今年もいっぱい桜を見てきました。
背割堤はなかなかの見どころでしたねえ。
ここはかなり値打ちのある
ソメイヨシノ大群落でした。
淀川歩きでたまたま見つけた
お花見スポットでしたね。
あと、今年はもう一つ
行ってみたい桜がありました。
それは、ジダンに教えてもらった、
大宇陀に咲く見事な枝垂桜である
「又兵衛桜」です。
今年は何とかしていけないか
とずっと画策していたのですが、
さあ行こうというときに
雨が降ったりして二の足を踏んでおりました。
しかし、今年も彼が見に行って
八分咲きのメールをくれたので、
調べたら、ネットではもうすぐ満開。
と出ておりましたので
意を決していくことにしました。
さあ、では行こうと画策していたその日は
朝から雨がしたたっておりました。
先日、背割堤に行ったときに、
驚くような超たくさんの花見客に
出会ってしまったので、
有名な花見はちょっとしんどいな
と思っていたのです。
だったら、今回みたいな雨なら
人も少なかろうと見越して
出かけることにしたのです。
場所は車で行くと大変近くです。
南阪奈道路を終点まで行って、
橿原から少し走らせたらすぐに到着です。
電車より1時間近く早いんじゃないかな。
道のあちこちに「又兵衛桜」
の看板が出始めました。
あっ、ではなぜ「又兵衛桜」なんでしょうか。
doironの最近の旅との関係でいうと、
先日雨降りに歩いた
藤井寺当たりの歩行と関連してきます。
道明寺の駅で近鉄電車を降りたときに、
駅前にこんな日がありました。
「大坂夏の陣 道明寺合戦記念碑」です。
徳川を打つために、
この道明寺までやってきた豊臣軍の「後藤基次」。
本来なら、最近話題の真田幸村も
一緒になって戦う予定だったのが、
霧で道に迷って遅れたので、
その幸村を待たず、
基次は徳川軍と単独で戦ったが、
多勢に無勢で敗れてしまったのだ。
ふつうはこれで基次は消えてしまうのだが、
のちの世にあの時やられたのは
後藤基次の影武者で、
本人は紀伊半島を回って、
この大宇陀の地で僧になった
という伝説が残ったそうです。
その時に、彼の最後の地を飾った桜として
植えられたのが、この又兵衛桜と言われています。
樹齢は300年と言われてますから
彼の死後100年近いといわれています。
そうなんです。
後藤基次は愛称として
後藤又兵衛と呼ばれていたのです。
彼の生まれたのが姫路市で、
そこで彼の夏の陣敗北400年を記に、
彼の顕彰会が姫路で活躍した。
その団体が、彼の没後400年(夏の陣)
を記念して、姫路にあの又兵衛桜と
同じ種の「エドヒガンザクラ」が
昨年2本植えたのだそうだ。
まあ、こっちが見ごろになるころには
doironももういないだろうけどね。
まあ、それほど「又兵衛桜」は
彼の象徴としてふさわしい桜だったのだろう。
近くまで行くと、
さすがにやはりがら透きである。
観光バスが数台来ていたが
さほど人はいない。
その桜は、このとおり。
いやあなかなかのもんです。
近づいて行っても
やはりすいててしっかりみれます。
さらに近くから撮るとこんな感じ。
足元には、カタクリの花が
雨の中でしぼんでおりました。
協力金も払って周りをぐるりと一周し、
近くにあったテントで、
お餅を食べつつ眺めておりました。
そしたら、テントで売り出しをしている女性から
「ぜんざいたきそこねたから、無料でどうぞ」
とぜんざいが差し出され、
一層のんびりと過ごしたのでありました。
雨降りだったけど、
なかなかのんびりと立派な桜が
眺められたいい旅となりました。
帰りの道の駅のトイレで、
便器に張られたこんなシールを眺めながら、
「うんうん、雨だけど前向きに着たおかげで、
いい花見ができたぞ」と喜びながら、
ニューメン定職を食べつつ帰った
「又兵衛桜」の花見終わりです。