ハブ ア ナイス doi!

いつまで続くのかコロナとの戦い。
全て解放されて、もっと、もっと
心から楽しまないとねえ。

大和街道 船戸まで3

2018年03月03日 21時26分35秒 | ウォーキング

日赤の病院を過ぎたところから
左奥へと入っていく道があります。



おお~これが何と熊野古道です。



もうこの道を通って
熊野へ向かったのは、
4年前にもなるんですねえ。

歩いていると、
途中で「川端王子」を通ります。



そもそも川端王子は高塚山の
山頂にある高塚神社に
合祀されているのですが、
地元の人たちによってここに
王子社が作られました。

あの時も、高塚山にいつか
登らねばと思ったもんですねえ。

そしてそのあたりから見える
クリニックが確かウルトラマラソンの
エイドステーション
だったんやないですかねえ。

この辺をレースで走っている頃は、
熊野古道も高塚山も
全く気付かずに走っていたんですねえ。

まあそれはそれで
仕方のない所ではあるんですがね。

さらに旧道を進んでいきます。



このままいけば布施屋の
駅の方に出るのですが、
地図ではその東側の道を行けば、
船戸まで続く旧道がある筈ですから、
そちらへ向かって行きましょう。



熊野古道を離れて進んでいきますと、
右に曲がって東へ
進んでいく道が現れます。



もし大和街道が県道以外であるなら、
多分この道が街道になるんでしょう。

田んぼの中に一本通った
きれいな街道風らしい道です。



住宅街の中もくねくねと続いています。



ああこの踏切も熊野古道の一部ですねえ。



ここを渡った記憶があります。
木の道標も建っていますね。

この向こうにあったのが
「吐前王子跡」ですね。
埴輪の「埴」に由来する
「吐」がついているのと、
この辺りの人がこの地域を
御幸堂や御幸の森と
呼んでいたことから推定された
王子跡でしたねえ。

そんな古道と離れて
大和街道はどんどん東進していきます。

立派なネズミモチっぽい木や、



こんなおおきな松ぼっくりの



できるでかい松なんかも



道沿いに生えていますねえ。

結構古い通りじゃないですか。
淡々と古い通りが続く中、
こういう細かい石で作った
塀が多くありましたねえ。







まあそのほかはこれという
目立つものもなかったのですが、
こういう「八坂神社」で、



そこには「九頭大明神」の
鳥居があります。



八と九かあややこしい。

やはり、様々な産土神が
この地方の人々を
支えているんでしょうねえ。

遠くに見える船戸山が、
今回のゴールを示してくれています。



やがて道は県道に合流し、
紀の川沿いをしばらく歩いていくと、





船戸の集落に入っていきます。

おお~この辺りはもう
岩出市ですねえ。
こういう見慣れた大和街道の
道標が建ち始めました。



この辺りには、川の向こうにある
大宮神社へのわたしもあったそうです。



そしてここが今回終点の船戸駅です。



昔、高野山ウルトラの練習を
しているときに、
道を間違えてここから
電車に乗って和歌山に
帰ったことがありますねえ。



あの時はトホホでしたねえ。

駅にはノートが置いてあって、



中を見るとこんな絵が
描かれたりしてありました。



ウヒャー、うまいですねえ。
こんな絵がさっとかけたら
いいのになあ。

また修業しないといけませんねえ。

さて、今回歩いたのは
こんな感じでした。



街道筋がよくわからないまま、
県道を歩いていても
交通量がおおくて難儀しましたねえ。

避けて田んぼ道を行ったら
くねくねとややこしい道でした。

でもまあこれで和歌山からの
大和街道筋がなんとか
一本につながりましたね。

あと残りは、笠田から五條までの
二回くらいですかねえ。

そして五條からまた別の
名前の街道が続いていくようですから、
その辺もまた勉強して
おかなくてはなりませんね。

「よしよし」と思いながら、
船戸から打田まで電車に乗り、
車を止めた紀の川市役所へと
向かったdoiron。



帰り道は鍋谷峠のトンネルを抜け、
帰宅したのでありました。

これで今回はおしまいですか

そ~だね~


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