役者 昔と今
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デンマンさん。。。、どういうわけで昔と今の役者を取り上げるのでござ~ますかァ?
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あのねぇ~、たまたま神田伯山の講談を聴いたのですよ。。。
あらっ。。。デンマンさんは講談に興味があるのでござ~ますかァ~?
いや。。。僕は落語は聴くけれど講談を聴くことはまずありません。。。
それなのに、どういうわけで講談を聴いたのですかァ~?
僕は江戸時代の有名な人気役者・中村仲蔵と言う人物について調べていたのですよ。。。そういうわけでユーチューブで「中村仲蔵」と入れて検索したら次のクリップが出てきた。。。
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歌舞伎役者・中村仲蔵と言う人は、今の役者で言えば、大部屋の役者だったのですよ。。。つまり、通行人とか、時代劇で言えば斬られ役として出演する人で、セリフがないか、あったとしても一言二言だけの最下層の役者ですよ。。。
そう言う最下層の役者だったにもかかわらず出世して人気役者になったのでござ~ますかァ~?
そうなのです。。。その当時では考えられない出世をしたのです。。。ウィキペディアで調べたら次のように書いてありました。。。
中村仲蔵
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元文元年〈1736年〉 - 寛政2年4月23日〈1790年6月5日〉
初代 中村仲蔵(なかむら なかぞう)とは、江戸時代中期の歌舞伎役者。
俳名は秀鶴、屋号は堺屋(のちに榮屋)。
紋は中車紋・三つの人の紋。
「名人仲蔵」とよばれた名優であり、江戸時代の伝説の歌舞伎役者ともいわれる。
妻は長唄の七代目杵屋喜三郎の娘お岸。
浪人斉藤某の子として生まれる(江戸平井村渡し守の子の説あり)。
4歳の時に舞踊の師匠志賀山お俊の養子となり、お俊の夫長唄の師匠六代目中山小十郎の名をもらって中山万蔵と名乗る。
はじめは舞踊関係で活動していたが、寛保3年(1743年)役者に転向し、二代目中村勝十郎門下で中村市十郎と名乗る。
初舞台はそれから2年後の延享2年(1745年)、中村中蔵の名で中村座に立つ。
寛延3年(1750年)、贔屓にされていた吉川某に身請けされ、一時役者を廃業する。
人形町で酒屋を営んだり、志賀山流の稽古屋を開き、その傍ら能楽や音曲などを習得する。
宝暦4年(1754年)、舞台に復帰する。
はじめは4年のブランクに不振を極め、先輩同輩からイジメを受け、自殺未遂に至るほど苦しむが、奮起して一心不乱に芸を磨く。
その有様を見て人々は、中蔵を「芸きちがい」と呼んだ。
やがてその才能を四代目市川團十郎に認められてからは人気が上がり、『仮名手本忠臣蔵』五段目で斧定九郎を現行の姿(黒羽二重に献上博多帯)で演じて評判となる。
天明5年(1785年)、中村仲蔵と改名する。
なお一時養父の名である中山小十郎を名乗ることがあったが、すぐに仲蔵に戻った。
また舞踊では八代目(一説には六代目)志賀山万作と名乗り、志賀山流を発展させた。
享年55。
墓所は下谷の日蓮正宗・常在寺であったが、同寺が区画整理のため池袋に移転する際、谷中霊園に改葬された。
戒名は浄華院秀伯善量信士。
功績
一代で仲蔵の名を大名跡とし、門閥外から大看板となった立志伝中の人である。
立役・敵役・女形のほか、所作事を得意とした。
『舌出三番叟』のほか、『菅原伝授手習鑑』の菅丞相、『義経千本桜』の権太と狐忠信、『関の扉』の関兵衛、『戻籠』の次郎作、『娘道成寺』の白拍子などが当り役であった。
著書に『秀鶴日記』、『秀鶴随筆』、自伝『月雪花寝物語』などがある。
その他
落語で現在も口演される人情噺『中村仲蔵』の主人公。
落語『淀五郎』では主人公の澤村淀五郎を励ます役で登場する。
定九郎を今日の浪人風に演じたのは仲蔵の工夫によるものであるが、三代目中村仲蔵の著書『手前味噌』によると、初代仲蔵が立作者の金井三笑と『曽我の対面』の工藤の演出をめぐって不和となり、三笑がわざと定九郎一役だけを仲蔵に振って嫌がらせをしたのが事の起こりということである。
考証に詳しい六代目三遊亭圓生は『中村仲蔵』を演じるとき、上記の説をとっている。
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落語では定九郎の役作りの祈願のために柳島の妙見様へ通ったとされているが、実際の仲蔵は葬儀も墓所も菩提寺は下谷常在寺であり、同じ富士派(日蓮正宗大石寺末)の常泉寺に参詣したとする見解もある。
(常泉寺の境内は業平、小梅一帯であった。)
「とにかく三七・二十一日間お詣りしていたんです。そして二十一日満願の帰りに夕立ちになってしまって、業平橋あたりのそば屋へ入って雨やどりをしていたら、そこへ一人の浪人が赤鞘(あかさや)の刀を差して、破れた蛇の目傘を持って尻っぱしょりで入って来て、入って来るなり蛇の目傘の雨しずくを振り切るわけです。その格好が美事だったんでしょう。仲蔵はその姿を見て、「これだ!」ということでその姿を定九郎の役に取り入れて素晴らしい演技ができたそうですよ。」慧燈第8号(昭和55年3月15日発行)
紋の「中車紋」は中の字を四つ組み合わせたもので、師匠の中村傳九郎家のもの。
替紋は、仲蔵が舞台に上がる時気合いを入れるために「人」の字を3回書いて飲み込んだことに由来するという。
平成17年(2004年)、大阪松竹座・東京日生劇場で初代中村仲蔵を主人公にした新作狂言『夢の仲蔵千本桜』が上演されている。
仲蔵を勤めたのは現・二代目松本白鸚だった。
出典:「中村仲蔵 (初代)」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中村仲蔵が演じたという定九郎が出てくる
『仮名手本忠臣蔵』五段目
僕はこの落語を聞くまで、中村仲蔵という名前を聞いたことがなかった。。。中村で知っているのは子供の頃チャンバラ映画で見た中村錦之助ぐらいなものですよ。。。
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三遊亭圓生の落語を聴いてみればわかるけれど、江戸時代の歌舞伎役者は、名のある役者の家に生まれない限り出世はできず、素人から役者を始めたのでは、今でいう大部屋の役者で終わるのが普通だったのです。。。
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■『動画を見る』
今でも、大部屋俳優から、認められて出世して映画の主演をやるような俳優になったのは数少ないのですよ。。。僕の知っている限り川谷拓三さんだけですよ。。。
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現在でも、大部屋俳優から出世して主演を演じるようになった役者は数えるほどしかいないと思います。。。歌舞伎役者でも、現在名前が知られている有名な役者は、ほとんどすべてが名のある役者の家に生まれて少年の頃から子役で歌舞伎の舞台に立っている人たちですよ。。。
そのようでござァ~ますわねぇ~。。。
江戸時代には、士農工商という身分制度もあったし、歌舞伎の世界でも、身分制度があった。。。
 
歌舞伎の身分制度
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江戸時代、歌舞伎役者たちは、主だった役柄を演じる名題(なだい)の下に、相中(あいちゅう)、中通り(ちゅうどおり)、下立役(したたちやく)などの身分があり、個別の楽屋が割り当てられる名題以外の役者は、楽屋の3階に設けられた板の間に雑居していた。
このため、「三階」、「三階さん」といった呼称も用いられた。
ただし、最下層の下立役の部屋は、実際には1階にあった。
こうした厳しい身分制度は、明治末期まで残っていたといわれる。
映画
大部屋俳優も、主役級の俳優たちと同じく特定の映画会社と雇用契約を結ぶが、その契約形態は大きく異なっている。
概ね1960年代まで一般的であった専属契約では、主役級などの俳優が、出演本数に基づいて出演料が支払われた。
しかし、大部屋俳優は、定額の月給制で、危険を伴う演技など何らかの特別な場合に一定の手当が加算されるという形であった。
東宝の場合、前者を「Aホーム」、後者を「Bホーム」と称し、後者の中でもエキストラやスタントを含めておこなう者を「B2」と分類していた。
唐沢民賢によれば、東映京都撮影所の大部屋俳優は撮影所契約の月給制だが、会社に認められて本社契約を勝ち取れば、年6本の本編(映画)専属契約となり、ギャラも跳ね上がるという。
大部屋に所属する俳優の数は、数十人から百人以上に及ぶこともある。
大部屋出身の俳優である土平ドンペイの回想によると、1990年代の松竹京都撮影所の大部屋には、実際には男性用の4畳半ほどの部屋が3室ほどと、少し広い女性用の部屋1室があり、そこに20人ほどがいたという。
2018年に、東映が東映京都撮影所の大部屋にあたる「俳優事務所」の一元化をしたところ、所属俳優の規模は、もっぱら東映太秦映画村での殺陣のパフォーマンスにあたる者なども含め、180人ほどとなった。
大部屋の俳優は、端役を演じ、出演者としてクレジットされることもあるが、エキストラ同然の扱いでクレジットされないこともある。
大部屋俳優の多くは、俳優としての一本立ちを目指す比較的若い者たちであるが、中には山内八郎、加藤茂雄、福本清三、小峰隆司のように、ベテランに至るまで大部屋で過ごし、大部屋俳優として名を残した者もいる。
また、怪獣映画などのスーツアクターも、大部屋俳優が務める例があった。
初代ゴジラのスーツアクターとして知られた中島春雄もその例である。
大部屋出身の俳優
大部屋出身であることが、しばしば言及される俳優、女優の例。
石倉三郎
川谷拓三
志賀勝
谷よしの
土平ドンペイ
出典:「大部屋俳優」
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
中村仲蔵は歌舞伎役者の一番下の階級から、名題という最上級になり、さらに三座の座頭になったというのです。。。つまり、中村座の座長ですよ。。。2023年7月21日、文化審議会の答申で、重要無形文化財保持者(人間国宝)に、歌舞伎俳優の中村歌六さん(72)が選ばれたけれど、江戸時代に人間国宝制度があれば、中村仲蔵も人間国宝になっていましたよ。。。
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【ジューンの独り言】
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ですってぇ~。。。
あなたは、映画の俳優になろうという夢を持っていますか?
劇団に入って修行を積むのもよいかもしれません。
でも、劇団に入れたとしても、アルバイトしないと食べてゆけないそうです。
昔も今も役者になって出世するのは大変なようです。。。
ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」
貴方が、そう言うのであれば、デンマンさんがピンタレストで「ランジェリー 下着」のページを立ち上げました。。。
覗いてみてください。。。男性ならば、ムンムン、ムレムレになって元気をだしてください。。。
女性であれば、若い頃を思い出して、若やいだ気分になってくださいねぇ~。。。
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■『拡大する』
■『実際のページ』
ええっ。。。「そんなことは、どうでもいいから、何か他に面白い話をしろ!」
貴方は、そのようなムカついた口調で 更に、あたくしに御命令するのですかァ~?
分かりましたわァ~。。。
じゃあ、ショッキングなニュースでもお伝えします。。。
かつて「セサミストリート」で子どもたちに慕われていた人気者のビル・コスビーは、芸能界では幅を利(き)かせて大きな“権力”を握り、百人近い女性に対してセックスを迫ったのです。。。
子どもたちに性的ないたずらをしなかったことが せめてもの罪ほろぼしですわァ~。。。
ええっ。。。「そんな事は、どうでもいいから、もっと他に面白い話をしろ!」
あなたは、そのような強い口調で 更に あたくしに ご命令なさるのですかァ~?
分かりましたわァ。。。。
では、あなたもビックリするような
忠臣蔵のとっても古い映画をご覧くださいまし。。。
なんと。。。昭和3年(1928年)制作の『忠臣蔵』ですわよう!
無声映画ですけれど、弁士の方がなかなかうまい説明をしてくださいますわ。。。
つい、引き込まれて観てしまうのですわ。。。
浅野内匠頭(あさの たくみのかみ)がどうしてヘマをしでかしたのか?
そのへんのところが詳しく映像に残っております。
観るだけの値打ちがありますわ。。。
では、どうぞ。。。
ところで、どうして小百合さんが
「軽井沢タリアセン夫人」と呼ばれるのか?
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あなたは ご存知ですかァ?
実は簡単な事なのですわよう。
小百合さんは軽井沢に別荘を持ったのですわ。
小さな頃から軽井沢に住むことが夢だったのですってぇ~。。。
分からない事ではござ~ませんわァ。
そもそも小百合さんが軽井沢に興味を持ったのは、朝吹登水子のエッセーなどを読んだことがきっかけだったとか。。。
現在、朝吹登水子の山荘、睡鳩荘(すいきゅうそう)は軽井沢タリアセンに移築されて公開されています。
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それで、小百合さんは軽井沢タリアセンを訪れては睡鳩荘に足を運んで少女の頃の事を思い出すのが楽しみなんですってよ。
そういう訳で、デンマンさんが小百合さんのことを「軽井沢タリアセン夫人」と呼ぶようになったのですわ。
軽井沢・雲場池の紅葉
軽井沢のイルミネーション
秋の旧軽井沢銀座ぶらり散歩
とにかく、明日もデンマンさんが興味深い記事を書くと思いますわ。
だから、あなたも、お暇なら、また読みに戻ってきてくださいまし。
じゃあねぇ~~。
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