前の前、2/2節分の記事では『節』が気になりながら書き終わった。節分のことから、勝手に、十干十二支のこと等々へ発散してしまった。区切り目をつけることに苦手な生活をして居るからこそ、節目にこだわってみたかった。
その節分の頃、ミニ団地に接してしまった竹藪で竹切爺さんになった。何十年も前に換地処理で入手した僅かな山林だが、当時から放置ママで竹が生い茂り最近造成された団地住民に迷惑かな と、要らん気遣いをしておる。同じ村落の大地主のK宅が周りの山林を所有するが、同じく竹原生林状況。冬のうちに高さ1mで切れば竹の根が弱るとのことで、我が家分だけでもと数日間はせっせ切りだして、主幹は適当な長さで積み重ね、鉈で払った枝だけは軽トラに満載してギリギリの赤道から市の環境センターへ持ち込んだ。
さてその作業で、恥ずかしながらこの歳になって竹も節で折ることができると気づいた。もちろん、先端の細くなった部分や枝の節部分のことではあるが。小学校にあがる前から、自宅東の竹藪から切り出した竹を切り刻んで時間をつぶしたものだが、竹を折ることは試したことがなかった。ほとんどの植生は成長方向に繊維質が揃って、曲げることはできても折ることはできない(高い抗折力)。なのに、節の部分では何故か折れる・・・少し調べたくなった。もぉ手元にないミクロ顕微鏡でなく、この眼をつかってマクロ観察かな~
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節で変わる竹の性質に気づいて、竹藪ではなぜか岩にできた柱状節理の割れ目を思い出したが、節理を知らなかった自分の人生にも気がつき、節目で変わる人生 もあるだろうし。