ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

発展させてね山背古道 4

2016年04月08日 20時41分49秒 | ウォーキング

この辺りは、井手町内です。

マンフタはこれ。



町の花である、「ヤマブキ」が
刻まれているようです。

駅から5分も歩くと
さくらまつりの舞台である
「玉川」に出ます。



歌枕で有名な日本の6つの玉川の一つとされています。



近江野路の玉川,摂津三島の玉川,
武蔵調布の玉川,陸奥野田の玉川,紀伊高野の玉川です。



ここまでの山背古道の
ブログでよく出てきたのは
「昭和28年」という年です。

そう水害であの村人がなくなったという
あの大水害があった年です。

また椿井大塚山古墳が見つかったのも
昭和28年でした。

そして井手町のこの「玉川」が昭和28年の
あの水害時に面影をなくしてしまいましたが、
村人の協力で復興したんだそうです。



かつて、この地に住んでいた
橘諸兄左大臣が愛した山吹の花も
植えられてあると書かれています。

この川沿いの道をどんどん進んでいくと、
広い道で行き止まりになり



「橋本橋」

が山背古道との接点です。

ここより左には小野小町塚なども見ながら
城陽市の方へと進んでいく道が続きますが、
今回は車を止めてある蟹満寺の近くの方に
向かうことになります。

では、この橋を右に曲がって進んでいきます。

橋のたもとに水車が見えました。



宮本水車跡です。
石碑もたっていました。

当時は精米や穀物の製粉などに
水車が使われていましたが、
これも昭和28年の大雨で流されてしまったようです。

いまはこういう碑や手作り水車が残されています。



この辺りはちょっと高台の
気持ちのいい道が続きます。



眺望は開け、京阪奈丘陵や生駒山系が見渡せます。



道端にはこういう道標がありました。



これは行ってみなくてはなりません。
竹藪の下にその入口がありました。



急な坂を上っていきます。



あ~、本日で一番の汗かきポイントですねえ。

そして参道の入り口を見つけ



入っていきますと、ありました。

「橘諸兄公旧跡」ですね。



で、旧跡て何?と思っていたら
どうも別荘だったそうです。
静かな山の中だったんでしょうねえ。

そうそう途中こんな「井手火山灰層」
というところがありました。



地形学的に重要な地層らしいです。



よくわかりませんが、
この辺りは全面的に竹林です。

竹の生育に都合のよい地層なんでしょうかねえ。

この先道はちょっとわかりにくくなりますが、
地面に埋められた「マツコ」さんの
デラックスな道標に従って進んでいきましょう。



山の中の寂しい道を進んでいきます。



おっ、どうやらこの辺りは
ふきのとうの産地のようです。



やがて、午前中に車で走ったコースに合流。



ようやく車のところにたどり着きました。

午前中はこのコースの南側を7キロ近く歩き、



午後はここに向かってのコースを3キロ以上歩いたので、



トータル距離は10キロ程度でしょうか。

山背街道と名付けられているだけあって、
まあまあ楽しいコースでありました。

そうそう、最後には「井手町」を歩いたのですが、
ブログの途中でもちょっと行ってたように、
家庭横に小さな池を設けている家が
結構ありましたね。

大きな川、木津川に向かって、
山から勢いよく水が流れ込むため、
水不足になることが多かったそうです。

そのため、各家庭がよく池を設けているところから

「井手町」

の名前があるんだという説もあるようです。

山背街道は今回歩いた北のエリアと
南のエリアに道がまだあります。
将来的には奈良市までつながって
山ノ辺の道へとつなげていきたい
という思いで設けられているそうです。

まだまだ、これから遊びに行ける地域として
開発が進んでいくことを望みましょう。

それを楽しみにしつつ、
今回の山背古道シリーズ終了です。