デンマンのブログ

デンマンが徒然につづったブログ

桜と名女優

2023-05-31 02:25:08 | 映画・芸能界
 

桜と名女優

 


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Subj:小百合さん、おはよう!

春ですね。

元気にお目覚めですか?



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From: denman@infoseek.jp
To: sayuri@hotmail.com
Cc: barclay1720@aol.com
Date: Thu, Apr 5, 2012 9:51 am
Pacific Daylight Saving Time
(日本時間: 4月6日午前1:51分)


小百合さん、元気ですか?

春ですね。
大長寺の桜も きれいに咲き始めている頃でしょう。

 


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忍川の堤に二人で並んで座りながら2匹の白鳥を眺めたことがまるで御伽噺の一風景のように思い出されてきますよ。

あんな現実離れした事が本当にあったのだろうか?

 


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ところで、昔、昔、。。。もう遠い童話のような世界になってしまいましたが。。。
僕が、まだ4つか5つぐらいでしたでしょうか?
僕の親父(オヤジ)が初めて釣りをしたのを見たことがあります。
一人で釣りをするのは間が持たないと思ったのか。。。?

僕の手を引いて小百合さんと並んで座って白鳥を眺めた辺りで釣りを始めたのですよ。
桜が咲いていた頃ではなかった。
でも天気はよかった。
10人以上の釣り人が土手に並んで釣りをしていましたよ。

しばらくして大きなフナがかかりました。
ところが、そのフナを釣上げて手で受け取ろうとしたところで釣竿が真ん中あたりでポキリと折れてしまったのです。
フナはピチピチ跳(は)ねながら水面にポッチャリ!と落ちた。

針を呑んだままだったから、たとえ水に戻っても、あのフナは長くは生きられなかったかもしれない。
親父は大きな獲物を逃して僕の顔を見てテレ笑いというか?苦笑していましたよ。

でも、それ程の後悔はなかったようで。。。
しかし、釣竿が折れて他の釣り人の注目を集めて格好が悪いと思ったのでしょうね。
それで釣りを止めて、僕の手を引いて家に帰ったのです。

親父が釣りをしたのを見たのは、それが初めで最後になりました。
僕は、そんな親父を見たからか。。。?

たぶん、それがトラウマとなったわけではないけれど、
今まで釣りをしたことがないのですよ。
きゃはははは。。。

小百合さんと見た白鳥と。。。
親父が釣り逃がしたフナが。。。なんとなくダブって僕の記憶に戻ってきたのです。

そして。。。バンクーバーの春の記憶と言えば
ロブソン・スクエアに面した美術館の裏の青空喫茶ですよ。

 


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バンクーバー市立中央図書館に歩いてゆくたびに通る道すがら、晴れた日には決まって目にする青空喫茶が見えてくると、そこのテーブルに小百合さんが座って微笑んでいるのですよ。

現実にはなかった光景なのに、なぜか鮮明に僕のオツムのスクリーンに浮かんでくる。

幻想。。。デジャブ。。。既視感。。。?

 


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ハローストリートの桜並木にきれいに桜が咲き誇っています。
淡いピンクの花がトンネルを作っているのですよ。

そのトンネルの中を歩いていると、
メルヘンの世界にいるようで。。。、まるで夢の中です。

たまたま図書館で借りた1983年市川崑・監督作品の『細雪(ささめゆき)』を観ました。
映画の初めに出てくる嵯峨野の花見のシーンはきれいでしたねぇ~。。。

 


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『細雪』

(The Makioka Sisters)




 

バンクーバーで見ると、あの映画の中にきれいな日本が箱庭のようにして見えてくる。
昭和13年と字幕に出ていたけれど、昔の日本が御伽噺のように出てくる。
桜と小百合さんと昔の日本が、メルヘンの中で混ざり合いました。

小百合さんも、しばらくぶりに大長寺で桜の花を見ながらバンクーバーを懐かしんでね。
じゃあ、また。。。


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『桜のメルヘン』より
(2012年4月8日)





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デンマンさん。。。また古いメールを持ち出してきましたわね。 今日は季節外れの桜のお話ですか?


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いや。。。決して季節外れではありませんよ。 館林の「つつじが岡公園」で小百合さんと見た冬桜が懐かしく思い出されてきたのですよ。 うへへへへへ。。。

 


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館林 つつじが岡公園


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つつじが岡公園の冬桜

 



取って付けたようなことを言わないでくださいな。。。ところで、「桜と名女優」というのは『細雪』に登場した女優さんのことですか?



いや。。。『細雪』に登場した女優さんも名優だと言う人がいるかもしれないけれど、桜の花と並ぶような女優さんとなると、なかなか見当たらないですよ。

デンマンさんは桜にこだわるのですか?

いや。。。僕がこだわっているのではなくて、一般に日本人は昔から桜にこだわっていますよ。

つまり、武士道と桜ですか?

平安時代の初めには梅の花を詠んだ歌も多かったけれど、次第に日本人は桜を詠むようになった。 やがて貴族社会から武士の時代になってゆくと、梅よりも桜の方がパッと散る潔(いさぎよ)さに武士の間で珍重されるようになってきたわけですよ。


武士道と桜の花

桜の名所 弘前公園



 

新渡戸稲造は、その後欧米の日本観に多大な影響を与え続けた『武士道』を1899年に出版した。
その序文にラフカディオ・ハーン、サトウ、チェンバレンと並べてフレイザー夫人の名を挙げ、これらの人々に混じって日本について英文で記述することは気が重い、と書いている。
サトウやチェンバレンは、日本を情緒的にというよりは、その歴史や風俗を客観的に叙述し、紹介したというのが当たっている。

ハーンはむしろ日本の昔話や怪談を通じて民族的な情緒や精神面に焦点を当てた。
この3人の著書は、その後も日本に関心をもつ人々の読み物として広く流布したが、それに比べればフレイザー夫人の書物は、流通した範囲が限られるように思う。

にもかかわらず、新渡戸稲造がなぜここに名前を挙げて言及したのだろうか。
おそらくしれは、桜への愛着を語り日本びいきの言葉を連ねるフレーザー夫人の叙述に新渡戸稲造が強く印象づけられれ、頭からそのことが離れなかったためではないか。

新渡戸は、この著書の冒頭で武士道を桜の花とともに日本固有の「花」にたとえて語る。
「武士道は、日本の象徴である桜と並んで、同じく日本の土壌に固有の花であります」

このように書き出されている。

フレイザー夫人の桜の記述を新渡戸稲造が意識していたことは間違いない。
新渡戸は、武士道の情緒的な側面を桜の花にたとえて語った。
また本居宣長の「敷島の大和心……」の歌や、国学の比喩を使った。

『武士道』の副題である「ソウル・オブ・ジャパン(日本人の心)」を説明するとき、桜をどうしても引き合いに出さずにはおれなかった。
桜を愛で、花見を楽しみ日本人への共感を叙述したフレイザー女史の英文の書物は、海外へ日本を紹介しようとする新渡戸稲造にとって、大きな意味を持つ参考書だったのである。

 

日本一長い桜並木多磨霊園・東京



宮城県の船岡城址公園一目千本桜






79-80ページ 『花見と桜』
著者: 白幡洋三郎
2000年4月4日 第1刷発行
発行所: PHP研究所




桜の花がパッと散る潔(いさぎよ)さに日本人の心が共感したということでしょうか?



武家社会では、そう受け止められたようですよ。 その影響で明治から現在に至るまで桜の花が日本人の心を捉えているのだと思います。

。。。で、その桜の花と名女優が関係あるのですか?

あのねぇ~、例えば次のような文句があります。

立てば芍薬座れば牡丹

歩く姿は百合の花



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 芍薬

 


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 牡丹

 


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 百合

 



美人を形容する時に使う文句ですよ。 小百合さんも知ってるでしょう!?



ええ、もちろん知ってますわ。

どの花もきれいですよ。 でもねぇ「お花見」と言ったら日本人は芍薬や牡丹や百合の花を見に行くわけではない。 やっぱり桜の花を見に行くのが決まりのようになっている。 なぜか?

いつまでも咲いてないで散りぎわがきれいだからですか?

そうですよ。 もう花が萎(しお)れて枯れそうになっているのに、いつまでも木の枝にしがみついているように咲いているのは哀れを催(もよお)しますよ。 なんだか見る方が惨(みじ)めな気持ちになってしまう。 その点、桜の花はそのようなこだわりがない。 風が吹いて桜の木から花びらが一斉に吹き零(こぼ)れるのは、見ていても清々(すがすが)しくて潔(いさぎよ)いものを感じますよ。 小百合さんもそう思いませんか?

要するに名女優も桜の花のようでなければならないとデンマンさんは言うのですか?

その通りですよ。

。。。で、デンマンさんの思っている名女優とはどなたなのですか?

原節子さんですよ。


原節子


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戦争後の翌年、1946年9月、原は資生堂のイメージガールに起用され、戦後初の多色刷りポスターが街中を賑わせた。
さらに黒澤明監督の戦後初の作品『わが青春に悔なし』のヒロインに抜擢される。
当時の東宝はいわゆる東宝争議のさなかにあり、そのあおりを受けた原は新東宝映画製作所に移るが、1947年6月フリーの女優として独立する。

フリー第一作は初の松竹出演作品となった『安城家の舞踏会』(1947年)であった。
同作のヒットで原は戦後のトップ女優としての地位を確立した。
つづく1949年の『青い山脈』では女性教師役を演じ、服部良一作曲の同名主題歌とともに映画も大ヒットした。

同年、初めて小津安二郎監督と組んだ作品『晩春』に出演。
以後、1961年の『小早川家の秋』まで小津監督の6作品に出演を果たすことになる。
原は一般的に小津作品での印象が強いが、出演作の中でもっとも多くメガホンをとったのは山本薩夫監督(7本)であり、以下6本で小津、島津保次郎、渡辺邦男、今井正が続く。

小津は女優としての原節子を絶対的に高く評価し、自らの作品に起用し続けた。
小津は昭和26年に「原節子ほど理解が深くてうまい演技をする女優は珍しい。『原節子は大根だ』と評するのはむしろ監督が大根に気づかぬ自分の不明を露呈するようなものだ。実際、お世辞抜きにして、日本の映画女優としては最高だと私は思っている。」と絶賛している。 

1949年(昭和24年)には『晩春』、『青い山脈』、『お嬢さん乾杯』の演技が評価され、毎日映画コンクールの女優演技賞を受賞した。
ルックス先行の人気、とささやかれてきた原にとって演技面での評価をうけることは長きにわたる宿願であった。
1952年の『東京の恋人』以降、しばらく出演作が途絶えたことで、マスコミから「伝説の存在」と表現されるようになる。

原が現場に復帰した1953年、『白魚』の御殿場駅での撮影中、原の眼前で実兄会田吉男(東宝のカメラマンであった)が助手の伊藤哲夫と共に列車にはねられ、不慮の死をとげるという悲劇にあう。
小津と原の代表作になった『東京物語』はこの事件の直後にクランクインしている。
1954年、原は体調を崩して通院を繰り返すことになり、引退をささやかれるようになる。

1955年に公開された『ノンちゃん雲に乗る』では初めて母親役を演じる。
体調が回復した1956年の作品『婚約三羽烏』が原にとって初のカラー作品であった。
1961年、日本映画の年間製作数は548本に達するが、これをピークに映画産業は斜陽化していく。

1962年、稲垣浩監督による東宝創立三十周年記念作品『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』が封切られ、原は大石内蔵助の妻りくを演じた。
これが彼女にとって最後の出演作品となった。

1963年12月12日、小津が東京医科歯科大学附属病院で死去。
その通夜に出席したのを最後に女優業を事実上引退し、以降表舞台には一切姿を見せなくなった。
現在は鎌倉市で親戚と暮らしているとされる。高橋治は原が「小津の死に殉じるかのように」公的な場から身を引いたと表現している。

朝日新聞は文化面で「はじめての原節子」を特集した。
その中で原と共演したことがある司葉子は原の一番の魅力を「清潔感」と指摘、「演技では出せない生地の魅力」と述べた。

現役女優の頃は美貌のトップ女優で、その早い引退と引退後の完全な隠遁生活なども同じことから『日本のグレタ・ガルボ』と言われている。




出典: 「原節子」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




もう亡くなられたのですか?



亡くなったという話は聞いたことがありません。 生きていれば、生まれが1920年6月17日だから、現在92歳ですよ。

原節子さんは小津監督が亡くなられると、殉じるように公的な場から身を引いたと言うことが桜の花のように潔(いさぎよ)いとデンマンさんは思うのですか?

もちろん、それも潔いと思う理由だけれど、原節子さんの身の振り方を見ると中国の故事が思い出されるのですよ。

その故事って。。。?

「琴の緒を断つ」という故事ですよう。 断琴(だんきん)とか絶弦(ぜつげん)とも言われる故事です。


琴の緒絶ゆ(ことのおたゆ)


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中国の春秋時代、琴の名人伯牙(はくが)が、友人の鍾子期(しょうしき)が死んだとき、もはや自分の琴を理解する者が居ないと言って琴の緒を絶ち、生涯琴を弾かなかったという。

「呂氏春秋」本味の故事から
親友・知己に死別するたとえ。

琴の緒を断つ。

伯牙断琴(はくがだんきん)

伯牙絶弦(はくがぜつげん)


 



つまり、小津監督が亡くなった時、役者としての自分を最も理解してくれた人が消えたので、原さんは琴の名人伯牙(はくが)のように潔く引退したのですよ。



要するに、二人のどちらが欠けても駄目であったというわけですか?

おそらく二人には映画を創作することで結ばれた「愛の絆」があったと僕は感じますね。 小津監督は独身を通し、原節子さんも他の人と結婚しようとはしなかった。




初出: 2012年11月18日



【卑弥子の独り言】


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ですってぇ~。。。
「桜の絆」でしょうか?

でも、梅の花も捨てたものではござ~♪~ませんわ。
梅と言えば何と言っても太宰府天満宮にある「飛梅」が有名です。


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菅原道真の詠んだ有名な歌をご存知でしょうか?

そうです。
「東風(こち)吹かば。。。」という歌が有名です。
ところで、この歌に2つのバージョンがあるのを知ってますか?

東風(こち)吹かば 

匂ひをこせよ 

梅の花

主なしとて

春な忘れそ


【初出:1180(治承4)年頃の編纂と考えられる『宝物集』巻第二】

東風(こち)吹かば

匂ひをこせよ

梅の花

主なしとて

春な忘るな


【初出:1005(寛弘2)年頃に編纂された『拾遺和歌集』巻第十六 雑春】

伝説の語るところによれば、菅原道真を慕う庭木たちのうち、桜は、主人が遠い所へ去ってしまうことを知ってからというもの、悲しみに暮れて見る見るうちに葉を落とし、ついには枯れてしまったというのでござ~ますわ。
しかし梅と松は、道真の後を追いたい気持ちをいよいよ強くして、空を飛んで行ったのですってぇ~。

ところが松は途中で力尽きて、摂津国八部郡板宿(現・兵庫県神戸市須磨区板宿町)近くの後世「飛松岡」と呼びならわされる丘に降り立ち、この地に根を下ろしたのだそうです。
一方、ひとり残った梅だけは見事その日一夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んでゆき、その地に降り立ったというのですわ。
ちょっと眉唾ですけれど。。。

飛梅伝説の現実的経緯としては、一説に、道真に仕えて大宰府にも同行した味酒保行が株分けの苗木を植えたものとも、道真を慕った伊勢国度会郡(現・三重県度会郡)の白太夫という人物が大宰府を訪ねる際、旧邸から密かに持ち出した苗木を献じたものとも言われているのでござ~ますわ。
道真が自ら梅を植えたとも考えられるこの飛梅伝説は、他の地方にも見られ、若狭国大飯郡大島(現・福井県大飯郡おおい町大島半島の大島)の宝楽寺、備中国羽島(現・岡山県倉敷市羽島)、周防国佐波郡内(現・山口県防府市松崎町)の防府天満宮などが知られているのでござ~♪~ますう。

とにかく、興味深い話題が続きますゥ。
どうか、あなたもまた読みに戻って来てくださいませ。
じゃあ、またねぇ。。。


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ィ~ハァ~♪~!

メチャ面白い、

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こんにちは。ジューンです。

菅原道真さんはとっても頭が良かったそうです。

だから学問の神様になったのでしょうね。

日本には次のような諺があります。

“天才と馬鹿は紙一重”

あなただって聞いた事があるでしょう?

もちろん外国でも

似たような諺がたくさんありますわ。

ところで、英語では何と言うのでしょうか?

考えてみた事がありますか?

次のように言えるでしょうね。

There is only a thin line

between genius and stupidity.


“天才と狂気は紙一重”

これは次のように言います。

There is only a thin line

between genius and insanity.


ところで、英語の面白いお話を集めました。

時間があったら覗いてみてくださいね。

■ 『あなたのための愉快で面白い英語』

では、今日も一日楽しく愉快に

ネットサーフィンしましょうね。

じゃあね。



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