花のまわりで (PART 1)
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デンマンさん。。。 冬なのに、夢でも見て花のまわりでダンスでも踊ったのですか?
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いや。。。 こういう激しいダンスは僕には無理ですよう。。。
じゃあ、いったいどういうわけで花のまわりでというタイトルをつけたのですか?
話すと長くなるのだけれど。。。
じゃあ、短めに話してくださいな。。。
あのねぇ~、バンクーバー市立図書館で借りていた本を読んでいたら次の箇所に出くわしたのですよ。。。
名月をとってくれろと泣子哉
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季語は「名月」で秋。
「お月様を手に取って欲しい」。
それは大人にはなかなか感じることができないような新鮮な感情である。
一茶はそれを俳句にした。
この句、子どもがいったこととして詠んであるが、実際には一茶自身の思いであったらしい。
文化10年(1813)6月15日、旅中、一茶の尻にデキモノができ、次第に悪化、痛みを増して高熱を発するようになる。 (略)
同時の作として
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名月や寝ながらおがむていたらく
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名月やとばかり立居むつかしき
といった句がならんでいる。
いずれも起居できずに困った様子である。
こうした状況から考えるに、<名月をとってくれろと泣子哉>は、
起居のままならない自身の思いを詠んだのであり、
それを泣子の姿に仮託したということではないだろうか。
(注: 赤字はデンマンが強調。
読み易くするために改行を加えています。
写真はデンマン・ライブラリーより)
36-37ページ 『小林一茶』
著者: 大谷弘至
2017(平成29)年9月25日 初版発行
発行所: 株式会社 KADOKAWA
月は出てきても、花は出てこないじゃありませんか!
だから言ったでしょう!。。。 話せば長くなるのですよう。。。
分かりましたわ。。。 なるべく短めに話してくださいな。。。
あのねぇ~、僕がまだ小学校に上がるちょっとばかり前の話ですよ。。。
デンマンさんが5つか、6つの頃のお話ですか?
そういうことです。。。 珍しいことにオヤジがお袋と長男の僕と次男とまだ幼児で、お袋の背中におんぶされていた三男を連れて行田市から東京までNHK合唱コンクールを見に行ったことがあるのです。。。
デンマンさんのお父さんは音楽の先生でしたわねぇ~。。。
そうなのです。。。 当時、オヤジは行田市立中央小学校の先生をしていたからコンクールには出られなかったけれど、見に行きたくなったのでしょうね。。。 祖母は留守番で一緒にこられなかったのだけれど、一緒に来たかったらしくて仲間はずれにされたというので、ムカついて半年ぐらいオヤジと口を利かなかったですよ。。。
あらっ。。。 おばあさんが一人だけで お留守番で可哀想でしたわねぇ~。。。
当時は、嫁と姑は水と油で、仲が悪いのは世間で当たり前だったから、オヤジにしてみれば、お袋に対して日ごろできなかったサービスのつもりだったのでしょう。。。 お袋も、初めての“家族旅行”のつもりで、喜んでいましたよ。。。
でも、その“家族旅行”と小林一茶の句とどういう関係があるのですか?
だから、話せば長くなると言ったでしょう!
分かりましたわ。。。 できるだけ短めにお願いします。
あのねぇ~、当時のNHKホールは渋谷にある現在のホールじゃなくて東京駅の近くの内幸町にあった。。。 僕ははっきりと覚えてないのだけれど、確か、その旧NHKホールで合唱コンクールは開催されたと思うのですよ。。。 とにかく、電車から降りて会場までずいぶんと歩かされたことだけははっきり覚えている。。。 でも、大人の足ならば、歩く距離だったのでしょう。。。 まだ小さな子供にとって、その距離は5キロぐらいに思えた。。。 オヤジが僕と弟の手を握って、引きずるように歩かされた。。。 それは、もうしんどかった。。。 弟など、もう嫌だと言うように立ち止まってしまって、ひきづられるようにして無理矢理に歩かされていた。。。
タクシーに乗ればいいではありませんか!
だから、大人にとっては歩く距離だったのですよ。。。
それで、一茶の句は。。。?
あのねぇ~、その時、お袋の背中に負ぶわれていた三男が手を伸ばしてムズがっている。。。 お袋はウンチでも出したので、不快になってムズがっているのだろうと思ったらしい。。。
それで、お母さんはオムツを取り替えたのですか?
いや。。。 そんな時間はありませんよう。。。 コンクールはすでに始まっていたらしくて、オヤジはあせっていたようで、僕と弟の手をとって無理矢理歩かせて急いでいた。。。
それで。。。?
僕は三男が手を伸ばしている方向を見た。。。 そしたら、高架の線路に山手線が走っていた。。。 三男はその山手線の電車を取って欲しいと言ってムズがっていたのですよ。。。 だから、今になってその時の状況を読めば次のような句になるのです。。。
山手線
とってくれろと
泣く子かな
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つまり、この時の思い出があったので、名月をとってくれろと泣子哉 を初めて読んだ時に、小林一茶が自分の子か? あるいは近所の幼児か? とにかく、その時の幼児がお月様を見て、取ってくれと泣いている様を詠んだと確信したのですよ。
それなのに、上の本では、「<名月をとってくれろと泣子哉>は、起居のままならない自身の思いを詠んだのであり、それを泣子の姿に仮託したということではないだろうか」と書いてあるのに不満を感じたのですか?
その通りですよ! そこに、よぼよぼの一茶が出てきたのでは、全くイメージが壊れてしまうのですよ! やはり、泣く子供でないと俳句の面白みが半減してしまう!
分かりましたわ。。。 つまり、デンマンさんの体験に基づいて解釈すれば、<名月をとってくれろと泣子哉>はマジで、泣く子でなければならなかったということですねぇ~。
そういうことです。。。
でも。。。、でも。。。、どこに花のまわりでが出てくるのですか?
あのねぇ~、オヤジに無理やり歩かされて旧NHKホールに着いた時、すでに合唱コンクールは始まっていた。。。 ホールのドアを開いて中に入った時に聞こえてきたのが、その年の小学校の部の課題曲でした。。。
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調べたら、第22回の合唱コンクールの課題曲だったのですよ。。。 この曲は僕の記憶にとても印象深く刻み込まれて残ったのです。。。 大学生になって、お袋に この時の話をしたら、「あんな小さかったのに、あんたもこの曲を覚えていたの?」と、さも懐かしそうに話していたものです。。。
お母さんにとっても 思い出深い曲だったのですわねぇ~。。。
そうです。。。 貧しくて新婚旅行もできなかったほどですからね。。。 あの時、親子5人で出かけたのは、お袋にとって初めての家族旅行だったのですよ。。。
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