駅を遠めに見ると電車が止まっています。
しかも目的の方向行の電車です。
とりあえず駅まで急ぎましょう。
駅で時刻表を見ると・・大丈夫
ラッキーです。
まだ15分くらいは止まっているはずです。
駅前の観光案内所に
ちょっと行ってみましょう。
女性が二人いてはりました。
doironが入っていきますと、
親切そうに話しかけてきはります。
「おはようございます。
何か資料とかをお探しでしょうか?」
と気軽に話しかけてきはります。
そういえば、前回五條に来た時に、
新町通りの展示館なんかで
とても親切にしてくれはりましたねえ。
この辺りはそんな風習というか、
そういう雰囲気を大切に
してはるんでしょうねえ。
「え~っと、五新線なんですけど」
というと
「はい。こちらの地図に載ってますよ」
と案内を出してきはるのですが、
「あの、新町通りの線路跡は
この前見に行ったのですが、
吉野川の向こうの道というのは
歩けるのでしょうか」と聞くと
「旧跡は残っていたりするのですが、
歩くのはだめなんですよ」
と申し訳なさそうに
説明してくれはりました。
電車の時間があるので
「このあと北宇智駅から
古墳をめぐって歩いてきますので、
帰りにまた寄ります」と
いったんおさらばです。
これだけ言っておいたら、
何か資料でも用意してくれるかなあという、
甘いプレッシャーをかけておきました。
さあ、では電車に乗っていきましょう。
一駅だけ移動するのですが、
やはりこの辺は駅間が長いですねえ。
ガタンゴトンと揺られていきます。
到着した北宇智駅は無人駅でした。
電車の運転手に切符を渡して
降りていきます。
2両編成のこんな電車でしたよ。
あ、柱に「住川街道」と
書かれてありますね。
線路の東側は住川という土地ですから、
ここから山の方に上がっていく道を
こう呼んでいるんでしょうねえ。
最初に目指すのは、
「西山古墳」です。
線路の東側に出て、
五條方向へと戻っていく感じで
歩いていきます。
ああこの辺りは古い家が
多いですねえ。
巨木の名残が突き出た塀とか、
虫籠窓のある家なんかを
見ながら村中を進んでいきます。
こんな狭い道もウロウロと歩き、
家なのかお寺なのか
わからんような家を超えたら、
道は田んぼの中の
田舎道へと入ってきます。
すると右前方の方に四角い森が
見えてきました。
そうあれが西山古墳のようです。
田んぼの端っこで、
くわを持ちながら煙草を吸ってる
百姓のおっちゃんがいたので
「すみません。古墳てあれですよねえ」
ときくと、
「おおそうやあ。最近草刈りをして
登りやすくなってるで」と
教えてくれはりました。
「フーン、登れるんやあ。ありがとさん」
あぜ道をてくてく歩いていくと、
あれ?コンクリート会社の
進入路になっていて
「進入禁止」になっていますよ。
どうしましょうかと悩みましたが、
え~い、百姓のおっちゃんも
行ってきなはれみたいに行ってたし、
あぜ道を歩いていったれと、
泥水やヘビなんかに注意しながら
田畑の中を一直線で向かいました。
手前に見えている土のところに
石段がついています。
ここから上がるんですねえ。
どれどれと入っていきますと、
古墳の案内板が立っていました。
ああ、この辺りの古墳群は
「近内古墳群」というんですねえ。
この辺りの地名「近内」の
名前がついているんですねえ。
この古墳がその古墳群の
一番東側だそうです。
案内書きには被葬者は誰
というのは書かれていません。
それよりも、墓の状況から
複数の首長が埋葬されている
のではないかと書かれてありました。
その案内からさらに奥に
進んでいきますと、
奥の方にはこんなお堂があります。
鳥居には「春日大明神」と
書かれてありましたねえ。
地元の人たちで守られているんでしょう。
続く
最新の画像[もっと見る]
-
龍田古道を歩いてきた8 4年前
-
龍田古道を歩いてきた8 4年前
-
龍田古道を歩いてきた8 4年前
-
龍田古道を歩いてきた8 4年前
-
龍田古道を歩いてきた8 4年前
-
龍田古道を歩いてきた8 4年前
-
龍田古道を歩いてきた8 4年前
-
龍田古道を歩いてきた8 4年前
-
龍田古道を歩いてきた8 4年前
-
龍田古道を歩いてきた8 4年前
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます