曙光に燃える姿が赤富士ならば、
夜の闇の中で
月明かりの空をバックに聳える富士のシルエットは
さしずめ
「黒富士」
だろう。
あけぼのから黄昏までを描いた
「富嶽三六景」には
夜の富士は描かれていない。
今の時代のような灯りのない頃にも、
このような姿は見えていただろうに、
何故だろうと考えた。
研鑽を重ねた技法でも、
闇夜の富士を描くことができなかったのか?
あるいは
自然の摂理を悟し得た北斎に、
草木の出生を描く意味はあっても
草木の就眠を描く意味はなかったのか?
答えはどこかにあるのかもしれないが、
doironが知っている限りでは
それを見つけることはできない。
その「黒富士」に出会ったのは、
夜中に「天気はどうだろうか」と
カーテンを開いた刹那であった。
夕刻に一瞬うっすらと、
頂周辺のみの姿を見せてくれたものの、
暗い雨の中にその姿を隠してしまった富士との
突然の出会い頭の姿がそこに聳えていた。
ひとつの大きな意思の塊が、
夜の闇に黒く塗り固められて
そこに眠っているという感じだった。

大きないびきが聞こえてきそうだ。
露光時間10秒。
宿の部屋の窓にカメラをできるだけ
固定して写した一枚です。
この写真に北斎風にタイトルをつければ、
さしずめ「胡坐大鼾」かな。
午前5時頃から空が白み始め、
富士もいよいよ目覚め始めたようだ。
日の出前に撮影したベストショットが、
この一枚。

鏡のように静まった湖面に、
夜の闇から朝までの空のグラデーションを映し、
呼吸を始めた草木の姿も配してみました。
富士とともに
一斉に目覚め始める森羅万象の有様が写っているでしょうか。
湖面には、うっすらと朝靄も漂っていました。
それからさらに20分待って、
太陽が顔を出す一瞬を捉えたのがこれ。

太陽が、一日の始まりを高らかに告げる合図のように、
見事な光の矢を放っていました。
北斎が言う、
「禽獣虫魚の骨格」の発現の時を迎えたわけです。
それからしばらくは、
宿の周りを
富士から出で、
富士に育まれた「草木の出生」を
観察しながらジョグしました。
その時掬った
森羅万象のひとしずく
富士山麓に出生した「草木」の姿がこれらです。

ノササゲ、

ワレモコウ、

ツリガネニンジン、

ミズヒキ、

キンミズヒキ、

ツリフネソウ。
みんな、富士山麓に出生した
野草たちです。
そしてその日は午前中をかけて、
ぐるっと車で
富士を一周しました。

朝霧高原を見下ろす富士。

山中湖に視線を注ぐ富士。
どこにいても富士は
景色のどこかに鎮座していました。
北斎の作品群に息づく人々の暮らしを
見つめ続けてきた富士は、
今も人々の暮らし中に、
しっかり根付いているんだと
実感した今回の旅でした。
朝な夕なに仰ぎ見て
富士に祈りを捧げる人もたくさんいるんでしょう。
富士を生業にして
生きている人もたくさんいましたし、
休日の富士周辺道路には
大渋滞になるほど人が訪れてくるんだそうです。
富士を描くことに執念を燃やしたのは
実は今回取り上げた北斎だけではなく、
歌川広重も
「富士三六景」
を描いて世に問うています。
かようにこれほど多くの人々を
引き付ける山は他にはないでしょう。
高さだけでなく
そういう意味でも
富士は本当に日本一の山なんですね。
こうして富士の旅は終わりました。
なぜか急に「富士に行こう」と思い立ったのは
人々の中に
どっしりと聳える富士山の
力に触れてみたかったんだなあと
今、しみじみと感じているdoironなのでした。
2009年初秋の富士旅行、
これにて完結です。
夜の闇の中で
月明かりの空をバックに聳える富士のシルエットは
さしずめ
「黒富士」
だろう。
あけぼのから黄昏までを描いた
「富嶽三六景」には
夜の富士は描かれていない。
今の時代のような灯りのない頃にも、
このような姿は見えていただろうに、
何故だろうと考えた。
研鑽を重ねた技法でも、
闇夜の富士を描くことができなかったのか?
あるいは
自然の摂理を悟し得た北斎に、
草木の出生を描く意味はあっても
草木の就眠を描く意味はなかったのか?
答えはどこかにあるのかもしれないが、
doironが知っている限りでは
それを見つけることはできない。
その「黒富士」に出会ったのは、
夜中に「天気はどうだろうか」と
カーテンを開いた刹那であった。
夕刻に一瞬うっすらと、
頂周辺のみの姿を見せてくれたものの、
暗い雨の中にその姿を隠してしまった富士との
突然の出会い頭の姿がそこに聳えていた。
ひとつの大きな意思の塊が、
夜の闇に黒く塗り固められて
そこに眠っているという感じだった。

大きないびきが聞こえてきそうだ。
露光時間10秒。
宿の部屋の窓にカメラをできるだけ
固定して写した一枚です。
この写真に北斎風にタイトルをつければ、
さしずめ「胡坐大鼾」かな。
午前5時頃から空が白み始め、
富士もいよいよ目覚め始めたようだ。
日の出前に撮影したベストショットが、
この一枚。

鏡のように静まった湖面に、
夜の闇から朝までの空のグラデーションを映し、
呼吸を始めた草木の姿も配してみました。
富士とともに
一斉に目覚め始める森羅万象の有様が写っているでしょうか。
湖面には、うっすらと朝靄も漂っていました。
それからさらに20分待って、
太陽が顔を出す一瞬を捉えたのがこれ。

太陽が、一日の始まりを高らかに告げる合図のように、
見事な光の矢を放っていました。
北斎が言う、
「禽獣虫魚の骨格」の発現の時を迎えたわけです。
それからしばらくは、
宿の周りを
富士から出で、
富士に育まれた「草木の出生」を
観察しながらジョグしました。
その時掬った
森羅万象のひとしずく
富士山麓に出生した「草木」の姿がこれらです。

ノササゲ、

ワレモコウ、

ツリガネニンジン、

ミズヒキ、

キンミズヒキ、

ツリフネソウ。
みんな、富士山麓に出生した
野草たちです。
そしてその日は午前中をかけて、
ぐるっと車で
富士を一周しました。

朝霧高原を見下ろす富士。

山中湖に視線を注ぐ富士。
どこにいても富士は
景色のどこかに鎮座していました。
北斎の作品群に息づく人々の暮らしを
見つめ続けてきた富士は、
今も人々の暮らし中に、
しっかり根付いているんだと
実感した今回の旅でした。
朝な夕なに仰ぎ見て
富士に祈りを捧げる人もたくさんいるんでしょう。
富士を生業にして
生きている人もたくさんいましたし、
休日の富士周辺道路には
大渋滞になるほど人が訪れてくるんだそうです。
富士を描くことに執念を燃やしたのは
実は今回取り上げた北斎だけではなく、
歌川広重も
「富士三六景」
を描いて世に問うています。
かようにこれほど多くの人々を
引き付ける山は他にはないでしょう。
高さだけでなく
そういう意味でも
富士は本当に日本一の山なんですね。

こうして富士の旅は終わりました。
なぜか急に「富士に行こう」と思い立ったのは
人々の中に
どっしりと聳える富士山の
力に触れてみたかったんだなあと
今、しみじみと感じているdoironなのでした。
2009年初秋の富士旅行、
これにて完結です。

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