その當麻蹶速塚のそばにあるのが、
相撲館です。
ずっと中の方は有料なので
入りませんでしたが、
相撲ファンのひとが
土俵姿になって取り組みを
しておりましたね。
こんな看板も上がっていました。
ああ、そういえばもうあの頃は
あの貴ノ岩関連の暴行事件は
起こっていたんですね。
でもねえ、相撲取りの暴行事件で
警察が入って調査というのも、
パッと考えたらおかしいよねえ。
本番取り組みそのものが
暴行事件みたいなもんやからなあ。
警察が
「お前は人の顔を平手で
思いっきりはたいたことはあるのか」
「はい。相撲の時はいつも」
「じゃあ、相手の体を投げ飛ばしたことは?」
「上手投げは得意技なんですけど」
そうやねえ、日馬富士も
土俵の上なら事件にならなかったのにねえ。
あ、軍配を奪い取って
それで殴ったりしたらあきませんからねえ。
その相撲館から南向いて
村中の狭い道を入っていきます。
あ、ここのマンふたは、
やはり當麻寺ですねえ。
ここで咲くたくさんのボタンの花も
あしらわれています。
空海が中国に行ったときには、
当時の寺には沢山のボタンが
植えられてあったと記録されています。
バックには二上山の姿も。
地元の人たちのこういう景色への
強い気持ちを感じますねえ。
住宅地を抜けると、
のどかな田んぼの中を進んでいきます。
稲刈りも済んで久しく、
また畑沿いに見上げる
二上山が神々しい。
こうしてみると義母さんが
自分で選んだ墓もいい場所に
あったものですねえ。
やがて道は葛城市の當麻庁舎
のところに出てきます。
ここから東向いて進んでいくと
右手に森の姿が見えてきました。
そもそも大きな森の中に
鎮座していた社殿が
あったという長尾神社。
だからあれがきっとそうだろう。
當麻庁舎前の広い道路から
狭い道を村中へと入っていくと、
大きな交差点があります。
そこに立っていたのが、
こんな道標。
「右 吉野 高野」と刻まれています。
そしてその横にあったのが、
ここが日本最古の官道といわれる
竹内街道の東の起点で、
長尾街道も交わっているところです。
ああ~やっと気になっていた
この長尾にやってきたんですねえ。
だんじり小屋も近くにあります。
で、その横に見えてきた森が
「長尾神社」
です。ずっと歩いていきますと、
神社の石に見慣れた名前の石が
たくさん入っています。
「椿本」。
そう義母さんの旧姓なんです。
ずっと先祖をたどっていくと、
義母さんはこの辺の
出身だといってました。
ああ~だからこの辺に
お墓を探したということも
あったんでしょうねえ。
さあ、長尾神社につきました。
鳥居の方へ回るとこんな形で
カエルがいます。
ご利益は「福がカエル」
「無事カエル」
「若カエル」
「宝カエル」
「親子カエル」だそうです。
「健康カエル」はないのかなあ
とか思いながら、
タッチしておきました。
ここが、本殿です。
「やっと来ましたよ」といいながら、
お祈りしておきました。
まあ、これで長尾街道の終点を
知ったわけですな。
街道の名前になっているくらいですから
もっと大きな森を描いていたのですが、
こじんまりとした神社でしたね。
さあ、ではこの神社周辺を
少し歩てみようと、
ウロウロしていたらここが
「大磯虎目」の旧跡地で、
ここが「伊麻」という女性の蹟です。
いずれも立派な女性だったそうで、
この辺りは女性の力が
強かったのかもしれませんね。
さあ、これで今回のミニウォークは
終わりです。
またてくてく歩いて
當麻寺駐車場の車まで戻りました。
途中、こんなまるで定食の見本のような
昼食を食べましたよ。
そして歩きながら、
あちこちにある義母さんの
旧姓の家とかも眺めながら歩きました。
ここには現役時代に
来てみたかったなあ
という思いに加えて、
義母さんの遠い故郷を
訪ねるということもできて、
いい歩きができた一日でした。
終わり。