ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

いざ伊賀上野2

2016年06月19日 20時52分53秒 | ウォーキング

お城の入り口には、



みんなおそろいの
青いシャツを着て
番号のついた旗を持ちながら
10名くらいの人が集まっています。

どうもこのあたりの
解説をする人たちのようです。

「ご主人さん、案内しましょかあ」

と言って酔って来たら、
「いやああちこちうろうろ
するんでいいですよ~」
と断ろうと思っていたのですが、
残念ながら一言も声がかかりませんでした。
変なおっさんやなあと
思ったのでしょうかねえ。

それにしてもあんなにたくさんの
解説者がここにいるのかねえ、
などと思いながら、
公園の中に入っていきます。
というのも中にいた人は、
ご近所の通行人のような人が
一人いただけですもの。



最初の階段の途中にあったのが



「芭蕉翁記念館」です。



現在の伊賀市の売り物の一つが、
この俳聖と言われた

松尾芭蕉

の産まれたところということですね。

その松尾芭蕉を慕っていた
建築会社の社長から
この建物が寄贈され、
「芭蕉翁記念館」として
生まれたそうです。



入館料は300円ですが、
まあせっかくここまで来たんです。
入っておきましょう。



小さな記念館ですが、
軸装の部、工芸の部、
書棚の部と別れて展示されています。

残念ながら管内の写真は
撮れませんが、
やはり芭蕉本人の書であるとかは
じっくりと見てしまいますねえ。

展示館の中では客は自分一人だけでした。

記憶に残ったのは、
彼が処女出版として
30編の句集「貝おほい」を
「上野天神宮」に奉納しているが、
その中で彼が書いている
俳句との向き合い方が
微妙で絶妙であったことかな。

「・・・ふしふし多き小歌にすがり、
あるは流行言葉の一くせあるを種として、
云捨られし句どもを集め
右と左にわかちて
つれぶしにうたはしめ・・・」
などと書いてある。

芭蕉といえども、
思いつくままに歌にしたのではなく、
いろんな思いの結晶として
「俳句」をひねり出していたんだろうねえ。

ま、ここはそんな芭蕉の
生まれた地なのである。

ぐるっとひとめぐりして、
そして外に出たときにウヒャーとおどろいた。

「山道に観光客が満ち溢れ」

あ、勝手にうたってしまいました。

いま歩いてきた道を
doironより10歳くらい上の人たちの
大集団がドワーっと移動していきます。

一番前には「番号札」を掲げた
解説員が1グループ20人くらいを
引き連れて、
何グループも続いていきます。

ウヒャー、大集団と激突してしまったぞー。

あの入り口にいた
解説員のおじさん、おばさんたちは
この大集団を待っていたんですねえ。

これはまずいです。

どこを歩いていても
「はい、そこのおっちゃん。
番号札のところについてくださいよ~」
なんて言われそうです。

最初は人の少ない方へ
向かっていきましょう。

ふむふむ、これが母の像ですかあ。



なんてとこを歩いているんですかあ。

それでなくても、
うちの義母さんは今は
大変なんやからねえ。

なんていいつつ、公園の片隅を
歩いているうちに集団は離れていきました。

どうも城の方へとみんなで
向かっていったようですね。

あ、ここがテレビなどでも有名な、
あの「忍者博物館」ですかあ。



まあ、興味がないわけでもないんですが、
おっさん一人で入って行って、
「はい、いまから手裏剣投げを
やりますよ~」
なんて言われてもねえ。

では水雲渡りの探検です~
なんて言われたら溺れてしまいそうです。

建物の中はというとねえ、
隠し扉があったり、
秘密の抜け道があったりするんですよねえ。

はいはい、すごいですねえ、
わかりましたよ。

でもうちの家にも、
ギシギシ響く廊下があったりするんですよ。

で、最後は「僕も忍者になりたーい」
とか叫べばいいんですよねえ。

でもそれはちょっと、
おっさん一人じゃ無理がありすぎますなあ。

さすがに入館料を払って
ここに入ろうとは思いませんでした

と続きます。