この辺りは、
「堺公園墓地」の一角として、
地元の大勢の人々の
祈りの場所となっています。
そしてこの地に、法道仙人が行った
「飛鉢の法」を聞いた天智天皇の勅願によって
建てられたのがこの「法道寺」です。
この寺内にある多宝塔の
二階を支える部分にある
「シャチ」の彫り物は
ちょっと変わっていて注目されています。
探してみますと・・・
おお~ありましたねえ。
老眼の目にもしっかりと見えておりました。
墓地に怪しく咲く枝垂桜が妖艶です。
なおも墓地の中をガシガシと下っていきますと、
公園墓地の入り口あたりを通過します。
そうしてこんな川に架かる
「法道寺橋」を渡って登っていきますと、
こんな堺市の「ハイキングコース」に出ていきます。
緑道を超え、里山を超え、
墓地を超えてまだまだ
こんな田舎ののんびりした
高台の道へと出てくるのです。
こんな地蔵があったり、
田んぼの中を一直線に続く
あぜ道があったりと、
なかなかユニークな田舎道です。
こんな田舎道がどこまでも
続いていたらいいのになあと思いながら、
遠くの景色を眺めたり、
田んぼに集っている
カラスを眺めながら歩いていきます。
ん?でもこのカラス、
いつもの都会を漂うカラスとは
ちょっと雰囲気が違います。
こっそり横目でチローと確認してみたら、
「ハシボソカラス」でした。
都会に住んでいる「ハシフトカラス」と違って、
鳴き声が濁っていますし、
どっちかといえば植物を
餌とすることが多いのです。
だからこうして、
田んぼに群がって、
食事していたりするんですねえ。
そんな田舎の道も
いつまでも続くわけではありません。
田舎道の終点にあるのが
「上神谷(にわだに)小学校」です。
昔この辺りは「上神谷」と呼ばれていましたが、
昭和30年に堺市と合併し、
その地名はなくなりました。
しかし、ここには小学校の
名前として残っているんですねえ。
そう、この「上神谷」の地名は
民間企業などにも
今も何らかの形で残っていたりします。
そしてこの場所の道は、
堺の仁徳天皇陵から
天野山金剛寺に至る道として、
「上神谷街道」と呼ばれていました。
その道の小学校のところには
小さなあずまやがあって、
山麓の風景を最後にゆったりと
眺めながら休憩できる施設になっています。
さて町も近づいてまいりました。
こんな橋を渡って、
散り初めのこんな桜を眺めつつ
降りてゆきます。
そうして、いつの間にか道が
参道のようになってきました。
そうです。
この道の突き当りにあるのが
「櫻井神社」
鎌倉初期の建物ということで、
堺市内唯一の国宝建造物です。
祭神は「仲哀天皇・応神天皇、神功皇后」
となっています。
そして別名では
「上神谷八幡宮」とも称せられている神社です。
この施設を眺めながら、
坂道をくいくいくい~と登っていき、
もう「泉ヶ丘」駅前の
「大蓮公園」へと入っていきます。
前回の泉北歩きでも
この公園が最後になりましたねえ。
こんな洋船や
堺の灯台の
マンフタを眺めながら歩いていきます。
はやくかえろう、だって
わかっていますって。
おお~、これはまるで
山背街道の道標のような柄の
切り株ですな。
これは堺市立泉北すえむら資料館
そしてビッグバンの施設の横を通ったら、
終点に到着です。
あっ、大変です。
このままだとせっかくの
一人ビール宴会がなくなってしまいます。
ここのコンビニに買いに行きましょうと、
駅の中を通っていくと、
「ああ~次の電車が近い」ではないですか。
こうなったら、
電車で光明池まで戻って
そこで宴会にしましょう。
光明池から和泉府中までのバスの
スタートまで45分あります。
これは絶好の宴会機会です。
光明駅のコンビニでラーメンとビールを買って
「新檜尾台公園」へ向かいましょう。
そこでこんな宴会を盛大に、
一人で執り行いました。
はあ~、幸せですなあ~
結局、この日歩いたのは12km
これで今日の歩行は完璧終了です。
この後バスに揺られて居眠りしながら
和泉府中まで戻り、
そっからビール顔でふらふら
歩きつつ家に戻ったdoironなのでした。
終わり。