doironも小学生の時代には
ちいさな川沿いを歩いて
通学しましたねえ。
蛇がよく出ていたのを思い出します。
川には魚がいっぱい泳いでましたねえ。
休みの日には網で大きな鮒を
捕まえたりして遊んでいたのを
思い出します。
山科川のこのあたりは
なんかとても田舎な雰囲気がします。
公園や墓地が近くにあって、
大元橋を越えてからも、
ここの道はバイクも通行禁止なので
のどかな感じが残っているんですねえ。
閑林寺橋をこえたら右岸に移動します。
そこからは公園のような
石畳の道が続きます。
ちょうど歩き始めの頃に見ていた
ヒガンバナがここでは目の前で
団体で咲いていてきれいです。
よくもまあ、地面の中から
こんな赤い色が出てくるものです。
昔に描いたヒガンバナの花がこれ。
繊細なヒゲのようなおしべなんかが
書きにくかったなあ。
この時はアゲハ蝶なんかも
乱舞していましたねえ。
そう、この日は、なんかとても
季節外れに暖かかったのですが、
途中はずっと後頭部に
日が差していたようなので
ましだったのですが、
ここからはコース上ずっと前から
お日様をあびるような
形になるので帰り路が心配です。
風呂尻児童公園というのがありますが、
ここのグランドで高齢者が
野球をやっているのが
めにはいりました。
ちょうどdoironくらいの年の人が
多かったですねえ。
大丈夫かなあ、
バットを振ったらぎっくり腰、
一塁に走ったら捻挫、
外野フライでボールと激突
なんて姿を想像してしまいましたね。
でもまあ皆さんとても
楽しそうに騒いでいるようでした。
スポーツができるのっていいですねえ。
東出橋のところに出たところで、
少し山科川から離れて、
西の山の方に歩いていきます。
ここには勧修寺という寺が
あります。
鷹狩に来ていた人と
ここに住んでいた娘との間に
できた娘が宇多天皇の女御となり、
醍醐天皇の生母ともなった
藤原胤子であります。
のちに醍醐天皇がこの家を
お寺にしたという門跡が
ここ勧修寺なのである。
この寺で一夜を共にして
出来た子供が歴史を変えていった
という場所なわけですね。
残念ながらここは有料なので
遠慮しておきましょう。
でも近くにこのお寺の鎮守社である
「古利倶八幡宮」があるので
寄っていきましょう。
立派な鳥居をくぐって
中に入っていきますと、
そこに安産の神という
一角があるので寄っていきましょう。
「またまた元気な孫二人目が
できますように」と
お祈りしておきましたよ。
階段を上っていくと右手に
何か大きな灯篭のような
ものがありますよ。
これが豊臣秀吉が
ここに納めたでかい灯篭で
「太閤灯篭」と呼ばれているものです。
そんな神社がそばにありました。
そしてもう一つ神社があります。
それが「宮道神社」です。
醍醐天皇の生母となった胤子の
一党もあがめられ
その先祖である神を
本尊としている神社です。
オオカミ狩りの日の
一夜で生まれた子供が天皇の生母に。
これは今も「玉の輿」という
言葉に残っているんだと
そこの案内板には書かれていました。
そしてここにはまた
「佛光院」というお寺があります。
勧修寺の小寺なんですが、
義父に両腕をきられた女性が
口に筆を加えて絵を描いたり
書をかいたりしながら、
福祉活動に取り組んだ人がいて、
多くの人々の心のよりどころ
となったそうです。
ここはそんなお寺です。
そういえば口に筆を加えて、
絵や言葉を描いた人って、
今の日本にもおられますねえ。
「星野富弘」さん。
彼もまた口に筆を加えて、
絵を描いたりするそうです。
水彩画のむつかしい絵を
そんな風に書くなんて
信じられませんね。
それにそこに書かれてある言葉も
とても味わいあるものです。
doironにしてみれば将来、
星野神社なんてできるんじゃないか
って思ってしまいます。
続く
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