あの当時のエッセイ
「徒然草」
には面白い僧が登場します。
52歳にもなってまだ石清水を
訪れていないことを情けなく思い、
京都から歩いて参拝に訪れた僧がいたそうです。
てくてく歩いて、
そしてここにたどりついた僧は
男山ふもとの「高良社」や
「極楽寺」を拝んだだけで、
山の上にある石清水には気づかずに
帰ってしまったことが書かれていました。
いやあ、なんとも頼んない僧ですね~
と思いつつも、あちこち歩くdoironでも
詳しいことは知らずに、
そういうミスはいつも
犯しているのかもしれないなと、
ちょっとドキッとしたエッセイでした。
実はこの先にある「松花堂庭園」も
八幡観光では欠かせない
スポットなのかもしれませんが、
ここはまあ周りから確認しただけで
中に入らずに通り過ぎました。
でもまあ後で確認したら、
立派な庭園みたいで、
徒然草の僧のようになってしまいましたねえ。
ただ、周りを歩いているときに
こんな建物も写しています。
変わった名前のマンションやなあ
と思ったら、ちゃんといわれがありました。
この松花堂の中には、
ある男性に連れなくされ
悲しみのあまり水に飛び込んだ
女性がいたそうです。
その女の脱ぎ捨てた着物から
女郎花の花が咲いたという
「女郎花塚」がこの庭園の中に
あるそうです。
マンションの変わった名前も
そういういわれに
基づいていたのですねえ。
知らずに撮った写真にも
そういう背景がありました。
そしてこの庭園の入口の所には、
こんな料理屋さんがありました。
何年か前に問題を起こし、
「ささやき女将」と名付けられた女将が
記者会見に出てきたという
お店の関連社ですねえ。
あの時の事件でグループの
「船場吉兆」は廃業しましたが、
他のグループはこうして
営業しているようですね。
ここの草庵を作った「松花堂昭乗」が
愛用した小物入れに
弁当を詰めた「松花堂弁当」を
売りにしているようです。
この庭園を散策して、
かえりにここでその
高級弁当を食べて帰る
というのが、
大人の遊びなようです。
そうか、ではここで、
その弁当を一ついただきましょう・・・
うそですよ。
そんな高級なものを
いただくわけにはまいりません。
doironは近所のコンビニで
「冷麺」を買っていただきました。
doiron弁当はこれで十分です。
さあ、この最後の名称松花堂庭園は
こうして表面だけを舐めて
バカな僧のように通り過ぎました。
さてここからいよいよ、
本日の目玉である
「流れ橋」を目指して
歩いていきましょう。
八幡市役所周辺のにぎやかな通りを、
こんな道標を眺めながら
過ぎていきます。
しばらく行くと「橋」が架かっています。
「昭乗橋」と松花堂の
名前の付いた橋が架かっていたのは、
あの岩清水周辺だけ
「放生川」と呼ばれていた
大谷川です。
道はここから一気に
田園地帯へと入っていきます。
暑い中、田んぼに植えられた
「柿」や
「ブドウ」を眺めながら、
汗まみれになりながら進んでいきます。
「木津川はどこだ~」
「流れ橋はどこだ~」
と流れ流れて進んでいきます。
そしてようやく川の
堤防らしきところに
上っていく上り坂に出ました。
おお~木津川です。
以前奈良県の加茂を歩いた時に
堤防を歩きましたねえ。
青山高原に端を発し、
全長89キロの河川です。
堤防に出ると河川敷の道が続いています。
北の方を見たら、
あの三川合流地点である男山の北、
御幸橋のほうへと
続いて行ってるようです。
でも目的の「流れ橋」は
ここからまだ上流のほうです。
日陰もなく暑い中を
さらに堤防を歩いて
いかなくてはあきません。
大きな橋の下で
たっぷり休憩してから歩き始めました。
この堤防もわりと自転車が
たくさん走ってますねえ。
前からどんどん自転車がやってきます。
調べてみたら
「京都八幡木津自転車道線」と
名前がついていました。
まあ、こういう自転車のたびも
ぼちぼち経験しないとなあ
とか思いながら、進んでいきます。
あと1話続く