ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

辞世の句

2011年07月09日 22時23分57秒 | weblog

昨年の12月23日。
doironが
マラソン大会に向かう朝。
いつも起きてこず、寝床で見送るミセスdoironが
後で思ったのだが
虫の知らせか、玄関まで
見送らねばという気持ちになったそうだ。

「じゃ、行って来るわ。バイバイキ~ン」
と言いつつ駅に向かって行ったdoiron。

その日に起こった出来事は
ご存知のとおりなのだが
今から考えたら
あの事故で助からなかったら
doironの辞世の言葉は

「バイバイキン」

だったわけだ。
そういう意味でも助かってよかったと
思う今日この頃だ。

人間、いつどんな目にあうかわからない。
どんな言葉が最後の言葉に
なるのか想像もできないものだ。
いつもバカばっかり言ってたら
あきませんよという教訓が
この話から伺えるでしょ。

で、ふと考えた。

辞世の句(言葉)には
どんなものがあるかなあって。

よく知られているのは
ゲーテの

「もっと光を!」

とか、松尾芭蕉の最終句

「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」

なんかがある。

doironがいいなあと思うのは
良寛の

「裏を見せ 面を見せて 散る紅葉」

この世に自分のすべてをさらけ出して
散ってゆく紅葉の姿と自分を重ねた名句だと思う。

そう思ってみると、辞世の句と言うのは
その人となりを表して
なかなか趣のあるものである。

例えば

石川五右衛門

「 石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ」

ご存知、かまゆでにされるときに詠んだ句ですね。

小林一茶

「盥(たらい)から 盥へ移る ちんぷんかんぷん」

生まれたときの産湯に使う盥と
亡くなったときの送り人が使う盥
その合間の人生は
ちんぷんかんぷんという句なんですね。

最後までシャレてたのが

十返舎一九

「この世をば どりゃお暇(いとま)に 線香の
煙とともに 灰(はい)左様なら」

白洲次郎は

一、葬式無用 一、戒名不用」

う~ん、今夜はいい勉強をしました。
では今日はここまで

バイバイキ~ン