏訪神社の花火の日
夜8時でなく 夕方はやく 4時ごろ行きました。



仙台の七夕のように ストリートを全部飾った、派手さもなく、隅田川の花火のように 広い河原でみる ワイドな花火でなく、神社の庭 入口 鳥居にかけて 並ぶ 夜店30軒ぐらい。
昔の町のお祭りって感じがした。

諏訪神社は軽井沢の中で 別荘地帯と違う日本的な場所と言ってた 気がする。
それを 確かめたくて4時頃行った。

確かに ケヤキ イチョウ 桜 ブナ科の大木でミズナラ。
言われてみれば 本当だ。
一人では 手で囲えない 3人位かな~。
きっと 樹齢200年もっと?
軽井沢の避暑地が始まる前から そこに立っていたでしょう。


うん、うん、うん。。。
小百合さんって、結構、好奇心が旺盛なんだよねえ~♪~。
中学生のときに『エマニエル夫人』を観たほどだからね。。。



うしししし。。。


でもねぇ、人間って、男も女も、年齢に関係なく好奇心が旺盛じゃないとダメだ!と言うのが僕の持論ですよう。
一生なんて短いものです!
どうせ、この世に生まれたからには、せいぜい広い世界を見て、いろいろな事を経験して満足して死んでゆきたいものです。

そうでないならば、生まれてすぐに死んでしまったのと変わりがないのですよう。

どちらの人生を選ぶか?
決まってますよね。
好奇心旺盛で、さまざまな人と出会い、世界のさまざまな場所で人生を楽しむ。
それこそ人間らしい人生だと僕は信じていますよう!

僕と小百合さんの出会いは、カナダのブリティッシュ・コロンビア州のバーナビーの“山の家”でした。







もしも、小百合さんが小さな小さな女の子で、
好奇心もなく栃木県の田舎しか知らない女の子だったら、
僕との出会いはなかったのですよね。

そういう意味でも、小百合さんの好奇心と行動力は、実に素晴しいのですよう。
そうです!

小百合さんは朝吹登水子さんに勝るとも劣らないほど素晴しいのですよう!



小百合さん万歳!



夢とロマンの女神、万歳!


そうです!そうですよゥ!

これが偽(いつわ)らざるデンマンの気持ちですう~♪~。






本の事で勉強になった なんて 子供みたいな事
私が言って、
デンマンさんが 「何が?」と検索している
と思いました。 


そうですよう。ずいぶんと調べてみました。








朝吹さんの 別荘を塩沢湖のほとりに移築したそうです。
睡鳩荘(すいきゅうそう)
本にでてくる リビングや イスに会えると
うれしい 気持ちですが…
次回いきます。
長々 ごめんね。


うん、うん、うん。。。そうですか?
小百合さんと一緒に行ってみたいですね。



投稿日時: 2008/08/22 12:51 (ロンドン時間)
日本時間: 8月22日 午後8時51分
バンクーバー時間: 8月22日 午前4時51分




こんなの ブログに引用しなくて いいですよ。
知ってる人は大勢で、
私なんて 知ってる場面 まだまだ・・・・

同年代で軽井沢の本を出してる人います。
びくつきながら 読みました。
自分は軽井沢に居ていいのかな~? と…。


人それぞれですからねぇ~。
他の人と比べる必要はないですよう。

でも、小百合さんを一人の女として見て、
これまでの小百合さんの歩いて来た世界を見れば、
決して他の女性と比べても見劣りがしないのですよう!





『エマニエル夫人』を観てタイのバンコクにも出かけたし、
アメリカにも、そしてカナダにもやって来た。





そして、バーナビーの山の家で僕との出会いがあった!
うしししし。。。


お互いに世界が広がったという意味で素晴しい事ですよう。
小百合さんも、そう思いませんか?

だから、その感激をネットでこうして永遠のものにするのですゥ!
うしししし。。。

誰がなんと言おうが、バカだチョンだ!いいきなものだ!と言われようが
踊った方が楽しいのですよう!



えらいやっちゃ♪、えらいこっちゃ♪、

よいよいよいよいィ~♪~ 

踊るアホ~にィ♪、見るアホ~♪

同じアホなら踊りゃにゃソン損~♪~

えらいやっちゃ♪、えらいこっちゃ♪、

よいよいよいよいィ~♪~ 




そういうわけですから、小百合さんの感想文も引用させてくださいね。



では、今日も一日
暑さにめげずに
元気よくネットサーフィンしてね!








投稿日時: 2008/08/22 23:15 (ロンドン時間)
日本時間: 8月23日 午前7時15分
バンクーバー時間: 8月22日 午後3時15分

『軽井沢物語』より
(2008年8月26日)



 (すぐ下のページへ続く)
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夢とロマンの横浜散歩(PART 4 OF 4)

2011-02-11 16:09:25 | 日本人・日本文化・文学論・日本語

 
夢とロマンの横浜散歩(PART 4 OF 4)



小百合さんも日常茶飯事の生活から離れて時には『私の軽井沢物語』を手にしたこともあったのですよう。



そうですわね。。。考えてみたら、最近、いろいろと忙しくって本を読むどころではありませんでしたわ。

そうでしょう?。。。だから、たまには数年前のメールを取り出してきて読むのも無駄ではないですよ。

つまり、この事をデンマンさんは言いたかったのですか?

いや、違うのですよ。 僕はラフカディオ・ハーンのことで小百合さんと話したことを思い出したのですよ。



 
デンマンさんは小泉八雲にハマッてしまったのですか?



最近読んだ本の中では、最も興味深い人物なのですよう。

どういうところが。。。?

日本人の女性と結婚して、しかも日本に帰化した。それも明治29(1896)年1月に帰化したのですよう。。。日清戦争が終わった翌年のことですよ。 外国人が日本に帰化して、現在、日本人の間で知られている人物は、おそらく小泉八雲以外に居ないのではないか? 小百合さんは小泉八雲以外の人物を知っていますか?

いいえ。。。知りませんわ。

当時は人種差別が当たり前のような時代だったから、日本人の女性と正式に結婚するだけでも変わり者と思われていたのに、白人とは文化的にも人種的にも一段も二段も低いと見なされていた日本人が住む日本に帰化するなんて例外中の例外だと思いますよ。

つまり、小泉八雲は仲間から村八分にされてしまったのですか?

実際に仲間から排斥されたわけではないけれど、それ以来、八雲の外国人仲間との交際範囲が急に狭くなったそうですよ。

八雲が、そういう“変人”だから、デンマンさんは逆に興味を持つのですか?

そうですよ。。。僕は人生の半分以上を海外で暮らしてきましたからね。 だから、小泉八雲の気持ちや考え方に共感する部分がかなりありますよう。

たとえば、どんなところですか?

共感するというより、まず感心するのは、当時、日本は西洋文化の全盛時代だったのに小泉八雲は人種差別を越えて、数段低いと見なされていた日本文化を見下すこともなく、日本人以上に日本人になってしまったところがあった。

たとえば。。。?

明治25(1892)年2月12日、八雲はチェンバレン氏に次のような手紙を書いているのですよ。




セツ夫人と

私が次のように申しあげるのをお聞きになったら、貴男はさぞ、ぞっとなさるでしょう。 つまり私には洗練された音楽的感覚というものが全然ないので、ワーグナーや知的な音楽を楽しみことが出来ないということです。 音楽的感覚というものは、勉強と機会によって徐々に習得されねばならないと聞いております。 これだけ申しあげてしまったのですから、もう少し申しあげましょう。

私は、日本人のプロの音楽、即ち、声楽を好きになれないのです。 私は、農民の震える声が、時々奇妙に絶叫するかのように破裂し、各所で途切れてメロディが小間切れになる、あの長く尾を引く哀調が好きなんです。 私は、これら歌の中には、非常に美しい、蝉や野鳥の歌さながらに、自然に思われる強烈なものを感じます。

(中略)

農民の歌には、庶民の心が感じられますが軍歌にはそれがありません。




232 - 233ページ 『小泉八雲と日本』
編著者:西野影四郎
2009年2月15日発行
発行所:株式会社 伊勢新聞社




この手紙に、八雲が日本人以上に日本人になってしまったところがあるのですか?



だってぇ、そうでしょう。。。とにかく明治時代になると文明開化で、日本的なものが見捨てられて、何でもかんでも西洋的なものを貴重なものとして受け入れていたのですよう。 チョンマゲは切るし、刀は駄目だということになり、猫もミーちゃんハーちゃんも西洋的なものを真似して着るようになった。 鹿鳴館などは、その最たるものですよう。 いわゆる日本の上流社会の人たちがドレスや燕尾服を着て社交ダンスを踊ったりした。 イギリスの大衆新聞などでは、日本人が猿真似していると馬鹿にしていた。

つまり、そのような西洋志向な風潮の中で八雲が農民の間で歌われている民謡に、素晴らしいものを感じていることに、デンマンさんは感動したのですか?

そうですよう。 日本人が日本の伝統的なものを捨てて、何でもかんでも西洋的なものを真似しようとしているときに、八雲は日本の素晴らしいものを見い出していた。

それは、外国人にとって日本の風物や伝統的なものが珍しいと思える程度のことではないのですか?

あのねぇ~、確かに外国人にとって日本の浮世絵とか民謡などは珍しいでしょう。 でもねぇ、同じ外人でも、たいていの人はチェンバレン氏のように考えていたようです。 彼は次のように書いてるのですよう。


もしミューズィックという美しい言葉を、東洋人が楽器をギーギー鳴らしたり、声をキーキー張り上げることまで意味するほど低下させて用いなければならぬとするならば、日本には神話時代から音楽が存在したと考えてもよい。

 (中略)

日本はいつの日にか、新しい第九交響曲を持って世界の人たちを魅了することがあるであろうか。 それとも、ただ俗悪な歌曲に沈溺して終わるであろうか。 著者はここに大胆な予想をするつもりはないが、期待されるところはきわめて少ないといわざるをえない。 イタリアの洗練された享楽主義も、ドイツ人の心からの誠実さも、スラヴ人の元気にあふれた感激性も、この国の人々の魂には根をおろそうとは思われないのである。




233ページ 『小泉八雲と日本』
編著者:西野影四郎
2009年2月15日発行
発行所:株式会社 伊勢新聞社




要するに、東洋音楽は、雑音以外の何ものでもない。 日本人には高尚な音楽は無縁だと言っているのです。



つまり、日本の音楽を理解する点でも八雲は例外中の例外だったとデンマンさんは信じているのですか?

そうですよう。 とにかく、たいていの外人が、日本の文化や日本人の知的レベルが西洋人、西洋文化と比べると数段低いと見下していたのですよう。

でも、文明開化で、西洋文化を吸収し、西洋に追いついて追い越せという日本人の熱意があったから、日本は昭和時代になって西洋社会と肩を並べて、やがて経済大国にもなったのでしょう?

そうです。。。僕が言いたいことは、日本には伝統的なものでも素晴らしいものがあった。 それにもかかわらず、西洋文化なら、何でも素晴らしいと思い込んで、日本的なものを何でも捨てて、西洋的なものを貪欲に吸収した。

でも、浮世絵などは、フランス人の画家などによって見出されたでしょう?

確かに、そうです。 でもねぇ、それは例外ですよう。 日本の音楽などは、チェンバレン氏が書いているように、楽器をギーギー鳴らしたり、声をキーキー張り上げたりする俗悪なものと考えられて、まったく無視されたようなものですよう。

だけど、民族的な音楽は特に理解するのが難しいのではありませんか?




『ミューズィック』より
(2011年1月8日)




どうしてまた、小泉八雲のことなどを思い出したのですか?



あのねぇ~、小泉八雲以外の帰化人で日本語の名前を持っている人が僕の記憶から脱落していたのですよう。 そう言う時にヴォーリズさんに出くわした。

日本国籍を取得して、ヴォーリズさんは一柳米来留(ひとつやなぎ めれる)と改名したのですわね。

そうなのですよ。 僕はまったく知りませんでした。

私もヴォーリズさんに一柳米来留という日本名があるということを知りませんでしたわ。

米来留(めれる)という名前は「米国より来(きた)りて留(とど)まる」という洒落だというのですから、ヴォーリズさんはユーモアのある楽しい人だったのでしょうね。

つまり、その事が言いたかったのですか?

違いますよう。

いったい何が言いたいのですか?

あのねぇ~、僕と小百合さんはヴォーリズさんが設計した「睡鳩荘」へ足を運んだのですよう。 しかも、その「睡鳩荘」は軽井沢タリアセンに移築された後だった。

だから。。。?

小百合さんが「軽井沢タリアセン夫人」としてブログにデヴューした記念すべきイヴェントだったのですよう。 つまり、横浜の山手にも、軽井沢にもヴォーリズさんの作品が残っていることは単なる偶然ではないのですよう。 実は、小百合さんと僕をそのような形で引き合わせてくれたのですよう。

それはコジツケですわ。

いや。。。違います。。。ロマンですよう。 うししししし。。。


【卑弥子の独り言】



ですってぇ~。。。
こじつけですわよう!
あなただって、そう思うでしょう?

ところで、「睡鳩荘」が気に入っていたという朝吹登水子さんは、女子学習院を中退ののち、1936年にフランスに渡り、ブッフェモン女学校、パリ大学ソルボンヌに学んでいます。
それに、2度目のご主人はフランス人です。

朝吹さんは外国の大使や公使の方々とも、対等にお付き合いができるように頑張ったようでござ~♪~ますわ。
おそらく、他の華族のお嬢様方たちには真似のできなかった事だったのかもしれません。
そう言う点で朝吹さんが劣等感を克服したとも考えられます。

その総決算として晩年に、自伝三部作を書き上げたのかもしれませんわ。
でも、上流階級に育った、その生い立ちに憧れを抱く者もあったけれど反感も抱かれた、と書かれています。
なぜなのでしょうか?

とにかく、面白いお話が続きそうですわ。
だから、あなたも、また読みに戻ってきてくださいましね。
じゃあねぇ。



 
メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

どこの国にも“上流社会”と言うものが存在するようです。

昔は貴族とか華族と言われた人たちが居ましたが、

最近ではほとんどの社会で、

そのような制度はなくなりました。

それに変わって登場したのが

“セレブ”だとか“ハイソサイエティー”でしょうか?

つまり、有名人だとかお金持ちの集まりです。

でも、果たして、それが上流社会と言えるのでしょうか?

あなたは、どう思いますか?


 
ところで、卑弥子さんが面白い記事をまとめました。

暑さを笑って吹き飛ばしたかったら

ぜひ読んでみてくださいね。

■ 『笑って幸せな気分になれるサイト』



では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。





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現金で払う

2011-02-11 16:05:12 | 英語・英会話
 
ん?現金で払う?



英語で次のように言う場合にどちらが自然でしょうか?


金額がわずかなものは、カードでなく現金で払いたいのですが。

1) I would like to pay by cash

   for the small items rather

   than by credit card.

2) I would like to pay in cash

   for the small items rather

   than by credit card.


実はこのような質問を見たのですよ。

答えは2番と言うことでした。

つまり、[解答] は。。。

2) I would like to pay in cash for the small items rather

  than by credit card.

次のような説明がありました。


「現金で払う」は pay by cash ではなく pay (in) cash が決まり文句。

なお、「現金」の場合と同様、「通貨の種類」について言う場合も、

in U.S. Dollars(米ドルで)や in Euro(ユーロで)のように in を使う。

【例文】

The licensee is required to pay royalties in Japanese yen every quarter.

ライセンシーは四半期毎に、ロイヤルティーを日本円で支払う必要があります。


この説明は、実際に英語圏で暮らした事がない英語の先生が書いたものです。

どうして分かるの?

なぜなら、僕はもう英語圏で暮らして20年以上たちます。

今まで pay in cash を使ったことが無いのですよ。
僕の場合、常に pay by cash を使ってきました。

聞き返されたこともないし、嫌な顔をされた事も無く、
これで通用してきたのです。
また、他の人が pay by cash と言うのも聞いている。
僕は他の人が pay in cash と言っているのを聞いたことも無いのです。

だから、次の文を読んだ時に狐に鼻をつままれたような気がしました。不思議でした。


「現金で払う」は pay by cash ではなく pay (in) cash が決まり文句。


まるで 1+1= 3 と言われているように思ったものです。

僕はさっそくGOOGLEで調べてみました。

結果は次のようになりました。

まず “pay by cash” を入れて検索してみました。



思った通り結構たくさん使われているのですよ。
181,000件見つかりました。

次に “pay in cash” を入れて検索してみました。



確かに、この方が多いのです。347,000件見つかりました。

でも、 “pay by cash” の2倍以上使われている訳では無いのです。

どういうことが言えるのか?

“pay by cash” も決まり文句のようになりつつあるということです。

検索結果を見ていたら次のような文に出くわしました。


I feel that it's yet tolerable to say 'pay by cash'

but not to say 'pay in check'.

“pay by cash” と言うのは許されると思うけれど、“pay in check” はまずいよね。


確かにその通りですよね。

僕も “pay in check” は使ったことがないし、聞いたこともありません。
常に “pay by check” です。

それで、僕は “pay by cash” と使うようになったようです。

とにかく、言葉は生き物です。時代と共に変わってゆくのですよね。

だから、英語の先生と言えども日本ばかりに暮らしていると時代についてゆけづに
間違った事を教えてしまう。

やはり、“井の中の蛙” ではいけないのですよね。



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おほほほほ。。。

卑弥子でご

ざ~♪~ますわよ。

くどいようですけれど、

また現れましたわ。

やっぱり、

デンマンさんぱっかりに

任せていると

退屈するのよねぇ~。

それで、つい、つい、

出て来て

しまうので

ござ~♪~ますわよ。

ええっ?

何で英語の記事に

顔を出すのかって?

あたくしも、英語を勉強して

ついにバンクーバーに行って来たので

ござ~♪~ますわよ。

本当は、もっと長く居たかったのですけれど、

デンマンさんに言われて

予定通りに戻ってきました。

それで、また、この十二単を

着ているのでござ~♪~ますわ。

うしししし。。。



クリスマスには、あたくしが腕によりをかけて

ターキーディナーを作ってしまったのですわよ。

とっても美味しかったのよウ。

それが証拠にデンマンさんが

こうしてあたくしに

ベタベタしてしまったのでござ~♪~ますわよ。



ええっ?もう、このお話は聞き飽きたのォ~?

ちょっと、しつこかったかしら?おほほほほ。。。

じゃあねぇ、違うお話をしますわぁ~。

あのねぇ、あたくしは次のサイトで

マスコットギャルをやっているのよ。

あなたもお暇でしょう?

だって、ここまで読んできたということは、

あなたは暇をもてあましているのよね?

うふふふふ。。。

だから、あたくしが顔を出す次のサイトもよろしくね。

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ナウい古代史を読むことができるのよ。

だから、あなたもぜひ覗いてみてね。

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね、バ~♪~イ。






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