日が暮れた頃に夜の散歩に出かけると、
虫の音はすっかり秋のそれだ。
コロコロ、コロコロ、ジー、ジー。
歩く道の両側で、
近づくと鳴きやみ、
遠ざかるとまた鳴き始める。
後ろだけ聞いていると、
まるで虫の音が後をついてくるみたい。
地蔵盆が近づくと、
ぼちぼちセミの音も、
クマゼミ→アブラゼミ→ツクツクボウシと推移していく。
それはにぎやかに夏を迎えて、
じっくりと遊び、もの悲しく去っていく
といった雰囲気の演出そのものだ。
草むらで鳴く虫の音は、
それに輪をかけて去っていく夏を惜しむようにもの悲しい。
大阪のような街の中でも、
探せばいくらかはそんな風に季節を彩る昆虫もいるはずなのだが、
近頃は捕虫網を持って遊んでいる子供たちを見ることがほとんどない。
先日、小学校の先生と話す機会が
あったので聞いてみたら、
最近は夏休みの自由研究で
昆虫採集をしてくる子供はほぼ皆無だと言ってた。
その理由は、
ただでさえ少なく希少になってきた昆虫を採ることに、
罪悪感を感じさせるという時代の風潮もあるし、
昔は町の文房具屋さんなど
どこでも売られていた昆虫採集キットなんかも、
今はほとんど売られていないということもある。
そして何より、子供が草むらや原っぱで
遊ぶことそのものが少なくなったというのが
最も大きな原因だろうとその先生は言う。
そして、そんな昆虫採集も、
せいぜいあったところで、
“採る”のではなく“撮る”の方で
集めてくるぐらいらしい。
いわゆる、昆虫撮影記。
今は子供でも携帯を持って、
どこでも撮影できる状態であったり、
夏休みの宿題に必要だからと
親にねだれば、
簡単なデジタルカメラくらい
ポンと買ってくれそうな時代だもんね。
被写体は昆虫に限らず、
花でもいい、景色でもいい、
雲でもいい、友達でもいいじゃないですか。
夏の思い出を、デジタルで残すなんて、
今風でなかなかいい宿題ではないかねえ。
夏の自由課題の宿題で悩んでいるお子さんに、
夏のデジタル絵日記なんて
ススメてみても面白いんじゃないかなどと、
虫の音を聞きながらの散歩の途中で
あれこれ考えていたdoironなのであった。