七つの顔を持つ女
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デンマンさん。。。、七つの顔を持つ女と知り合いになったのですかァ~?
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知り合ったと言うよりも、そういう女がいたことを知ったのですよ。。。
あらっ。。。七つの顔を持つ女が居たのですか? どこに?
日本にいたのですよ。。。
あらっ。。。マジで。。。? そういう話を聞いたことがありませんわァ~。。。
多分、多くの日本人も知らないと思いますよ。。。
どのようにして知ったのですか?
僕がユーチューブに自作のクリップをアップロードしていた時に、サイドコラムに次の動画が出てきたのですよ。。。
福田和子
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(1948年1月2日 - 2005年3月10日)
福田 和子は、1982年(昭和57年)8月19日に発生した松山ホステス殺害事件の犯人である。
犯行後、時効直前の1997年(平成9年)7月29日に逮捕されるまで約15年にわたり逃亡したことで広く知られている。
1948年(昭和23年)1月2日、愛媛県松山市に生まれる。
幼くして両親が離婚、母親に引き取られ愛媛県川之江市(現:四国中央市)に移る。
母親は自宅で売春宿を経営していた。
その後母は漁師と再婚、来島に移るが島の排他性に耐え切れず、母子で今治市に移る。
愛媛県内の高校に入学するものの、処女を捧げた交際中の同級生が事故死し、自暴自棄になり3年生の1学期に退学する。
17歳のとき、同棲していた男性と高松市の国税局長の家に強盗に入った罪で松山刑務所に服役。
その服役中の1966年(当時18歳)、第1次松山抗争で逮捕された郷田会の関係者が看守を買収し、女性受刑者を強姦するという松山刑務所事件が起き、福田はこの事件で看守からの強姦被害者となった。
さらに移監された高松刑務所でも同様の被害に遭っているが、いずれも被害届を出すことが認められなかったため、公訴時効により事件の責任追及は行われなかった。
出所後の福田はキャバレーのホステスとして働いていたが、1982年に松山市内で同僚のホステス(当時31歳)の首を絞めて殺害する松山ホステス殺害事件を起こし、逃亡する(後に夫はこの事件での死体遺棄罪で有罪となった)。
逃亡中は幾度となく偽名を使ったり美容整形を繰り返すなどして、全国のキャバレーを転々とする生活をしており、美容整形をしていたことが判明した際には「7つの顔を持つ女」と呼ばれた。
愛媛県警察が懸賞金をかけた指名手配捜査を行い、公訴時効が成立する21日前である1997年7月29日、福井市内で逮捕された。
逃亡生活は5,459日間にも及んだ。
逮捕のきっかけは公訴時効成立が近づくにつれてワイドショーやゴールデンタイムの公開捜査番組で何度となく取り上げられ、社会的関心が高まり、福田が行き付けのおでん店の常連客に見破られたためである。
逮捕された福田は、福井駅から岡山駅まで鉄道、岡山駅からは愛媛県警察のワゴン車で松山東警察署に移送された。
岡山駅までの道中は、女性捜査員と福田が乗車した特急サンダーバードや山陽新幹線にテレビや雑誌などの報道陣が同乗し、福田の周囲を取り囲み大騒ぎとなった。
松山東警察署で取調べを受けた後の1997年8月18日に殺人罪で起訴された。
公訴時効成立まで11時間前の起訴であった。
1999年5月31日、松山地方裁判所にて無期懲役の判決が下され控訴するも、2000年12月13日、高松高等裁判所にて控訴棄却。
拘置先の松山刑務所から高松刑務所に移され、収監。
福田は最高裁判所へ上告したが2003年11月、上告棄却。
無期懲役の刑が確定し、和歌山県和歌山市の和歌山刑務所に収監された。
2005年2月に刑務所内の工場の作業中に、くも膜下出血のため緊急入院。
意識の回復のないまま3月10日、入院先の和歌山市内の病院にて脳梗塞により死去。
57歳没。
事件発生から逮捕までのエピソード
逮捕までの15年近くの5459日間、日本各地を転々としていた福田だが、潜伏生活の中で最も大胆だったのは石川県能美郡根上町(現・能美市)の和菓子屋の後妻(入籍はしておらず、事実上の内縁関係)の座に納まっていたことである。
その店には、家が近所で当時小学生だった松井秀喜も客としてよく菓子を買いに来ており、松井は福田逮捕後のインタビューで「とても綺麗で優しいおばさんという印象だった」と語っている。
金沢市のスナックで働いていた福田は、その店の客だった和菓子屋の主人に見初められて同棲するようになり、店も手伝う。
そして息子を愛媛県松山市の実家から呼び出し、甥だと偽ってその和菓子屋に見習いとして住み込みで働かせた。
福田は和菓子屋の主人や両親には京都嵯峨野にある旅館の令嬢と名乗り、息子に連絡する際は警察の逆探知捜査を逆手に取り、京都や大阪など関西へ出向き公衆電話から連絡を取り捜査を撹乱した(公開捜査番組等で録音テープに「逆探知されたら困る。危ない、危ない」という福田の肉声が公開されている)。
そのため警察は福田が関西方面に潜伏していると誤認し、和菓子屋がある石川県まで逃げているとの認識はなかった。
しかも福田は非常によく働き、接客も得意だったことから、店はたちまち評判となり、新しく改装するほどの繁盛店となった。
和菓子屋の主人は福田をたいそう気に入り、正式に結婚を申し込むが、福田は正体がバレるのを恐れて2年以上も結婚を渋った。
なかなか籍を入れない福田の態度に不審を抱いた親戚が、福田の甥だという息子の荷物を調べ、その中から運転免許証を偶然発見して確認したところ、福田の生まれ育った愛媛県松山市が書かれていたことに驚いて石川県警察に通報し、警察は福田の逮捕に向かう。
しかし当日、近所の葬式の手伝いに出掛けていた福田は警察の行動を素早く察知し、とっさの判断で近くにあった自転車に乗り逃走、これにより逮捕は失敗する。
このとき、警察は福田が整形手術を行っていたことを初めて知り、この事実は当時の週刊誌でも取り上げられた。
その後は愛知県内でモーテルの客室清掃員などもしていたとの情報もあったが、詳しい足取りは不明なままである。
逮捕後の供述では、近畿地方・中国地方・北陸地方などの料理店などを転々としていたことを明かした。
1997年、刻一刻と時効が迫る中で、テレビのワイドショーやゴールデンタイムの公開捜査番組で、福田の事件と逃亡が頻繁に取り上げられ、肉声も繰り返し放送された。
福田が行きつけだった福井市内のおでん屋の店主と常連客は、声が似ている女性客(福田)を怪しむようになったという。
結局、おでん店の店主から提供されたビール瓶とマラカスから採取された指紋が決め手となり、福田は逮捕された。
その後、福田の逃亡劇は、報道番組の特集のみならず、小説、テレビドラマ、映画化され、多数の女性俳優が福田を演じた。
また本人も逮捕後より半生記の著書を出版している。
逮捕成功につながった情報の提供者は懸賞金を受け取ったが、その後慈善団体に寄付した。
逮捕の現場となったおでん屋は、その後も移転して細々と営業していたが、2019年3月31日をもって閉店した。
出典: 「福田和子」
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あらっ。。。人を殺して整形手術を受けながら7回も顔を変えて逃げ切ろうとしたのですわねぇ~。。。
そうなのですよ。。。必死で逃げ切ろうとしたのですよ。。。でもねぇ~、人間は誰でも完璧ではないですからねぇ~、顔を変えても声までは変えられない。。。
つまり、声を知っている人が、福田和子の肉声を聞いて警察に通報したのですか?
そうなのですよ。。。逃げ切ろうと思いながら公訴時効が成立する21日前である1997年7月29日、福井市内で逮捕された。
本人は残念だったでしょうねぇ~。。。
次も女性なのですよ。。。9年間逃亡生活を続けた末に、共犯者であり愛人である男が死刑が確定したので、一人で逃亡するのが虚しくなって自首したのです。。。
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動画を観る
福岡・偽装心中殺人事件
1990年12月28日、福岡県田川郡赤池町の総合運動公園駐車場で、全焼した車の中から無理心中とみられる男女2人の遺体がみつかった。
しかし、遺体には刺された痕があり、さらに女性には1億円の保険金がかけられていたことから、警察は保険金殺人と断定。
女性が勤務する会社の経営者・小田義勝(当時42歳)と雇われ社長の益田千栄(当時20歳)が逮捕された。
犠牲になった2人に面識はなく、男性はテレフォンクラブを通じて益田に呼び出されていた。
主犯の小田は裁判で死刑が確定、従犯の益田は無期懲役だった。
出典:福岡・赤池町保険金殺人事件
次は男で、この殺人事件は日本を騒がせた。。。なぜなら被害者は美人のイギリス人で市橋達也・受刑者は英語を教えてほしいと頼み、授業料を払うからと自宅に誘い、そこで無理やりセックスしたあとで殺してしまった。。。それから961日間逃亡を続け、一時は沖縄沖の無人島で生活したほどで、結局、大阪に出てきたところで捕まってしまった。
リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件
リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件は、2007年(平成19年)3月26日に千葉県市川市において、英会話学校講師リンゼイ・アン・ホーカー(Lindsay Ann Hawker・英国籍・当時22歳)が市橋 達也(当時28歳)によって殺害された殺人事件。
なお、千葉県警察による正式な事件名は「市川市福栄における英国人女性殺人・死体遺棄事件」である。
事件当日の2007年3月26日、被害者と同居していた女性から行方不明の相談を受けた千葉県船橋警察署の警察官が被害者宅を捜索。
市橋達也の電話番号・メールアドレスと被害者の似顔絵を描いたと思われるメモを発見し、市橋達也宅の家宅捜索に急行した。
同日21時40分ごろ、千葉県市川市福栄二丁目の市橋宅(マンション4階)に、千葉県船橋警察署生活安全課・刑事課の署員数人が到着した。
市橋は部屋から出てきてマンションの共用廊下で応対しようとした。
捜査員が部屋に入ろうとすると、市橋は非常階段を駆け下りて同マンション裏の駐車場を経て東京メトロ東西線行徳駅方面に逃走した。
予め逃走を防ぐ為に非常階段などにも捜査員が配置されていたが、取り逃がす結果となった。
千葉県警察本部刑事部捜査第一課は3月27日、千葉県行徳警察署に捜査本部を設置し、市橋について死体遺棄容疑で逮捕状を取って公開指名手配した。
同日22時ごろ、市橋宅のベランダに置かれていた浴槽の内部で、全裸様の前傾座位で土に完全に埋められた被害者の遺体が発見された。
逃走後の市橋はしばらく近隣の住宅地の物陰に潜んでおり、そこで探索中の捜査員に発見されて一旦羽交い締めにされるが、ここでも逃走することに成功している。
被害者の家族の活動
被害者の家族は、単独あるいはイギリスのマスコミと一緒に何度も訪日し、事件現場へ慰霊に通ったり、駅でのビラ配りを行い市橋逮捕への協力を訴えた。
2007年6月27日には専用サイトを立ち上げ、市橋の顔を印刷したTシャツをネット販売するとともに、事件の風化を防ぐため繰り返しマスコミへの出演を行った。
捜査協力はあらゆる方面に及び、イギリスのメディア『Mail Online』は、被害者の父親が日本のマフィア、つまりヤクザにも接触し、市橋探しの捜査を依頼していたと報道した。
当時のグレアム・フライ駐日英大使も2007年4月1日、東京都内で記者会見を行い、市橋逮捕への協力を求め、家族の活動を支援した。
テレビ朝日『奇跡の扉 TVのチカラ』(2007年6月30日放送)において特別番組が編成され、来日中の被害者両親も出演して、日本国内に広く情報提供を求めた。
加害者の逃避行
市橋は逃走開始直後に靴と靴下、上着を紛失したが、ゴミ捨て場からサンダルと上着を入手した。
所持金は5万円程度であった。
自家用車を所有する当時交際中であった女性に公衆電話から連絡を取り、共に逃亡すべく依頼を試みるが、女性が通話中だったため実現しなかった。
逃走初日のうちに放置自転車や電車を利用して、市川市の自宅から上野経由で秋葉原まで移動し、途中立ち寄った東京大学医学部附属病院の障害者用トイレで、人相を変えるために鼻翼を左右から縫い縮める自己整形手術を行っている。
後に自らカッターナイフでほくろを切り落とし、下唇を小さくするためにハサミで切っている。
その後は埼玉県・群馬県・茨城県などの北関東周辺を放浪し、静岡県熱海市を経て駿河湾付近まで南下した後に青森県まで北上することを決める。
事件前に福岡県の知人宛てに近々遊びに行く旨のメールを送信しており、パソコンの記録解析によって南方への逃亡が察知される危険性を考えた行動であった。
東京から新潟県を経て青森まで移動したが、青森駅前公園で1週間ほどの寝泊りを経て青森の経済状況が芳しくないと感じ、働いて生活するために大阪市西成区の公共職業安定所を訪れた。
ここでは職に就くことはなく、すぐに岡山県を経由して四国に移動した。
四国では香川県高松市から徳島県~高知県~愛媛県と遍路道を歩いた。
これには贖罪の意味があったとしている。
一方で「逮捕されればさらしものになる」「指名手配されると、自首しても刑は軽減されない」として、自主的な出頭は考えていなかった。
お遍路の先々では手配写真が掲載されており、このままでは逮捕まで時間の問題と考え、無人島での生活を考え始める。
高知の図書館で無人島について調べ、滞在地として沖縄県のオーハ島を選択した。
お遍路を途中で止め、松山港からフェリーで別府港に移動し、その後鹿児島県を経て沖縄に渡った。
初回のオーハ島渡航は準備不足により1週間ほどで頓挫した。
資金が尽きた市橋は、沖縄本島の建設現場で偽名で働き金を稼いだ。
この沖縄での経験で、市橋はオーハ島と大阪での住み込み労働を繰り返す生活スタイルを考案した。
住み込みでの仕事は解体現場や建設場を選んだ。
他にも船に乗る仕事や風俗に女性を派遣する仕事などをしないかと誘われたが市橋は断っている。
勤務態度は良好であったが、宿舎付近で警察らしき車両を発見すると、身近に捜査が及んでいるのではと疑い、所持物を部屋に残したまま逃げ出すことを繰り返した。
2008年春には自宅の近隣に所在し、卒業論文のテーマであった東京ディズニーランドを訪れている。
住み込み労働で得た貯金で、2009年10月23日・24日に名古屋の形成外科にて眉間の形成手術を受けた。
この手術がのちに逮捕に繋がることになる。
逮捕
2009年(平成21年)11月10日、神戸市東灘区の六甲船客ターミナルにおいて、同社従業員が、沖縄行き航路に搭乗途中の乗客の中に、市橋に似た不審な男性を発見した。
当日は、神戸発・沖縄行きの航路は欠航であったため、同日も同航路に就航していた大阪南港発の沖縄行き便を案内すると、市橋と思われる人物が乗船のため大阪南港に向かう旨の発言をしたことから、不審に思った同港担当者は警察当局ならびに大阪南港担当者に通報。
大阪南港フェリーターミナルに先回りし待機していた警察官により身柄を確保される。
移送された大阪府住之江警察署において同事件容疑で逮捕、さらに東海道新幹線を経由して千葉県行徳警察署に移送された。
市橋が到着した東京駅は一時騒然となった。
市橋が逮捕された2009年11月10日は、俳優森繁久彌逝去と報道日時が重なったこともあり、当日夜のニュース番組の視聴率は軒並み20%を超えた。
起訴
2009年(平成21年)12月2日、千葉地方検察庁は死体遺棄罪で市橋を起訴。
同年12月3日、現場に残された精液が市橋のDNAと一致したことから、行徳警察署は、殺人ならびに強姦致死容疑で再逮捕し、同年12月4日付、千葉地検に送致した。
逃亡記録手記の出版
市橋は、逃亡生活の様子や心境などをまとめた手記「逮捕されるまで―空白の2年7カ月の記録」を、2011年(平成23年)1月26日に幻冬舎から出版し、手記による収入はすべて遺族への弁済に充てるとした。
接見はできないため、間接的な原稿のやりとりだったが、編集担当者は「(被告の)観察眼、感性の豊かさを感じた」と話しているが、英国の遺族は「裁判の前に、こうした本を書くことが許されるのか。強い嫌悪感を抱いており、傷つけられた。私たちが求めているのは公正な処罰だけだ」と話した。
2011年7月までに印税は1100万円となり、市橋は税引き後の912万円を遺族に渡したいとしたが、被害者の両親は「娘を殺したことをネタに金儲けをしている」として、1銭たりとも受け取らない立場を千葉地裁で明らかにした。
手記には遺族が受け取らない場合は、印税を公益に代えるように記載されている。
裁判
千葉地方裁判所における初公判は2011年7月4日。起訴状の公訴事実は、殺人罪・強姦致死罪・死体遺棄罪。
被害者の両親と姉妹の計4人が被害者参加制度を利用して裁判に参加した。
検察側は市橋が事件の発覚を恐れて殺害に至ったとしたのに対し、弁護側は強姦と監禁、死に至らせた事実は認めたものの、殺意については否認し、殺人罪と強姦致死罪ではなく、傷害致死罪と強姦罪だと主張した。
検察側は、市橋は非常に強い力で3分以上に頚部を絞めており殺意は明らかで、蘇生措置をしたというのは被害者の肋骨に損傷がないことから信用できないと主張した。
千葉地検は「市橋には前科がなく、犠牲者が1人のことから死刑は躊躇せざるを得ない」として、同年7月12日に無期懲役を求刑した。
出典: 「リンゼイ・アン・ホーカー殺害事件」
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ちょっとひどすぎますよねぇ~。。。
確かにひどい事件ですよ。。、こういう男のせいで日本人の男が、潜在的な性加害者だと見られてしまうのですよ。。。世界的には日本人の男の評判を貶めるヤバイ行為です。。。次は、なんと50年にも及ぶ逃亡生活を続け、胃癌になって倒れたのが逮捕のきっかけになった、というちょっと信じられないような逃避行です。。。
桐島聡
1954年1月9日[1] - 2024年1月29日)
桐島 聡(きりしま さとし)は、1970年代の日本の新左翼過激派集団である東アジア反日武装戦線のメンバー。
1975年に同派による連続企業爆破事件の被疑者として全国に指名手配されたが、逃亡から約49年後の2024年1月25日に入院中の病院で自身の名前を名乗り、その4日後に死亡した。
広島県深安郡神辺町(現在の福山市)出身。
広島県立尾道北高等学校卒業。
明治学院大学在学中に黒川芳正や宇賀神寿一と出会い、東アジア反日武装戦線に「さそり」班として参加し、20歳から21歳の間に連続企業爆破事件の複数のテロ事件に関与した。
連続企業爆破事件への関与
1975年4月18日、東京の銀座の韓国産業経済研究所の入口に手製の時限信管付爆弾を仕掛け翌日に爆発させた。
これによってビルの一部が損壊した。
警視庁は本事件を中央区内連続企業爆破事件とも呼んでいる。
爆弾は同グループが地下出版した腹腹時計に掲載したもので、同グループで薬剤師資格を持つ大道寺あや子が勤務先から横領した薬品などを使って製造したものが使われた。
現在指名手配されている直接の容疑は、このオリエンタルメタル社・韓産研爆破事件における爆発物取締罰則違反である。
逃亡
1975年5月19日、東アジア反日武装戦線の主要メンバー7人が逮捕されたのを契機に逃亡。
黒川が所持していた桐島の家の鍵からまだ警察が把握していなかった桐島の存在が明らかとなり、桐島は警視庁公安部に爆発物取締罰則違反で全国一斉指名手配された。
東京都新宿区歌舞伎町の大衆料理店で、逃走直前までアルバイトをしていたとされるが、同年5月20日に渋谷区内の銀行で現金を下ろした後、同31日に広島県の実家に電話をかけ、「岡山に女と3人でいる。金を準備してくれ。国外へ逃亡することも考えている」などと父親に伝えたのを最後に足取りが途絶えた。
1989年と1990年、警察庁は過激派の爆弾犯、誘拐犯ら10人を指定の公開手配とした中の1人に桐島を挙げた。
1987年だけで警視庁は桐島を含めた10名を掲載した手配チラシを700万枚印刷し全国に配布した。
半世紀近くも生死を含め行方がわからず、東アジア反日武装戦線のメンバーの中で、一度も逮捕されていない唯一のメンバーであった。
また東アジア反日武装戦線の中で、前科がないただ一人の人物でもあった。
公訴時効について
間組本社ビル等爆破事件に関しては、共犯者の佐々木規夫と大道寺あや子が起訴後にそれぞれクアラルンプール事件とダッカ日航機ハイジャック事件により国外逃亡したため、刑事訴訟法254条2項により共犯者の公判が継続中という扱いで公訴時効が停止したままである。
また、佐々木・大道寺が関わっていないオリエンタルメタル社・韓産研爆破事件では、共犯者の浴田由紀子が同じ経緯で国外逃亡した後、身柄拘束されて2004年8月に判決が確定し、そこから桐島の公訴時効が再開されることとなった(当時の爆発物取締罰則1条での公訴時効は15年)。
しかし、2010年の法改正によって、桐島の公訴時効は、犯行時から起算して、1975年6月10日に浴田が起訴されて2004年8月に判決が確定するまでの期間を除いた上で、25年になった(刑事訴訟法250条2項)。
そのため、公訴時効の完成は2029年と見られる。
身柄確保
2024年1月25日、末期の胃癌の治療のために「ウチダヒロシ」として神奈川県鎌倉市の病院に入院していた男が、自らを桐島聡と名乗ったため職員が警察に通報した。
警視庁公安部は男の身柄を確保し、男の特定作業を開始した。
男は事情聴取に対して、事件の関係者しか知り得ない当時の状況などについて話したため、警視庁公安部は男が桐島である可能性が高いとしてDNA型鑑定を進めた。
その後、容体が悪化して危篤状態となり、1月29日午前7時33分、男は入院先の病院で死亡が確認された。
親族は遺体を引き取ることを拒否し、警視庁は複数の親族からDNA型の提供を受け、死亡した男性が桐島本人かどうか特定作業が進められた。
2月2日、桐島聡と見られる男のDNA型鑑定の結果、桐島の親族と「親族関係矛盾なし」という結果が出た。
2月7日、男の遺体は藤沢警察署から鎌倉市に引き渡され、逗子市内の火葬場で火葬された。
今後、引き取り手がない場合は無縁仏として合葬することになる。
2月27日、警視庁公安部はDNA型鑑定の結果などから、死亡した男は桐島本人と特定した。
これを受けて、警察庁刑事局は同日付で指名手配を解除したため、全国各地の警察署では重要指名手配犯のポスターに掲載されている桐島の顔写真に「手配を解除しました」とのシールを貼り付ける作業が行われた。
同日、警視庁公安部は指名手配容疑事件を含む計5事件に関与したとして、容疑者死亡のまま爆発物取締罰則違反と殺人未遂の容疑で書類送検した。
2024年3月21日、東京地方検察庁は容疑者死亡のため、桐島を不起訴処分とした。
身柄確保後の捜査
桐島聡は、数十年前からは「内田洋(ウチダヒロシ)」という偽名を使って神奈川県藤沢市内の工務店で住み込みで働き、勤務先に近い古い木造2階建ての6畳の寮で一人暮らしをしていたことが判った。
また、周囲には「岡山県出身」と話しており、免許証や保険証や金融機関の口座など身分証明するものは一切持っていなかったため、給料は現金で受け取っていた。
事件についての聞き取りでは、連続企業爆破事件の内指名手配となった「韓国産業経済研究所爆破事件」への関与を否定し、それとは別の「間組爆破事件」のみ関与したと話した。
また、桐島聡が事件後の海外への渡航歴は確認されてないが、逃亡中は海外にも滞在していたことをほのめかした。
内田洋として
当時、警視庁の鑑識官として複数の現場を捜査した戸島国雄は、証拠を残さない慎重さがあったため、半世紀にわたって逃亡できたのではないかと分析した。
1960 - 1970年代のブルースやロックなどの音楽好きで知られ、ジェームス・ブラウンやカルロス・サンタナを好み、月1回程度、音楽好きが集まる藤沢市内のバーに顔を出していた。
藤沢市内の別のバーでは「うーやん」と呼ばれており、週1 - 2回来店しては赤ワインを愛飲していた。
また、健康保険証などの身分証明書は一切持っておらず、歯医者も行けないためか、ほとんど歯もない状態だった。
20歳年下の女性とも交際していたことがあり、結婚も視野に入れていたという。
出典: 「桐島 聡」
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50年近い逃亡生活のために、寿命を縮めてしまったのでしょうねぇ~。。。
警察の捜査を警戒するために、極度に神経を使っていただろうから、胃癌になるのも無理のないことですよ。。。
まともに保険証を持っていたら、もっと長生きしていたでしょうねぇ~。。。
やっぱり、逃亡生活は健康に良くないのですよ。。。次は、あの悪名高いオウムのサリン事件に関わった犯人の平田信・受刑者。。。16年間逃亡生活を続けたあとで自首した。。。
最後は、ひき逃げしてから25年経っているのに未だに捕まってない小暮洋史容疑者の逃亡生活。。。
驚いたことに、犯罪を犯して、逃亡を続け、まだ捕まってない犯罪者が680人もいるというのですよ。。。
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あらっ。。。もしかすると、私や、この記事を読んでいるネット市民の方のそばに、顔を整形したり、変装したりしてひっそりと暮らしている犯罪者がいるかも知れないのですわねぇ~。。。
そうですよ。。。上の動画を、もう一度じっくりと観て、周りの人間の顔を思い浮かべながら、比べてみてください。。。もしかすると懸賞金がゲットできるかも。。。
懸賞金のために、犯罪逃亡者を探すなんて不謹慎ではありませんかァ~?
いや。。。お金の問題じゃないですよ。。。逃げ延びることができると信じて逃亡している者こそ憎むべきことなのですよ。。。
初出: 2024年7月20日
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【ジューンの独り言】
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ですってぇ~。。。
あなたも、最後の動画をもう一度じっくりと観て、重要指名手配の写真と あなたの周りの人間の顔を思い浮かべながら、比べてみてください。。。
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拡大する
もしかすると懸賞金がゲットできるかも。。。
ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」
あなたは、そのような激しい口調で、わたしに ご命令なさるのですかァ~?
分かりましたわァ~。。。
デンマンさんが立ち上げたピンタレストには 400以上のボード(カテゴリ)があります。。。
あなたが興味を持っているカテゴリがかならず見つかるはずです。。。
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■『拡大する』
■『実際のページ』
■『ホームページ』
ぜひ覗いてみてください。
ええっ。。。「そんなことは どうでもいいから、他に何か面白いことを話せ!」
あなたは、更に、そのように わたしにご命令なさるのですかァ~?
分かりましたわ。。。
じゃあ、ホログラムを使った面白い動画をお見せしますわァ~。。。
「面白いけれど、それだけじゃつまらん。他に何か面白いことを話せ!」
貴方が 更に そう言うのでしたら、ワンワンちゃんの面白い動画をお目にかけますわ。。。
ワンワンちゃんが人間の言葉をしゃべります!
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ええっ。。。? 「そんな馬鹿バカしい動画など、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」
あなたなは、また そのような命令口調で わたしに強要するのですか?
わかりましたわァ。。。
では、たまには日本の歴史の話も読んでみてくださいなァ。
日本の古代史にも、興味深い不思議な、面白いお話がありますわァ。
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